31話 友達


 一撃でグランドローパーを倒したゆずが鈴花の元へ駆け寄ってきた。


「橘さん、左腕の具合はどうですか?」


 ゆずの問いに鈴花は自分が呆けていたことに気付き、ハッとなって慌てて答えた。


「え、あ、うん! 痛みはないけど……さっきまで無くなってたせいかちょっと違和感がある……」

「それは初めてなら仕方のないことです」


 鈴花の左腕を見てみると、力が入っていない様子だった。

 一時的に腕がなくなったことで、腕を治癒術式で回復させても脳がすぐに認識出来ず、後遺症の麻痺のようにうまく動かせないことがある。 

 

 新米の魔導士・魔導少女ならよくあることだとゆずが言うと鈴花は顔を青ざめさせた。


「……やっぱりみんなあんな大怪我をしてきたんだね」

「まだ橘さんはマシなほうですよ。助かったとしても一生腕を動かせない人もいれば間に合わずに殺されてしまう人もいましたから」 

「死んだ人もいるんだよね、そりゃそっか……あ、そういえば」


 死ぬかもしれなかったことに鈴花が身を震わせると、ある人物を思いだした。

 思いだしたのは初戦闘で唖喰に下半身を食いちぎられたという翡翠のことだった。

 治癒術式で治せたとはいえ、下半身を治した直後はうまく歩けなかったはずだ

 あんなに幼い少女ですらきっと自分以上に地獄のような苦しい思いをして、リハビリの末に今の在り方を選んだのだ。

 そう思うと如何に前の自分が楽観的な考えだったのかいっそ憎たらしくなってきた。


 楽観的な考え……つまり慢心を抱いていたことに他ならない。

 そこで鈴花は改めてゆずに顔を向けた。 


「並木さん、私の命を助けてくれてありがとう。命の恩なんてとても返しきれる恩じゃないけど、並木さんに助けてもらった命でこれからアタシの出来る範囲で返していきたいって思ってる」

「先程も言ったように私は当然のことをしただけです」

「並木さんがした当然のことって、アタシからしたらお礼がしたいって思うほど当然のことなんだけど?」

「――ぁ、そう言われればそうですね……」


 助けて当たり前だと言うなら、助けてもらったお礼をするもの当たり前だと鈴花はゆずに伝えた。

 ゆずも納得したようで、目が僅かに見開いたように見えた。


「……橘さん、一つお聞きしたいことがあります」

「聞きたいこと?」

「はい、今回橘さんは重傷を負いましたが九死に一生を得る結果となりました。今日の戦いを無事に終えて、今後あなたは魔導少女として唖喰と戦い続けますか?」


 ゆずの問いは魔導士・魔導少女として決して避けては通れない質問だった。

 

 死ぬかもしれない重傷を負って、まだ唖喰と戦う勇気があるのかという問いに、鈴花は顔を俯かせて未だ動させない左腕をさすりながら思案した。


 その間ゆずは一言も発さずに鈴花の答えを待ち続けた。

 そして考えがまとまった鈴花は、ゆっくりと顔を上げた


「……前に並木さんはアタシが今後どうするか考えておけって言ってたやつだよね?」

「……はい」


 ゆずは静かに答えた。

 鈴花は一度ふぅ、と一息つき、ゆずの問いに答えた。



「……ごめん、アタシは並木さんと一緒に戦えない」

「……」


 鈴花の答えにゆずは仕方のないと思った。 

 

