46話 少女の戸惑い


 転送術式による転送中に感じる独特の浮遊感が失せ、目を開くとそこには出撃前までは日本支部に居なかった鈴花と……司がいた。


「ゆず、季奈、二人ともお疲れ様、怪我が無いみたいで良かった……」

「おお、おおきになぁつっちー」

「~~~~っ!?」


 司が二人の無事に心から安堵していた。 


 季奈は気安く応じるが、ゆずは司をみた瞬間、再び言いようの無い熱に驚いて顔を俯かせる。

 何故か今の表情を司に見られるのは、恥ずかしいと思ったからだ。


(心臓が、息が、苦しい……! どうして? 昼頃に司君と話していた時は、息苦しくなかったはず……)


 ゆずは未だに経験したことのない体の変調に、動揺を隠せないでいた。

 なにより驚いているのは、息苦しいのに全く嫌な感情を抱いていないことだった。


(知らない、こんなの……私は知りません……!)


 怖いはずなのに胸の奥からこれ以上ない幸福感が湧き出る。

 幸せなはずなのに怖くて堪らない。


 相反する二つの感情がゆずの胸中をぐるぐると渦巻いてた。

 

(怖い……今すぐ司君に原因を聞かないといけないのに、この気持ちを言葉にして伝えるのが、とても怖い……!)


「おぉ……それが季奈の魔導装束なのか!?」

「せやで、魔導少女の呼称を聞いた時にそれっぽく造り替えたんや」

「凄い! まさに和の魔導少女!」


 司と鈴花が季奈の魔導装束に食いついている中、一人黙って胸中の不安と恐怖を押し殺していたゆずの様子がおかしいことに気付いた司が、彼女に駆け寄って顔を覗きながら声を掛けた。


「ゆず? なんだか顔が赤いけど何かあったのか?」

「――へっ!? え、ああぁ……」


 司に指摘されて益々熱と動悸が強くなったゆずはもうどうすればいいのか分からず、パニックになってしまい、司から顔を背けた。


「――え?」

「っ!」


 失敗した。

 顔は見えずとも、司が発した声音でゆずはそう判断した。


 ゆずはすぐに司に向かい合って傷付けるつもりはない、なんでもないと、謝ろうとする。


「あ、あの、ちが……」

「ん、んん? ゆず、どこか調子悪いのか?」

「え、ぅ、あの……」


 しかし、司と顔を合わせて謝まりたいのに、何故か目を合わせることに抗いようのない緊張が体を襲う。


 そのせいで満足に受け答えも出来ず、ゆずは言葉を紡ぐことが出来ない。

 

「えっと、ゆず? 大丈夫か?」

「っ!」


 司に声を掛けられたことでゆずは肩がビクッと揺らして驚いた。

 慌てて顔を上げると、司と目が合った。


 司の黒い瞳はゆずの安否を気遣うように優し気な眼差しを向けていた。

 

「――っ!」


 ゆずの心臓が破裂するかのように跳ねた。

 顔に集まる熱のせいで、今自分がどんな表情をしているのかすらも分からなくなった。


「た、戦いで、疲れた、だけ、です……」

「ポータルを破壊したらまた開いて、そこから上位クラスと戦うなんて連戦をしてたらそうなるよな……」


 ゆずはつっかえながらもなんとか答え、司は言葉通りに受け取ったようだった。

 

 再び顔を俯かせたゆずの頭にポンっと何がが乗せられた。


「え……」


 それは戦闘後のゆずを労おうとする人がやることだった。

 恐る恐る顔を上げれば……。 


「今日もお疲れ様、ゆず」

「――」


 いつものように司がゆずの頭を撫でていた。

 

「あ、ああ……」


 司が撫でてくれた。

 そう認識するや否や、司が触れている頭から全身に電撃が走るようにぞわぞわとした感覚がした。

 

 心臓の鼓動がこれでもかと大きく動き出す。

 電撃が全身を走った後は沸騰するのではと錯覚するほど血が煮えたぎった。


「ゆず!? やっぱりどこか怪我をしたのか!」


 ゆずの異変に気付いた司が、彼女の両肩をがっしりと捕まえて、より顔を近づけて来た。

 司は純粋にゆずを心配しての行為だったが、ゆずにとってはもう我慢の限界だった。


「~~、つ、司君には、関係のないことですから……!」

「え……っ!?」


 我慢の限界に達して、無意識に身体強化術式を発動させてから司を押し退け、医務室へと駆け出して行った。


 そうして取り残された三人は唖然としていた。


「「……へぇ……」」


 ゆずの態度がおかしい理由を察した女子二人が〝面白いことになって来た〟と言わんばかりに意地悪な笑みを浮かべた。


「え……な、なんで? 俺、何かしたか……?」


 そんな女子二人の反応に気付かず、ゆずの態度の変化に動揺し、その理由が分からない司は一人狼狽していた。





 ~オリアム・マギ日本支部地下一階、医務室~


「体温、血圧、異常なし。強いて言えば脈拍が妙に早いことくらいですね」

「それは、どうすれば治せますか?」

「なんてことありません、一晩ゆっくり休むだけで大丈夫ですよ」

「そう、ですか……」


 医務室に駆け込んできたゆずの容態を診察した芦川あしかわが告げた内容に、ゆずは少し……いや芦川が今まで見たことがないくらい、どんよりと落ち込んでいた。


 ゆずから一体何があったのか、診察中にある程度聞いた芦川は、過去の自分を見るように……自分でもここまでではなかったが、ともかく似たように一喜一憂していたことを思い出していた。


