102話 ピースが抜け落ちた一日
~七月二十五日~
目を覚まして直ぐに自分が寝ていた場所が訓練場だとわかりました。
体を起こしてみると、あまり良い感じのしない倦怠感が体を重くしていて、どうしてここで寝ていたのか寝起きで軽く頭痛のする頭を働かせて思い出します。
作戦開始から既に三日が経過しても悪夢クラスの唖喰を見つけることが出来ず、やり場の無い鬱屈した気持ちをどうにかしたくて、いつまで訓練に時間を費やしていたのか記憶にありませんが、私は寝落ちするまで訓練に明け暮れていたところまで思い出しました。
体の倦怠感はあまり眠れた感じがしないことと、固い床の上で横になっていたことが原因だと思います。
それでも休んでいるわけにはいきません。
一刻も早く
訓練場を出てシャワー室でシャワーを浴びた後、時計を確認してみると午前六時を過ぎたところでした。
朝食を買い込んでいた栄養ゼリーを飲んで十秒で済まして服に着替えます。
袖がフリル状になっている白のTシャツにジーンズのショートパンツを穿いて、オリアム・マギ日本支部の建物を出ます。
探査術式を発動しながら羽根牧区内を散策します。
私の魔力量であれば一度の発動で半径五キロは容易に探査できます。
「っ……」
瞼の裏に映し出されるレーダーに五キロ内に人間・動物に限らずあらゆる生物の生体反応がありました。
探査術式によるレーダーには高低差は考慮されていないため、膨大な数の生体反応に思わず
五キロの範囲を探査出来るということは、相応の情報量が脳に流れ込んで来るということでもあります。
いつもは魔力を抑えて一キロ範囲内で精査していたのですが、一刻も早く悪夢クラスの唖喰を発見するため、今回はそんな手間を惜しんでいる余裕はありません。
何度か探査を繰り返している内に、羽根牧商店街の裏路地に何匹かはぐれ唖喰の反応がありました。
人の反応と唖喰の反応を細かく分けて精査していきます。
はぐれの数は三体。
いずれも反応が小さいことから下位クラスの唖喰であることが分かりました。
はぐれのいる裏路地付近に人の反応も無いため、私は裏路地に入って行きました。
「……司君と初めて会ったのは裏路地でしたね」
ふと思い出しました。
あの時は近くでポータルが出現して、そこから溢れ出た唖喰を殲滅した直後でした。
残党の確認のために探査術式を使用すると、裏路地で唖喰に追われている人の反応を発見した時は大変驚いた記憶があります。
慌てて駆けつけてみれば唖喰に食い殺されかけていましたから、尚焦りました。
あの時の司君は私のことを〝魔法少女なのか〟と訊ねてきましたが、私は何のことなのか分からず、〝それは私のことなのでしょうか〟と返したのですが、部活で魔法少女のアニメを観た時に司君がああいうのも仕方ないと納得しました。
たらればの話になってしまいますが、もしあの時に司君から聞かれた質問に〝はい〟と答えていたらどうなっていたのでしょうか?
少し考えてみます。
私を空想ではない本物の魔法少女として接してくれる司君と本当は魔法少女のように華やかな戦い方が出来ないことを隠す私……。
違和感しかありませんね……少なくとも今のような関係になることは無かったのかもしれません。
そんなことを考えていると、不意に背後から視線を感じました。
殺意はないので視線の正体は唖喰ではなく人間であることは見なくとも判りました。
場所は……私の後を尾けるように十メートルの距離を保っています。
人数は四人。
三体のはぐれ唖喰の反応がある場所まではまだ距離があるので、このあたりで対処した方がいいですね。
私がサッと振り返ると、四人の男達はギョッとした表情を浮かべました。
先頭から順にニット帽を被った男性、金髪の男性、黒髪を肩まで伸ばした男性、耳にやたらピアスやイヤリングを付けた男性の四人です
男性達は、私の顔や恰好を見ると好色な表情に変わりました。
それを見て私はこの四人の目的を理解しました。
集団で今一人だけの私を性的な目的で襲うつもりです。
昔ならともかく現代では女性しかいない魔導士達が夜間巡回に回っていると、こういった不届きもの達に目を付けられることは不思議ではありません。
魔導士・魔導少女達が使用する術式は唖喰に対しては強い効果を発揮しますが、唖喰以外の生物には一切影響を及ぼしません。
そのためこういった一般人が相手になると、術式の九割は誰にも影響を与えることは出来ません。
魔導武装で直接殴り倒すことは可能ですが、万が一のことも考慮してあまり目立つ行為は避けたほうが賢明ですので、出来れば話し合いで片付けばいいのですが……。
四人の内、ニット帽を被った大柄の男性が前に出てきました。
「こんなところに一人で来るなんて、無防備もいい所だなぁ? しかもめっちゃ可愛い美少女と来たもんだ。折角だから俺らと遊ぼうぜぇ」
私はその言葉には不快感しか覚えません。
美少女や可愛いと言われて嬉しくなるのは司君に言われた時だけですし、何が折角なのか意味が分かりません。
私の態度を恐怖で萎縮していると思ったのか、先頭にいる男性が私の身体に手を伸ばそうとし……私はその手を掴んでこちらに引き寄せ、すれ違い様に無防備になった男性の首筋に手刀を食らわせました。
気絶した男性はうつ伏せになってアスファルトの上に寝転がりました。
今の手刀は、一般人を気絶させるためだけに全魔導士・魔導少女が必修を義務付けられている物理的手段です。
「タ、タケちゃん!? 何すんだこのガキ!」
「自分達が危害を加えられることを視野に入れずに、他人に危害を加えようだなんて虫が良すぎると思いませんか?」
