94話 竜胆夫妻再び
母さんに菜々美さんを家に招いたことがバレた。
母さん達に菜々美さんを会わせてしまえば、ゆずの時のようにいらん下世話が飛んでくるため、二人がいない日にちと時間帯を選んだのに、今日に限って早く帰って来やがった。
「はぁ~、美人……」
「えと、ありがとうございます……」
リビングで改めて対面した菜々美さんを母さんは目の保養とばかりに爛々と見つめている。
席順は俺と菜々美さんが並んで座って、テーブルを挟んで母さんが菜々美さんと向かい合うように座っている。
「それで菜々美ちゃんはウチの息子とどういう関係なのかしら?」
「あの、教育実習で司くんの高校に行った時に知り合いましたので……一応実習先の生徒という関係です」
本当はゆずと出会ってから一週間も経たない頃が初対面だが、俺と菜々美さんの二人に最も都合のいいタイミングとして教育実習の時のことを持ち出した。
これなら嘘は言ってないし、何より周囲の証言も得られやすい。
ただ、一つだけ問題があるとすれば……。
「まぁまぁ、教師と生徒の禁断の関係ってことなの!?」
教育実習で菜々美さんが俺を君付けで呼んだことにクラスメイト達が追究した時に、女子達が同じような期待を抱いていた光景を思い出した。
あまりに母さんと委員長が似てるから、委員長の方が竜胆家の一員として相応しいんじゃないか?
「ええっと、まだそういうことではないんですけど……」
「まだ!? 司、今すぐ菜々美ちゃんを――」
「言わせねえよ」
隙あらば嫁に誘うとするなよ。
それで〝はい〟とか言われたら俺にどうしろと……。
「それにしてもまさかお母さん達がいない間に菜々美ちゃんを連れて来るなんて……グフフ……」
「違うからな? 菜々美さんと母さん達を会わせたくなかっただけで他意はないからな?」
「もう~恥ずかしがらなくていいのに~」
めっちゃニヤニヤしてくるなよ鬱陶しい。
疚しいことはしてない……頬を触ったり指舐めたりしたけど一線は越えてないからセーフだ。
しかも大変不本意だが母さんがあのタイミングで帰って来なかったら菜々美さんに……思い返すだけでドキドキしてきたから止めておこう。
「う、うぅ~……」
ある意味被害者の菜々美さんも俺と同じように思い返したのか、顔を真っ赤にして俯いていた。
「え、何その反応……まさかまさか、アンタ遂に……」
「ち、違う! 未遂だから!」
「そそ、そうです! 司くんと私はまだそんな関係ではないので!!」
俺と菜々美さんは揃って何もなかったことを主張するが、母さんはニヤニヤとした笑みを浮かべた後、スッと真顔になったあとに両手で顔を覆い始めた。
「もっとゆっくり帰って来たら初孫が拝めたのに……」
「え、はつま……ええええっ!?」
「言いたくなかったけど今日は早く帰って来てくれてありがとな」
「チッ!」
菜々美さんに盛大なセクハラをかましつつ、皮肉った俺の感謝の言葉に舌打ちで返してきた。
そもそもあんな流されるようなことは頑として避けなければならないし、流されて既成事実が出来てしまえば俺は責任を取ることになる。
そうなったらゆずか菜々美さんのどちらかが確実に傷付くことになる。
だからこそ俺は二人への気持ちをハッキリとさせないといけないんだ。
時間を見れば午後四時になっていた。
「ほらいつまでも菜々美さんを引き留めておくのも迷惑だし、そろそろ帰らないと」
「え~、ゆずちゃんの時はお泊まりだったじゃない~」
いい大人がぶーたれんな。
「あれはやむを得ない事情があっただけで、菜々美さんは別に泊まるわけじゃないからな?」
「泊まり……並木ちゃんは泊まり……」
「な、菜々美さん?」
なんで虚ろな目で泊まりって言葉をブツブツと連呼してるんですか?
その疑問を尋ねる前に菜々美さんは席から立ち上がってスマホを取りだして電話を掛け始めた。
「もしもし先輩、柏木です」
『菜々美、どうしたの? もう竜胆君の家から帰るの?』
「私、今日は帰りませんので夕食は先輩のお好きな物を食べて下さいね。それじゃ失礼します」
『え、待って菜々美!? 今日は私の好物を作ってくれるって約束じゃ――ブツッ』
菜々美さんの話し方から相手が工藤さんなのはわかったけど、俺は菜々美さんが日本支部の居住区に帰らないと宣言したことに驚いていた。
まさかとは思うけど家に泊まる気なのか?
工藤さんより優先する程?