 ゆずは五年間唖喰と戦い続けてきた。

 だがそれは幾度の怪我を経験してきたことと同義であった。


 鈴花が今まで戦い続けられたのは死の恐怖を知らなかったからであり、それを知った今でも戦えるほど鈴花の心は強くなかった。


 そのことにゆずは誰しも自分のように戦うことは出来ないと把握していた。


「ごめんね、自分から戦うって決めたのに、いざ大怪我を負ったら辞めるなんて、ほんと自分勝手だよね……でも……無理だよ、あんなに怖いことは……もう嫌」


 鈴花はそう言って膝を抱えて蹲った。

 左腕を溶かされ、全身を雁字搦めにされた。


 言葉にすればたったそれだけのことでも、鈴花の心にはトラウマとして死の恐怖が刻まれていた。


 次に唖喰を見ただけであの出来事がフラッシュバックするのは目に見えていた。


「橘さん……」

「ねえ、並木さん。一個聞いていい?」


 ゆずが蹲る鈴花になんと声を掛ければいいのか迷っていると、鈴花は顔を伏せたままゆずに尋ねたいことがあると口にした。


「はい、なんでしょうか?」

「……並木さんって今までどれだけ大怪我を負って来たの?」


 いくらなんでも自分より二歳年下の女の子にするような質問ではないことは鈴花にもわかっていた。

 それでもその質問をしたのは、ゆずのことを知りたいと思ったからだ。 


 ゆずは腕を組んで記憶を掘り起こし、口を開いた。


「……今日で左足が百八十八回、左腕が二百四十九回で、右腕が二百十一回と右足が百六十三回ありました」

「……ほんと、よく発狂せずに五年も戦っていられるね」


 ――すごいなぁ、こんな人が身近にいて、アタシを助けてくれただなんて……。


 恐れるわけでも、蔑むわけでもなく、ただ尊敬の念が浮かんだ。

 尊敬したのは目の前の魔導少女だけではない。


「……司も……すごいなぁ」


 戦う力を持つ自分と違って、唖喰に対抗する手段がないのに死の恐怖を知ってなお、魔導と唖喰に関わろうとする友達の強さにも感嘆していた。


 そんな友人に酷い言葉をぶつけてしまったことに鈴花は死ぬ間際になって後悔した。

 顔を伏せたままでも目じりに涙が溜まるのが分かった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 いろんな想いが込められた〝ごめんなさい〟が溢れてきた。


 ――あんな目に合わせないために魔導少女になるなと止めてくれたのに。


 ――並木さんの力になれなくて。


 ――自分より心が強い友達を悪く言って。


「アタシ、みんなに……グスッ、迷惑ばっか、掛けて……」

「……『迷惑ばっかかけるけど、だからって死んでいいような人じゃない』と司君が言ってました」

「……司が?」


 ゆずの言葉に鈴花は伏せていた顔を上げてゆずと目を合わせた。


「はい、司君と橘さんの間には言葉では言い表せない絆があると感じました」

「――ぅ」


 ゆずの自信があるように言った言葉に、鈴花はより涙を溢れさせた。


「ほんっっとに、お人好し、なんだからぁ……!」 


 鈴花と司は長い時間を過ごして来た。

 それゆえに互いのことをよく分かった気でいたが、唖喰と遭遇したことでより互いの絆を実感できたことに、涙が止まらなかった。


「私はそんな二人を、羨ましいと思いました」

「うぇ? 並木さんが?」


 ゆずが鈴花と目線を合わせるように少しだけ身を屈めて手を差し伸べた。


「そんな関係を築くことが出来るのなら、友達というのは素敵なものだと思います」


 ですから、とゆずは続ける。



「――ちゃんも私と友達になってくれませんか?」



 鈴花はゆずが自分のことを名前で呼んだことに驚いた。

 それに〝友達になりたい〟と言ったことも。


「……すぐ嫌になっちゃうよ?」


 今回の出来事は鈴花の中で一生忘れないことだと自負しているが、また同じようなことがないとも言い切れない。


 きっとまた心無い言動で彼女を傷つけてしまうのかもしれない。


 そうなる前の保険のような言い方をしたが、それを聞いたゆずは……。


「なりませんよ、だって、私が友達になりたいんですから」


 明け透けにそう答えた。

 

 鈴花はふとゆずが転入して来た日を思い出した。

 少なくともこんな風に言う女の子には見えなかった。

 そんな彼女に確かな変化をもたらしたのは一人しかいない。

 


 ――やるじゃん、司。


 

