30話 死の恐怖と後悔に苛まれる少女は希望の光に救われる


 それが声だと気づくまで数秒、声が自分の声だと気づくまでにはさらに数秒掛かった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!」

 

  抉られた左腕から全身に針を入れられたような激痛でのたうち回る鈴花の絶叫はただひたすら痛みを訴え、現実を否定するものだった。

 だが、いくら叫んだところで痛みが消えることはなく、如何に現実から目を逸らそうとしても、痛みが〝これは現実だ〟と容赦なく突き付けてくる。


 すぐに治癒術式を使えば治せるが、今までの戦闘で大けがを負ったことがない鈴花には片腕を無くすという未経験の重傷からくる激痛で冷静な判断力が失われていたため、治癒術式を使うという考えが浮かばないのだ。


 それはかつて司が指摘していた通り、いざ重傷を負った時に治癒術式を発動させられる冷静さを保っていられるのかという状況そのものであり、鈴花はその冷静さを失っていた。


「あぁあがぁ! ぐうぅうぅぅ! い、いああああああああ!!」


 のたうち回ったことで顔や髪は血で赤く濡れ、目からは涙が止まらなかった。

 これが慢心の報いだと、世界から罰を受けているような姿に変わり果てていた。


(なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして!!!?)


 どうしてこんな目に遭う?

 何かの間違いだ。

 

 そんな惨めな訴えが頭に何度も浮かんでは消え、また浮かんでは消えを繰り返す様は、完全に思考の坩堝にハマっていた。


 文字通り体から血の気が引いていくことに鈴花は堪えようのない恐怖にさらに身を震わせた。


(無理だ、こんなの耐えられるわけない! 並木さんはこんな怪我を何十回もしてるのにどうしてあんなに平然としているの!!?)


 教導であるゆずを思い浮かべた。

 鈴花は彼女に過去にどんな怪我を負ったのか聞いた時、今の鈴花のように腕を無くしたことがあると言っていたことを思い出していた。


 その時はどこか他人事のように思っていたが、自分が同じ状況に陥って初めてゆずの精神力や忍耐力がどれだけずば抜けているのか理解した。


 同時に自分には同じように耐えられないことも。


 鈴花は今になって初めて唖喰と戦うことがどれだけ過酷なことなのか理解した。

 ゆずだけでなく歴代の魔導士達はこんな重傷を負うような目に遭っていたのに、自分だけが無事でいられる理由も根拠も無しに、鈴花は戦っていたと痛感した。

    

(司や並木さんの言う通りだ……アタシは才能に胡坐あぐらをかいて慢心していたんだ……こうなる前にアタシの慢心を止めようとしてくれていたのに……アタシ、馬鹿だ。二人の言うことに耳も貸さずにいたからバチが当たったんだ……)


 二人が自分のために言ってくれていた言葉をないがしろにしていたことに気付いた鈴花は悔恨の念に圧されていた。


 そんな鈴花に介入してくるものがいた。


 上位クラスの唖喰、グランドローパー。 


 そう、未だ戦闘中なのだ。

 そんな中で痛みに悶えていれば絶好の獲物として狙われて当然だというように、グランドローパーは赤黒い触手で鈴花の体を雁字がんじがらめにした。


 そしてそれは鈴花の体に新たな苦痛を与えることとなる。

 ジュウジュウと体が溶かされ、肉が焼ける匂いが鈴花の鼻を掠めた。


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!」


 まるで焼き印を全身に余すことなく押し付けられているような激痛に鈴花の悲鳴が一層強くなる。

 鈴花は触手に捕まる寸前に魔導装束に魔力を流すことよって展開されている障壁のおかげで熱を感じる程度に抑えられているが、残り少ない魔力が尽きてしまえばあっという間に溶かされて、死は免れないことは明白だった。


(いやいやいや熱い熱い熱い熱い!!!? どうにかしなきゃこのままじゃ死ん――)


 そこまで考えたところで鈴花の思考はピタリと止まった。


 ――死ぬ? 


 このままでは死ぬ。

 激痛で頭が回らない鈴花がそう感じた時、鈴花の起こした行動は物語のように力に目覚めたりすることでも、抗う意思を宿すこともなかった。


「――ぃ、ゃ……いやあああああああああああ!!!!!」


 鈴花は掠れるような呟きのあと今まで以上の悲鳴を上げた。


「嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない! 死にたくない!!」


 それまで感じていた恐怖の正体が死の恐怖だと分かった鈴花は死にたくないと叫ぶことしか出来なかった。


「クウウウゥゥゥゥ……」


 グランドローパーは鈴花の叫びに愉悦的な鳴き声を発した。

 鈴花にはそれが堪らなく恐ろしかった。


「……嫌だ……死に……た…く……ない……」


 絶叫を上げて痛めた喉から必死に声を搾りだす。


 ――まだやりたいことがたくさんあるのに……。


 ――まだ十五年しか生きていないのに……。


 ――まだ並木さんに〝心配してくれてありがとう〟って伝えてない。


 ――まだ司に〝酷いこと言ってごめん〟って伝えてない。


 鈴花は死の恐怖に晒された中で後悔と懺悔の念を浮かべる。


 ――ほんとは分かってた。調子に乗ってたアタシが悪いんだって……ちょっとくらいいい気分に浸っていたいって思っていた、アタシが悪い。

 