「そういうわけですので、申し訳ありませんが今日は泊まらせてもらってもいいですか?」
「いいとも!!」
母さんがノリノリで菜々美さんのお泊りを了承した。
「ちょちょ、ちょっと待ってください! 菜々美さんなんか工藤さんと約束があるみたいだったけどいいのか!?」
「だから今先輩に連絡したんだよ?」
「ドタキャンした事をもっと気負いましょうよ!?」
遂に菜々美さんの中で俺の優先順位が工藤さんを上回ったってことか!?
一年掛けて築き上げてきた二人の絆が初恋に負けたとか、工藤さんにどう申し開きすればいいんだよ……
――ピロン♪
「え、RINE?」
こんな時に誰だと思ったら今まさに菜々美さんからドタキャンされた工藤さんからだった。
菜々美さんが俺の家に行くことは知ってるから、俺に連絡が来て当然だよなぁ……。
『工藤静:恋人じゃないのに菜々美に手を出したらコロス』
「ヒィッ!?」
思いきり一線を越え掛けたことも相まって工藤さんの脅しはとても効いた。
こ、怖いけどドタキャンされたのに自分の事より菜々美さんの貞操を心配するなんて、工藤さんは本当に良く出来た人だと思う。
とりあえず〝絶対にしません〟と決意も込めて返信しておく。
菜々美さんと母さんの様子を見ると、既に着替えや寝る場所の話も終えたようだ。
なお菜々美さんの寝る部屋は当然のように俺の部屋になった。
菜々美さん……さっき未遂までいったことを忘れてないか?
ええい、俺が気を付ければいいだけだしやってやるよ。
急ではあるが菜々美さんが竜胆家に泊まることになって一つの提案を出してきた。
「突然泊まらせてもらうことになってすみません。お礼になるかはわかりませんが台所をお借りしてもいいですか?」
「「え?」」
菜々美さんが夕食を作るの?
家で?
「願っても無い提案だわ。もちろんオーケーよ」
「ありがとうございます」
漫画なら〝キリッ〟って擬音が付きそうな程真剣な表情をした母さんがこれまたあっさり受け入れた。
菜々美さんもほっとしたように表情を崩した。
常に俺が連れてきた女の子の手料理が食べたいという、相変わらず息子より貪欲な欲望を口に出していたが、それが叶うとあって嬉しそうなのが解った。
こういうのも親孝行になるのか?
なんてことを考える俺を余所に菜々美さんが我が家の夕食を作ることになった。
「冷蔵庫の中を見てもいいですか?」
「ええ、もちろん」
母さんが使ってるエプロンを身に着けて、髪を邪魔にならないように一つに束ねて準備万端といった菜々美さんが、母さんに冷蔵庫の中身や食器の位置を教わっていた。
しっかし菜々美さんエプロンめっちゃ似合うな。
学校で調理実習をした時にみた女子のエプロン姿とは贔屓目に見なくても雲泥の差だ。
女子達のはオシャレという側面が強くて、菜々美さんの場合は普段から料理をしているから着慣れた感じがあるのが違いの理由だったりするのかも。
一通り食材と食器を確認した菜々美さんは少し考える素振りを見せた後、おもむろにスマホを取り出してなにやら操作し始めた。
――ピロン♪
え、俺にRINEでメッセージを送ったの?
目の前にいるのに?
スマホを見てみると確かに菜々美さんからメッセージが来ていた。
『柏木菜々美:急で悪いんだけど、ジャガイモ四個と糸こんにゃく200g入りを二袋買って来てくれないかな?』
まさかの買い出し。
いやまぁ夕食を作ってくれるんだしこれくらいお安い御用なんだけどな。
「りょーかいです」
「ふふ、そんなに焦らなくてもいいからね?」
買い出しの了承を口頭でして、俺は財布を持って家を出る。
目的地は商店街の一角にあるスーパーだ。
時間にして三十分も経たない内に家に戻り、菜々美さんに買い出しの食材を渡す。
そして素人目で見ても鮮やかな手際で菜々美さんはテキパキと料理をこなしていく。
その後ろ姿を頬杖をつきながらぼーっと無気力に眺めていると、ふと隣からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
そっちに顔を向けると母さんがニヤニヤとした表情をしていた。
「……なんだよ」
「いや~、菜々美ちゃん、とってもお嫁さんらしいわね~」
「まぁ、良いお嫁さんにはなれるんじゃないか?」
「ちょっと、そこは〝俺がもらってやるさ〟ぐらい言いなさいよ~」
「高校生の身にそれは重すぎだよ」
組織に入ってから収入はあるとはいえ、実際に戦っているゆずや菜々美さんみたいに金があるわけじゃないし、なにより進路のことも不透明のままだ。
仮にゆずや菜々美さんのどちらかと付き合うことになっても結婚までするかはまた別の話だ。