「う、うるせぇ!! 三人に敵うと思うなよ!!」
金髪の男性はそう言って殴りかかってきました。
後ろでは髪の長い男性が鉄パイプを振りかぶっていて、ピアスの男性はナイフを取り出していました。
人数差を利用した包囲攻撃のつもりでしょうが、隙だらけで話になりません。
「身体強化術式発動」
私の身体に仄かな熱が灯ります。
出力を調整しながら私は身体を後ろに反転させて右足で回し蹴りを放ちました。
「せいっ!」
「ふげぶっっ!!?」
蹴りの直撃を受けた金髪の男性は路地の壁にぶつかってそのままぐったりしていますが、しっかりと出力は抑えていますので、気絶程度で命に別状はありません。
「キンちゃん! こいtうぅぅぅぅぅごふぅっ!!?」
「どぶちっ!!?」
視線を逸らしたピアスの男性に足払いをかけて一本背負いを決めます。
髪の長い男性を下敷きにしながらですが。
所要戦闘時間一分と無い結果でした。
私は気絶した男性達に私の事に関する記憶処理術式を施した後、奥にいる三体の唖喰……ラビイヤー三体を光弾の攻撃術式で倒しました。
悪夢クラスの唖喰を探すはずが、悪漢を退けたこととはぐれ唖喰三体の討伐……全く悪いわけではないのですが、無駄足を踏んだ気分です……。
再度使用した探査術式のレーダーにも唖喰の反応は無かったので、裏路地を出て商店街から次の場所に移動することにしました。
その後夕方になってまでも悪夢クラスの唖喰を発見することは出来ませんでした。
今日もまた一日が徒労に終わってしまいました。
三日もこの調子だとどうしても焦ってしまいます。
その焦りを忘れたくて、私は駆け足である場所に向かいました。
そこは羽根牧総合病院です。
一日中歩き回ったことで全身が汗でベトベトになってしまっていたので、カバンの中にあるタオルと清涼スプレーを使って汗を拭きます。
例え相手に意識が無くても汗まみれの状態で触れるような不潔な真似はしたくありませんから。
中に入って受付で面会手続きを済ませます。
「こんにちは。今日もいらっしゃったんですね」
受付の方から話しかけられました。
今日まで欠かさず足を運んできたことで、受付の方に顔を覚えられたようです。
「はい。毎日顔を合わせていたのが当たり前でしたので、こうしないと落ち着かないんです」
「! ほうほう、そうなの~……」
取り繕うこともなくそう素直に答えると、受付の方は何やら瞳をキラキラと輝かせて私を見ていました。
「そう、あの子も幸せ者ね~」
「え?」
「何でもないですよ~、念のためですが院内ではお静かに願います」
「あ、はい。解りました……」
何だか含みのある笑顔でしたので、妙に居た堪れない私はそそくさと目的であるA棟の二階にある二〇四号室へと向かいました。
ドアの前に立ってコン、コン、と二回だけノックをしました。
……。
「……はぁ」
部屋の中から返事はなく、やはり変化はないのだと突きつけられて思わずため息が出てしまいました。
取っ手を握り、ドアをゆっくりと開けます。
「失礼します」
返事が来ないと理解していながらも、私はそう声掛けをしてから中に入りました。
個室には夕日が差し込んでいて、夕焼けに染まる病室はどこか儚い雰囲気を漂わせていました。
病室にあるたった一つのベッドまで近づいて、そこで横たわっている彼に声を掛けました。
「こんにちは、司君」
「……」
呼びかけてもやっぱり目覚めることは無く、返事もありませんでした。
私は司君の寝顔をじっと見つめます。
初めて司君の寝顔を見たのは、ゴールデンウィークで行った水族館からの帰り道の途中、ちょっとした事故が原因で居住区に入れなくなったため、彼の家に泊まることになった時でした。
色々あって私は司君の私室で一緒に寝ることになったのですが、私は司君に強く勧められて彼のベッドで眠らせて頂くことになったのですが、気が付けば司君が寝ていた布団で添い寝をする形になっていました。
その時見た司君の寝顔は普段の優しげな表情とは打って変わって、とても無防備で、でも見ていて安らぐような……なんだか愛らしさを感じるものでした。
ですが、今の司君の寝顔には何の感情も宿ってはいません。
悪夢クラスの唖喰に魂を抜かれているから当然といえば当然なのですが、それでも私にとってはとても耐えがたい苦痛に変わりありません。
いつも私の名前を呼んでくれた声が、いつも私に触れてくれた手が、彼と過ごして来た当たり前の日常がどれだけ暖かくて幸せだったのか思い返す度に痛感します。
私が何より大切にしたいと思った日常は唖喰の手によっていとも簡単に崩されてしまいました。
以前司君への恋愛感情が芽生えて彼との接し方に戸惑った時、一週間程彼と顔を合わせて話すことが出来ない時期がありました。
その時は司君が私のことを気に掛けてくれていて、河川敷の出来事で司君が殺されかけるまで辛くても耐えられない程のことではありませんでした。
でも今は司君の意識が奪われているせいで、胸にぽっかり穴が開いたような感覚がずっと心から離れません。
私が過ごしてきた日常に欠かせない人を傷付けた悪夢クラスの唖喰を必ず見つけ出して、塵も残さずに消し去る。
こうして毎日司君の元に訪れて私が奪われた物を感じ取って、包丁を研ぐように決意を、戦意を研ぎ澄ましていくことがここ最近の日課です。
それが徐々に司君に出会う前の私に戻していく悪手であることに気付かないまま……今日も一日が過ぎて行きました。
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