 ――調子に乗るな、皆心配してる……司の言った通りだ……唖喰がどれだけ危険な存在なのかしっかりと理解していて、慢心するアタシを説得してくれたのに、アタシはそれを意固地になって突っぱねて、こんなことになった。

 

 一度溢れた後悔の気持ちが止まらない。

 小学生の頃からの友人がこうならないようどれだけ心配をしていたのか思い返すと、心苦しくなった。

 

 ――並木さんの言う通り、合流してから戦えばよかった……でもきっと慢心したままでまた皆に迷惑を掛けていたかもしれないから結局こうなったかも。

 

 ――もう……魔力がほとんど残ってない……嫌だなぁ……死にたく……ないなぁ。


 意識が遠のいていくのを実感する鈴花は涙で濡れた目を徐々に閉じていこうとし……。




「橘さん!!!」




 自分の教導である魔導少女の声が聞こえて、その目を開いた。


「…………な、みき……さ……?」


 鈴花が声を向けた方へ顔を向けると、ゆずがそこにいた。

 鈴花がそう呟いたのはゆずがこの場に来たことと、その表情だった。


 鈴花を捕らえるグランドローパーを鋭い眼光で睨みつけ、ただならぬ気配を漂わせていた。

 そう。無表情からあまり変わらないゆずは怒りを露わにしていた。

 

 いつも無表情のゆずがなぜ……そう思う鈴花はすぐに堪えに辿り着いた。


 ――アタシが傷ついているから怒っているの……?


 不出来な後輩だと見捨てられて当然だと思っていた鈴花は、ゆずが鈴花のことで怒りを抱いている。


「クイィィィィィ!」

「っなみ――ぐあぁ!?」


 グランドローパーが鈴花を捕らえてるのとは別の赤黒い触手をゆずに向けて突き出した。

 鈴花は危ないと口にしようとするが、触手の締め付けが強くなったことで遮られてしまった。


「攻撃術式発動、光剣六連展開」


 ゆずが術式を発動させると、彼女の周囲に光の剣が展開された。

 展開された六つの光剣で以ってゆずは迫り来る触手を一瞬で切り裂いていった。


「ク……クィ!?」


 ゆずが操った光剣の動きが見えなかったのか、グランドローパーはゆずの存在に圧倒されて動きを止めた。


 光剣を六本同時に操ることもそうだが、一回振るえば消えるはずである光の剣はその輝きを失うことなく展開され続けていた。


 これはゆずが光剣一本に込める魔力量が鈴花の時より多いためであるが、その光は鈴花にとってこれ以上ない救いの光に見えた。


「その人を……離してください」

「――!」


 その一言で鈴花の疑問は確信に変わった。

 ゆずは唖喰から自分を助けようとしてくれる。


 ――どうして並木さんはアタシを助けようとしてくれるの? 馬鹿みたいに慢心して、迷惑ばかりかけたアタシを……。


 ゆずが助けようとしてくれる理由は分からずとも、死なない可能性が生まれたことに鈴花は涙が止まらなかった。


「……どう、し……て?」


 だから問いかけた。


 どうしてと。


 それがゆずに聞こえたのか、彼女は戦闘中であるこの場で……。


 

 ふわりと微笑んだ。

 


 それは微笑みといえば過言になる程口元をわずかに緩ませた些細な変化であった。

 しかし、それでも確かにゆずは微笑んだ。

 

 さながら戦場に咲く一輪の花のように、ゆずの微笑みは鈴花も、唖喰であるグランドローパーすらも呆気に取られた。


「『鈴花のこと頼む』と、司君に託されました」

「――! ……ぅく」


 嗚咽が漏れた瞬間だった。


 ゆずだけではない。

 あれだけ酷いことを言ったのに司も鈴花を見限ることはなかったのだ。


 その事実に鈴花は涙を堪えることなど出来なかった。


 ――ちゃんと生きて謝りたい。


 そう思った。


 ――ごめんね、仲直りしようって。 


 だからこそ願った。


「……た…す……けて」

 

 精一杯絞り出した小さな、小さな声。

 あまりにか細いそれは……。


「はい、今、助けます」


 ゆずに届いた。

 助けを乞われた魔導少女は囚われの後輩のもとへと歩きだす。


「クイイイィィィィィィィ!!!」


 グランドローパーが鈴花に致命傷を負わせた黒く巨大な触手をゆずに向けて伸ばす。

 