唖喰のこと、二人への気持ちのこと、これからのこと……。
〝今〟のことで手一杯なのに結婚したらなんて〝未来〟のことに気を配る余裕はあまりない。
――ガチャン。
結論の出ない自問を繰り返していると、リビングに竜胆家最後の一人が入ってきた。
「ただいま~――うおおおおおお!? 新妻がいるうううううう!!?」
新妻って……また直球だな。
「新妻!? って、あ、司くんのお父さんでしたか……柏木菜々美と申します。台所をお借りしていますので夕食までもう少しだけ待ってて下さいね」
菜々美さんがツッコミを入れたが、相手が俺の父さんだと理解すると自己紹介をした。
「あら、お帰りあなた~」
「お、おぉ母さん……グスッ、遂に司が嫁を連れて来たのか……」
「ええ、そうよ……正確には嫁候補だけど」
涙ぐむな。同意するな。候補に挙げるな。
一言しゃべる度に言いたいことが一気に出てくるから疲れるわ……。
「よ、嫁……えへへぇ……」
菜々美さんめっちゃ嬉しそう。
もう笑顔がへにゃへにゃってなってる。
それでも調理の手間に支障はないから慣れってすごいと思う。
「菜々美ちゃんはかくかくしかじかで……」
「なるほど、司の学校の教育実習で……」
俺の耳はいつの間におかしくなったのだろうか。
今、両親の間で互いにしか分からない意思疏通が交わされた気がする。
俺と菜々美さんの関係を母さんから聞いた父さんは、俺に耳打ちをしてきた。
「なぁ、司。相手は女子大学生だが、なにかサークルに入っていたりするのか?」
「詳しくは知らないけど、同じ学部の先輩と同じサークルに入ってるって聞いたことがある」
「なっ……!?」
過去に菜々美さんと工藤さんがサークル活動の一環で外泊していると聞いたが、その答えに父さんは何故か驚愕の表情を浮かべていた。
「司、それは大丈夫なのか!?」
「何がだよ……文科系のサークルだってことしか知らないけど、その活動内容を楽しそうに教えてくれる菜々美さんを見ていたら大学のサークル活動が羨ましく思えたし……」
俺がそこまで言うと、父さんは俺の両肩をガシッと掴んで説教を始めた。
「危機感が足りん!! そんな体たらくでサークルに入って来たヤリ○ンに菜々美ちゃんが
「そうだな、お客さんの前で下ネタぶちかますおっさんから守らなきゃいけないな」
大丈夫かって
最近何かに影響されたのか?
しかも声がデカイから菜々美さんの耳にまでヤリ○ンとか入ってるんだけど。
「失礼な! 父さんはただ二人に幸せなって孫の顔を拝みたいだけだぞ!?」
「隠せてない。相手の幸福を祈っておきながら底無しの欲望が隠せてない」
結局そういうことか。
「二人に幸せに……孫……えへへぇ……」
これ以上無いってくらいふにゃふにゃとした笑顔を浮かべる菜々美さんを見て、この人実はチョロいんじゃないかと言い様の無い不安に駆られた。
そうして十分もしない内に夕食の肉じゃがが完成した。
あれー?
肉じゃがって確か嫁入り料理とか言われてなかったっけ?
なんか菜々美さんの本気を垣間見た気がする……。
「肉じゃが……だと!?」
「あ、あぁ……まさか、嫁候補の子が作る肉じゃがが食べられるなんて……生きててよかった……」
泣くの早くない? まだ食べてないだろ。
父さんと母さんは菜々美さんの手料理を食べる前から感動してるのを見て、菜々美さんは少し得意げな表情をしている。
確かに見た目はすごく美味しそうだ。
手に持った箸で肉じゃがを食べてみる。
「!? 美味い!!」
じゃがいもは箸で触るだけで簡単に崩れる程柔らかくなっているし、玉ねぎは出汁に溶け込んでて、豚肉も良い焼き色が付いている。
出汁が絡んだ糸こんにゃくも肉汁の風味がしっかり染み込んでいるし、にんじんも食べやすい。
正直母さんが作る肉じゃがより美味い。
「えへへ、お口に合って良かったよ」
「いや菜々美さんの料理が上手いのは知ってましたけど、こんなほっこりするような肉じゃが初めて食べましたよ!」
「本当? だったら隠し味が効いたのかも」
「隠し味?」
俺がそう尋ねると、菜々美さんは右手の人差し指を自分の口元に当てて、クスリと微笑みながら答えた。
「真心を込めた愛情、だよ」
「――」
食事中にも関わらず菜々美さんに見惚れた俺は、その後に口に運んだ肉じゃがの味が解らなかった。
それくらい隠し味が強烈だった。
俺の部屋で寝泊まりした菜々美さんに手を出さないよう最大限の警戒をしつつ、菜々美さんの竜胆家訪問は幕を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます