101話 日常に爪を突き立てられた時
鈴花ちゃんから知らせを受けた私は居ても立っても居られなくて、必死に病院へ駆け出しました。
場所は……羽根牧総合病院。
この羽根牧市では一番大きな医療施設で、内科、外科、耳鼻科、歯科など多種多様の医療に精通しています。
鈴花ちゃんによれば司君はその病院に搬送されたそうです。
時刻は午後八時半前なので、本来なら面会時間は過ぎていますが、司君の身に起きている状況では構っていられません。
入り口は締まっているので、病院の緊急搬送通路前に停まっている救急車で作業をしていた救急隊員の人に話して中に入れて貰おうと声を掛けました。
「あ……はぁ……はぁ……すみません……」
「え……凄い美少女が!? ってそうじゃなくて、どうしました?」
私を見て隊員さんが少し呆けたような表情をしていましたが、すぐに要件を尋ねられました。
「えっと……さっき緊急搬送された、竜胆司君の容態を知りたくて……」
「ああ、あの男の子の……失礼ですが、その君とはどういった関係で?」
ああ、そうでした。
以前、全身筋肉痛になった司君のお見舞いの時に、鈴花ちゃんから面会のための色々な話を聞いていましたが、その中に患者さんとの関係を聞かれることがあるそうです。
「私は……並木ゆずと言いまして……司君の友人です。中にご両親がいるはずなので聞いてもらえればすぐにわかるかと思います」
変に嘘をつく必要はありませんので、ありのままを答えました。
私の説明の信憑性を確かめるため、もう一人の隊員さんが中に入って行きました。
時間が経つのがやたらと長く感じる気分で待っていると、隊員さんが戻ってきました。
「確認が取れました。並木さんと同じく彼の関係者が集まっています」
「あ、あの! それで司君の居る病室に案内してもらってもよろしいのでしょうか?」
「……そうだね、友達が緊急搬送されたというなら、心配だよね」
「A棟の二階にある二〇四号室です」
「ありがとうございます!」
司君のいる病室へ向かうため、私は病院内に入りました。
病院内は既に消灯時間を迎えているため少し薄暗いですが、これほどの暗闇でしたら迷う心配もありません。
ナースステーションにいた夜勤の看護師さんに面会許可を得たことを説明してA棟の二〇四号室を目指します。
二階に上がってすぐに灯りが漏れている部屋を見つけました。
その部屋の入り口に二〇四号室と書いてありましたので、ここで間違いありません。
私はドアを開けました。
「あ、ゆず……」
「っ、ゆずちゃん、久しぶりね……」
「……ほら、ゆずちゃんが来たぞ」
中には鈴花ちゃんと司君のご両親が居ました。
そして……。
ベッドに横たわっている司君がいました。
司君は頭に包帯を巻かれていました。
「あの、これは?」
「倒れた時に切ったそうよ。傷自体は軽傷なのだけれど……」
「……近づいても良いですか?」
「ええ……」
私は司君が眠っているベッドに近づいてみました。
「……司君」
「……」
司君は私が呼び掛けても起きることはありません。
そんな司君を見ていると、胸の中がどうしようもなくざわついていて落ち着きません。
そんな不安をどうにか払いたくて、私は司の手を両手で掴みました。
「――っ!」
司君の手にいつもの暖かさは無くて冷たくなっていました。
不安が晴れるどころか一層強くなって私は胸が締め付けられるように苦しくなりました。
「……」
そして不安を煽るように司君には何の反応もなく、静かに寝息を立てるままでした。
「どうして……」
堪らずそんなことを呟いてしまいました。
「すまない、ゆずちゃん……息子が心配をかけて申し訳ない」
「い、いえ……命があってのものですから」
司君は軽い外傷はあったのですが、呼吸は安定しているのに何故か一向に目を覚まさない状態です。
何かの病気を疑ってCT検査を行っても脳や体に異常は見られなかったそうです。
「先生からの診断によると、しばらく眠ったままだそうだ。全く、折角美少女二人にお見舞いに来てもらっているのに呑気にグースカー眠るなんて、運が無いな……」
司君のお父さんはそう冗談めかして言いますが、それでも司君は眠ったままです。
その光景を眺めていた私に、鈴花ちゃんが話しかけてきました。
「ゆず、今さっき芦川先生からゆずが来たら隣の空き部屋に案内してほしいって言われているの」
「……分かりました」
今の司君を見ていられない私は鈴花ちゃんに促されるまま、隣の部屋に入りました。
「来たのね、ゆず」
「お待ちしていました」
「ゆっちゃん……」
「なんや、言葉が見つからへんな……」
「ほら、菜々美。並木ちゃんだって辛いのは同じだから泣き止みなさい」
「ぐすっ、は、はい……」
隣の部屋には初咲さんと組織の医務室で主治医として働いている芦川先生以外にも、今日の誕生日会に参加した司君を覗いた全員が揃っていました。
初咲さんと芦川先生は毅然とした表情ですが、翡翠ちゃんと季奈ちゃんは少なくない動揺を隠せない様子で、柏木さんは特にショックが強いようで目に涙を浮かべていました。
「少々長い話になりますので、皆さん椅子にかけて下さい」
「はい……」
芦川先生に勧められて、私達は近くの椅子に座りました。
場が整ったことを確認した初咲さんが口を開きました。
「まず竜胆君の容態についての説明をするわ。由香、お願い」
「はい、初咲支部長。まず竜胆司さんの命に別状は無いことは竜胆さんのご両親から聞き及んでいると思います。頭の怪我も倒れた拍子に出来たものですので、傷自体は浅いですよ」
芦川先生の言葉に私達は頷きました。
「では彼の身に何が起きているかと言いますと……意識、心、魂、といった精神面の欠如が起こっています」
「精神面……」
「ええ、この病院に運ばれている竜胆さんの体は言わば抜け殻のような状態です」
抜け殻……。
確かにあの司君の冷たさを一言で表すならこれ以上ない言葉です。
「そして竜胆さんの状態は他の人にも例が存在しています」
「他の人にも?」
芦川先生の言葉に鈴花ちゃんが聞き返します。
司君以外にもいるとはどういうことでしょうか?
「三日前に静岡県で意識不明の男性が倒れていたのだけれど、その男性の状態は竜胆君と同様体や脳に異常は何一つとして見つかっていないのよ」
「そ、その人は今どうしているんですか?」
司君と同じ状態の人がいるという事実に驚きましたが、柏木さんはその男性の現在の安否を尋ねました。
「……未だ意識が戻ってないそうよ」
初咲さんは瞑目してそう答えてくれました。
「二人の身に起きている昏睡状態は政府と組織が連携して機密情報として公になってはいませんが日本全国で合わせて百人以上にも及びます」
「ひゃ……そんなに!?」
「怖いです……」
「組織の見解としてはどうなん?」
「組織では明後日に日本支部に原因の究明を厳命する算段でした」
「でもこうして竜胆君も同じように昏睡状態に陥っている現状を鑑みて、明日にでも作戦を開始するつもりよ」
日本全国で起きている集団昏睡事件……その作戦の開始を前倒しするようです。
「あの、作戦って言ってもアタシ達に出来ることなんてあるの?」
鈴花ちゃんが挙手をしながらそう初咲に質問します。
「むしろウチらにしか出来ひんことやで?」
「魔導少女になって日が浅い鈴花ちゃんにそのあたりのことは察しろなんてまだ早かったかしら?」
「え、えっと?」
鈴花ちゃんは本当に理解していないみたいでした。
それを見兼ねた初咲さんが説明します。
「人の精神を奪うようなことは普通ではありえないわ……けれど私達には心当たりがあるはずよ、鈴花?」
「あ! ――唖喰」
鈴花ちゃんの呟きに私と初咲さん、芦川先生が頷きました。
そうです、司君をあんな姿にしたのは唖喰以外いません。
「でもそれっておかしくない? 唖喰の目的は食欲を満たすことで、人の精神を狙うような奴らじゃないですよね?」
「……鈴花ちゃんの言い分は間違っていません」
「鈴花には唖喰のクラスについて説明したことがあったわね?」
「ああ、はい。ラビイヤーやローパーのようなのが下位クラスの唖喰で、グランドローパーにカオスイーターみたいな大型の唖喰が上位クラスってランク付けされているんですよね?」
唖喰には鈴花ちゃんの言った通り、唖喰には大きさや強さを識別できるようにランク付けされています。
ラビイヤーやローパーといった下位クラスの唖喰は上位クラスの唖喰に比べて比較的小型なのが主なものがほとんどです。
一体の戦闘能力は上位クラス一体に遠く及びませんが、とにかく一度に現れる数が多いのが下位クラスの特徴です。