 目の前の友人の日常指導係である少年のことを心内でそう称賛した。


「そういえばなんでいきなり名前で呼んだの?」

「初咲さんが友達はファーストネームで呼び合うものだと仰っていましたから。それに司君も了承してもらえました」

「ファーストネーム呼びって死語じゃ……まぁ友達になって苗字呼びのさん付けじゃ堅苦しいからいいけどさ――よろしくね、ゆず」

「はい、鈴花ちゃん」


 こうして二人の少女は友情を分かち合った。





~~~~~





 初咲さんから唖喰との戦闘が終わったと連絡を貰った俺は、深夜近くであるにも関わらず家を飛び出し、自転車に乗ってオリアム・マギ日本支部に向かった。


 十分くらいで着いて、エレベーターに乗って地下一階にある医務室へ行った。

 初咲さんからの電話で鈴花が左腕を欠損する重傷を負ったと聞いた時は正直生きた心地がしなかったが治癒術式で回復したため、今は軽い後遺症ぐらいだという。


 医務室の前に辿り着いた俺は一度深呼吸をして、ドアを開けた。


「失礼します!」

「こんばんわ竜胆さん」


 医務室の主治医である芦川あしかわ由香ゆか先生は現役の医師の業務と、戦いで傷ついた魔導士・魔導少女達の検診もこなす女医だ。


 深緑っぽい黒髪を肩の位置で束ねて流し、水色のブラウスに黒のタイトスカートの下に黒タイツ、そして白衣という如何にも女医という装いの美人さんは見ていてやっぱ魔導の関係者だなと実感した。


 と、感心している場合じゃないな。


「鈴花はどうですか?」

「ええ、今は並木さんと一緒よ」


 芦川先生に案内された場所へ行くと、確かにゆずと鈴花の話声が聞こえた。


 二人は椅子に座って談笑していて、鈴花は左腕にギプスをつけていた。

 確か初咲さんの話だと上位クラスの唖喰……グランドローパーに遭遇したんだったな。


 強大な敵を相手に鈴花が無事に生きてくれたことに俺は安心した。

 とはいえ鈴花は唖喰に殺されかけたことでトラウマを植え付けられ、魔導少女として戦うことを辞めるそうだ。


 そのあたりは鈴花自身が決めることで俺が口出しするつもりは毛頭ない。

 もしまた鈴花が戦うと言ったら分からないけれど。

 

「――というように、四肢を欠損する程の大怪我をして初めて新米卒業というのが魔導士間での通過儀礼です」

「いやいや、そんなブラック企業も真っ青な新人研修があっちゃダメでしょ?」


 おおよそ女子がしていい内容の会話ではないな……。

 しかし、ゆずと鈴花ってこんなに親し気だったっか?


「大抵の新米魔導士が慢心を抱え、重傷を負うという流れになってます」

「綺麗にテンプレの道を闊歩してたってわけね……」


 どうやら鈴花が慢心をしていたことで他の例を聞いていたみたいだな。


 実際に創作の中だけだと思っていた神秘の力に触れて、力をつけていく過程で慢心を抱くことは避けられないのはある意味必然かもしれない。


 権力が財力を手に入れた人が豹変するように……元の生活が平凡であれば特にだ。

 それほどまでに人の心は単純なのだと、現実を突きつけられることにいよいよ笑いごとでは済まないと感じた。


「鈴花、ゆず」 

「あ、司君」

「っ司……」


 俺は二人に声を掛けた。

 気付いた二人は各々の反応を見せた。


 ゆずはなんだかちょっぴり明るく、鈴花は俺と喧嘩したことに気負っているのか肩をビクッと震わせた。


「……」

「……鈴花ちゃん」

「――う、うん」


 鈴花はゆずに促されて椅子から立ち上がった。

 そうして俺と目を合わせて……。


「酷いこと言ってごめん!」


 頭を下げてそう言った。

 いつもの喧嘩に比べて真剣な謝罪だった。


 鈴花の謝罪を聞いた俺は、完全に慢心を払拭出来たことに気付いた。


「まぁ、命拾いしてなによりだ」

「あ、あっさり許すのね……」


 俺がそう言うと鈴花は若干苦笑いを浮かべていた。


「いつもの喧嘩と同じだし、今言ったみたいに鈴花が無事なら最悪謝られなくても許してたよ」

「……本当に? 実は内心めっちゃ怒ってたりしない?」

「してないしてない」

「ほんとにほんと?」

「本当だって、俺が唖喰と戦えないのはどうしようもない事実だしな」


 もちろんそのままでいるつもりもない。

 それこそ俺の出来る範囲でやっていく。


「腕の調子はどうだ?」

「神経に異常があったりするわけじゃないし、感覚麻痺みたいなもんだからしばらくリハビリが必要だって」


 片腕欠損なんて大怪我を負ったにしては軽い感じで話すが、治癒術式って即死しなければどんな瀕死の重傷ですら治せるんだから魔導さまさまである。