 ゆずが司に感じた動揺は生きていれば誰でも経験のある当然のことであるが、今まで唖喰と戦うことしかしてこなかったゆずには全く縁のないことだったため、何の意味もないことを知っていても、自分の容態を見てほしいというゆずの願いを快く引き受けた。

 

 支部長である初咲と旧知の仲であり、魔導少女であるが故に医務室を利用することの多いゆずを、芦川は彼女が幼い頃からよく知っているため、勝手ながら自分もゆずの姉のような立場だと思っていた。


 なら、迷いを抱える妹を支えてやろうと、話を聞くことにした。


「ゆずさんはどうしてそんなに落ち込んでいるの?」

「落ち込んでいる……?」


 未だ暗い顔をしているゆずは自分が落ち込んでいることに指摘されるまで気付いていなかった。


 司といると自分が自分でなくなるように感じがして、どうしようもなく落ち着かなかったはずなのに、いざ離れてみると胸にぽっかり穴が開いたような喪失感に包まれていた。


 その気持ちに気付いたゆずはますます混乱してしまい、手で目元を覆った。


「もう……意味が解らない……どうしたらいいの……?」


 今しがた体に異常はないと診断されたのに、一体自分はどうしてしまったのか……。

 唖喰と戦う時より精神的に疲れてきたゆずは、ぽつりと呟きを漏らした。


「ゆずさん、口調」

「っ、すみません……」

「謝ることはないよ。久しぶりにゆずさんの本当の口調を聞いたから、ついね。今ここには私しかいないし、楽にしていいよ」

「……うん、由香さん……ありがとう……」


 いつもの丁寧な口調ではなく、崩したゆずの口調を聞いた芦川は「よろしい」とゆずに微笑みかけた。


「あ、そういえば質問の答えを……」

「無理に言わなくていいよ。一番答えを知りたいのはゆずさんだろうし、今はベッドで休んで」

「うん、わかった」


 ゆずは芦川に促されるままに、医務室のベッドに横になった。

 天井を眺めながらゆずは、姉替わりの女医に話掛けた。


「由香さん」

「どうしたの?」

「体に異常がないなら、私、どうしたのかな?」


 来るだろうと思っていたゆずの問いが、寸分の狂い無く的中したことに、芦川は苦笑するしかなかった。


 笑ってはいけないと思いつつ、ゆずが見せた変化について答えた。


「答えを知っているって言ったら、知りたい?」

「え、何か知っているの?」

「知っているよ。……でも教えるわけにはいかないの」

「え、ええ?」


 どうしてなのかという気持ちを雄弁に語るゆずの顔を見た芦川は、随分と顔に出るようになったなと思いながら静かに続きを告げた。


「ゆずさんが竜胆さんに感じているそれは、時間を掛けて向き合っていくしかないよ。いきなり答えを教えても、簡単には受け入れられない気持ちだもの」

「……ちゃんと向き合ってからじゃないと余計に混乱するってこと?」

「そうそう、いては事を仕損じる、急がば回れ。焦って答えを探ろうとするより、一度立ち止まってゆっくり考えたほうが、答えを知った時にも余計な混乱をすることもなくなるからね」


 芦川の言いたいことを、ゆずは一瞬理解出来なかったが、ようは〝考える時間はいくらでもある、そのための日常なのだ〟ということに気付いた。


 それこそ日常指導係として接してきてくれた司のおかげで気付けたことで……。


「うううううぅぅぅぅぅ~~~っっ!!!」


 ようやく落ち着いたと思った胸の高鳴りがとんぼ返りしてきたため、ゆずは枕に顔を押し付けてうめき声を漏らした。


 完全に自爆だった。


 そんな初々しさを見せるゆずを、芦川は無言でニヤニヤしながら眺めていた。

 それに気付かないゆずはやがて落ち着いたのか枕から顔を離して、ふぅと大きなため息をついた。


「はぁ、こんな状態だと、司く――鈴花ちゃん達に迷惑を掛けちゃいそう……」


 自分を誤魔化すように意図的に司の名前を呼ばなかったゆずは、気分転換に明日のことを思い浮かべた。


 明日は学校で、一限目に体育が……。

 そこでゆずはハッとなった。


「――ぁ、明日、学校……」


 そう、明日はゴールデンウィーク明けであるため、学校に登校しなければならない。

 しかし、ここで現状ゆずにとって無視できない問題があった。


「学校だから、どうしても司君と関わる必要がある……」


 意図的に呼ばなかった司の名前をうっかり滑らしたが、ゆずは明日以降の身の振る舞い方に大いに頭を悩ませていたため、気にも止めていなかった。


「どうしよう……」

「学校に行かないなんてことはしちゃダメよ? 余計に心配かけちゃうからね」

「……」


 誰に、とは言われなくても分かった。

 差し伸べられた手を払いのけるような別れ方をしてしまったため、これ以上心配させるのは良くないということは、ゆずにもわかっていた。


 だからこそ、明日の学校で司にどう接すればいいのか、悩んでいるのだ。


「……とにかく、鈴花ちゃんにも相談しよう」


 一先ずゆずは、鈴花にも事情を話すことに決めた。

 

 ゆずがスマホで友人と電話で会話をしている様子を見ていた芦川の内心は“青春だな〟という感想を抱いたのだった。

 

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