上位クラスの唖喰はグランドローパーやカオスイーターといった単体でも脅威的な戦闘能力を有する唖喰です。
基本的に下位クラスの唖喰の特徴を残したものが大半ですが、その桁違いの戦闘能力によって過去に多くの魔導士を殺害してきました。
下位クラスと違い、上位クラスの唖喰は下位クラスと行動することはあっても、上位クラス同士で行動することはありません……いえ、無いはずでした。
以前司君と季奈ちゃんが三体のカオスイーターに襲われたことがありましたが、あれも前例のない事態でした。
研究班でもなぜ上位クラスの中でも一際凶暴なカオスイーターが三体も揃って行動していたのか、未だ解明に至っていません。
「今回の一件ではどの唖喰にも当てはまりません」
「え、でも唖喰の仕業なんですよね?」
「ええ、その通りよ。
竜胆君を襲ったのは上位クラスの唖喰より更にワンランク上のクラスの唖喰よ」
「上位クラスのより上のクラス!? 上位クラスでもあんなに厄介なのに、さらに一段階あるとかどこの宇宙の帝王だっての……」
上位クラスより上の唖喰がいることに鈴花ちゃんが忌々し気にそう言いました。
「そもそもな、この集団昏睡事件の第一被害者の発見と最近頻発しとるはぐれ唖喰の遭遇数増加のタイミングが全くおんなじなんや」
「はぁ? はぐれの遭遇数と集団昏睡事件が同じって……」
「さらに付け加えるとゆず達が修学旅行先で遭遇した大量の唖喰との戦いと同じように、ポータルが出現してすぐに消える点も同じよ」
「待って初咲さん、それだとあの時の騒動と今回の二件を引き起こした唖喰は同じ個体ってこと!?」
初咲の言わんとすることを把握した鈴花ちゃんが驚きを隠せない表情でそう言いました。
「ええ、これは一個体の上位クラスの唖喰が起こせる被害を越えているわ。だからこそ上位クラスより上のクラス――〝
「な、悪夢クラス!?」
鈴花ちゃんが戦慄しました。
三百年前から続く魔導士と唖喰の戦いの歴史の中に、上位クラスの唖喰を遥かに超える強大な個体が現れたことがあります。
例え上位クラスの唖喰が束になっても敵わない程の凄まじい強さがあると記録に残っていました。
悪夢クラスの唖喰は十年に一度という割合で出現する唖喰なので、私も戦った経験はありません。
しかもどの個体も今回の集団昏睡事件のような大きな被害を起こすばかりです。
「過去三百年の歴史でもこんな集団昏睡事件が起きた例は一度もないわ。これの意味することがわかるかしら?」
「今回の黒幕である悪夢クラスの唖喰は未確認の個体、ということですか?」
柏木さんの答えに初咲さんは頷きました。
「ええ、未確認ということは該当する唖喰がどんな姿をしているのか、どんな能力を有しているかという情報が不足しているのよ。そんな未知の相手が今も虎視眈々と誰かの意識を奪っている……これほど恐ろしくて厄介極まりないことはないわ」
初咲さんはそこで一度言葉を区切り、私達を真っ直ぐ見つめます。
「あなた達にはそんな未知の唖喰と戦う意思が……覚悟があるかしら?」
「「「「「「――っ!!」」」」」」
その言葉を受けた私達は一斉に息を吞みました。
相手は未知の悪夢クラスの唖喰……苦戦は免れないことは明白です。
それでも……。
「当然! 今更強いやつが出て来たくらいで簡単に諦めてたまるかっての!」
「ひーちゃんもやれるだけやってやる、です!」
「悪夢クラスの唖喰とか新しい術式の実験体に丁度ええやん」
「こういう時の魔導士ですよ、初咲さん」
鈴花ちゃん、翡翠ちゃん、季奈ちゃん、工藤さんが順に自らの意思を示します。
「怖いけど……私はここで戦わないと一生後悔する……私も戦います!」
柏木さんは泣きそうな表情を浮かべながらも、気丈に戦う意思を固めました。
「……私は〝天光の大魔導士〟です。唖喰が相手であれば悪夢クラスだろうと関係ありません……全力で挑むだけです」
私もそう宣言します。
むしろ唖喰が原因ということであれば、その元凶を絶つだけでいいのでシンプルで助かります。
「分かったわ……ではこれより、日本支部の魔導士・魔導少女の総力を挙げて集団昏睡事件解決のため、悪夢クラスの唖喰討伐を開始するわよ」
「「「「「「はいっ!!」」」」」」
絶対に私が助けます、司君……!
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