「それに戦わないって言っても、ゆずの訓練には付き合うつもりだし、ここにもちょくちょく来るから、アタシが戦わないってだけで今までとそんな変わらないわよ」


 確かにその通りだった。


「それで明後日の土曜日に早速ゆずの服を身に行く予定なんだ」

「え、お前俺の日常指導係の仕事を奪う気かよ!?」


 鈴花の言葉に待ったを掛けた。

 いや今週の土曜は俺も予定があるから仕事を奪うも何もないけど、それでも俺がやるべきことを盗られて黙っていられない。


 そう思って言ったのだが……。


「じゃあアンタがゆずのコーデとかメイクを教えたり、下着を選んであげたりするわけ?」

「すみませんよろしくお願いします」

「え、即答なのですか……?」


 ゆずには悪いがそれだけは無理だ。

 同性でしか教えられないことがあるのは盲点だった。

   

 人としての日常ならともかく、女の子としての日常は鈴花に任せたほうが良いに決まっている。


 下着売り場の外で待たされるのは凄く居心地悪くて居たたまれないから辛いんだぞ……。


「ゆずもありがとな、鈴花のことを助けてくれて」 

「当然の……いえ、どういたしまして」


 お、当然のことをしたまでですって言わなくなった。


「結局新しい仲間増えずって結果になっちゃったな」

「仕方ありません、常に万全で戦えるほど余裕のある相手ではありませんから」


 それは同意する。 

 今回は大型が出たと聞いたときは肝を冷やしたが、二人とも無事でよかった。


「……それに鈴花ちゃんと友達になることが出来ました」


 それに関して俺は全くと言っていいほど関与していない。

 鈴花が勝手に俺達のデートを尾行して、魔導少女になって、鈴花が慢心をしても見捨てず、大怪我をした鈴花をゆずが助けて、とゆずが鈴花に歩み寄った結果だ。


 それでもこういうべきなんだろう。


「そっか、よくできました」


 ポンッとゆずの頭に手を置いて髪が乱れないように優しく数回撫でた。

 あ、また思わず撫でてしまったと思ったが、


「ふふ、ありがとうございます」


 そう言って僅かに頬を緩ませたゆずの言葉で杞憂だったとわかった。 

 


 

 ゆずと別れて鈴花を家へ送るために自転車を押しながら帰路についていた。


「アタシさ、ゆずが転入してきた日の朝に司と会ったでしょ?」

「ああ、まだ二週間前の話なのになんだが一か月を過ごした気がする」

「あっはは、アタシもこの一週間バタバタしてたからね」

「で、その時がどうした?」

「ん、あの時さ~、なんだが司が遠くに行っちゃった気がしたんだ」

「――え?」


 俺が遠くに行った?

 どういうことか分からず首をかしげると、鈴花はにっこりと笑って答えた。


「その時はアタシも訳が分からなかったんだけど、司がゆずの戦いを見に行く前にもアタシと話したでしょ? その時も一層遠くに行った気がしてすごく不安だったんだ」

「不安ってなんの――」

「司がアタシの前から居なくなるんじゃないかって」


 そう言う鈴花の表情は冗談を言うようなものではなく、本当に不安を抱えていたという憂いを帯びたものだった。


「唖喰のことを知って、魔導少女になれば司と一緒に居られるって嬉しかったんだよ? まぁその後慢心してこのザマだけどね」


 苦笑いをしながら鈴花は左腕に巻いているギプスをポンッと叩いた。

 

 けど、なぁ、今の鈴花の言葉って……。


「……お前今のセリフなんか告白ぽかったぞ」

「はぁ? いや、単に友情百パーだから。自惚れんな」

「ぐっ……!」


 えぇ、今の俺が悪いの……?

 紛らわしい言い方しやが――あ、俺も人の事言えないわ。


「とにかく、アタシが魔導少女なろうとした理由は大事な大事な親友が自分の知らないに行くのが不安だったからなのだ~」

「世界の人々を守るより自分の友情優先とかなんて罰当たりなんだ……」

「理由なんて〝世界のため~〟とかそんな大言壮語なやつより、単純な方が説得力あるでしょ?」

「……違いないな」


 納得してしまった。

 鈴花の言う通り世の中複雑な言葉より単純な言葉の方が分かりやすいもんだ。

 

 そう考えるとゆずが魔導少女として唖喰と戦う理由も、俺が思っている程壮大な背景はないのかもしれない。


 実際それが本当かどうかは、やっぱりゆず本人に聞かない限り分からないけどな。


 それからは無言のまま、俺と鈴花は互いの家に帰った。

 

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