 鈴花が受けたように黒い触手の脅威はその二メートル以上の大きさによる一撃の重さだけでなく、受けた四肢を抉り取れるほどの強酸性にある。


 食らえばまず重傷を免れないそれに対してゆずの行動は……。


「固有術式発動、プリズムフォース」


 虹色に輝く障壁にて退けた。

 この固有術式は障壁を七重に重ねて展開する防御術式である。

 相応の魔力量を消費するが、理論上は核爆弾ですら耐えられる頑強さを誇るほどの強力な防御系の固有術式である。


 しかし守っていては唖喰を倒すことは出来ない。


 遠目で見ても鈴花の容態は急を要する。

 治療のため早急に鈴花の救出をする必要があるゆずは短期決戦でケリを着けるため、七重の障壁を解除して一気にグランドローパーの元へ駆け出す。


「クアアアアアアアア!!!」


 せっかく捕らえた獲物鈴花を盗られまいとグランドローパーが赤黒い触手をゆずに向けてその進路を妨害する。


 左右から横薙ぎに振るわれた触手をゆずは跳躍して躱す。


「攻撃術式発動、光剣四十連展開」


 ゆずの詠唱を聞いて鈴花は思わず耳を疑った。

 自分は最大で八連展開がやっとだというのに、ゆずは五倍の四十も展開しようと言うのだ。


 一瞬冗談かと思えたそれは冗談などではないとすぐに知った。


 空中で両手を広げるゆずの周囲に光の剣が次々と形成・展開されていった光景は、天使の翼を連想させるほど神々しさがあった。


 展開された光の剣は一斉にグランドローパーへと矛先を定め……。


「発射」


 グランドローパーの本体である中央の球体へ……ではなくグランドローパーの触手を地面に釘を打つように固定していった。


 グランドローパーは触手を必死に動かしてゆずへ攻撃しようとするが、地面に縫い付けられた触手はピクリとも動かなかった。


『どうせ再生するのですから光剣などで地面に打ち付けてしまえばその分相手の手数を減らせます』


 鈴花はゆずの授業でグランドローパーが出た時の話を思い出した。

 どうしてそんな攻略法を忘れていたのかと思ったが、目の前の光景をみて理解した。 


(あんな大量の光剣を一回で出して、狙いやすいとは言えない触手を全弾命中は流石に無茶苦茶だよ……)


 ゆずのような経験豊富な魔導少女にしか出来ない芸当であったからだ。   

 もちろん魔導士歴三年の静でも似たようなことは出来るが、それでも数回に分けてやっとである。


 あっさりと攻撃手段を封じられたグランドローパーが呆けている隙にゆずは鈴花を助けるために動いた。


「攻撃術式発動、光弾展開、発射」


 たった一発の光弾を放ち、それは鈴花を捕らえていた赤黒い触手に被弾して消滅させた。


「きゃあ!?」

「防御術式発動、障壁展開」


 鈴花は突然拘束から解放されたことに驚きの声をあげる。

 だが鈴花を解放したものの落下死させては意味がないため、ゆずは障壁を斜めにして展開し、鈴花を滑り台のように自身のもとへと滑らせた。


「防御術式発動、結界陣展開」


 そして鈴花に被害が及ばないように結界陣で彼女の安全を確保した。


「あ、ありがと、並木さん」

「お礼を言われるほどではありません。それよりも早く治療をしてください」


 鈴花はゆずにお礼を言うが、ゆずは有無も言わさずに治療を促した。


「治療……あ、そうか、治癒術式を使えばいいんだ……治癒術式発動」


 ゆずに促されて治癒術式の存在を思い出した鈴花は治癒術式を発動させて、傷を治す。

 

「う、わぁ……! 腕が、治っていく」


 鈴花のグランドローパーに溶かされた左腕が光に包まれて元に戻っていく。

 

 元から治癒術式は四肢の欠損すら治せると聞いていたが、実際に効果を目にして鈴花は心の底から安堵の声が出た。  


 その様子を見ていたゆずはグランドローパーの方へ向き合った。


「ク、クアアアアアアア!!!」


 獲物を奪われたことに怒り心頭といったようにグランドローパーは甲高い咆哮を上げた。

 

「彼女はあなたのものではありませんよ」


 その反応にゆずは不快感を隠さずにそう淡々と告げた。


 後は倒すだけとなったグランドローパーと決着をつけるため、ゆずは右手を掲げて固有術式を発動させる。


「固有術式発動、クリティカルブレイバー」


 瞬間ゆずの頭上に魔法陣が現れ、そこから一筋の光が彼女の右手に落ちる。

 すると、閃光が瞬いたかと思うと、ゆずの右手には眩い輝きを放つ光の大剣が握られていた。


 それは一振りごとに膨大な魔力が必要であり、ゆずですらたった一振りしか使えない究極の攻撃性能を誇るゆずの固有術式の中でも最大級のものだった。


 その光の大剣を両手で構え、ゆずが走りだす。


 その大剣が明らかに危険だと判断したグランドローパーは唯一動かせる黒い触手をゆずに向かって伸ばしていく。


 大剣はたった一回しか振るうことが出来ない。

 そのため、向かってくる触手を斬るわけにはいかない。

 両手も塞がっているためほかの術式も使えない。


 八方塞がりに見える中、ゆずは一瞬も迷うことなく……特攻する。


 黒い触手が来る。

 その大きさでもってゆずを叩き潰そうとしているとは明白であった。


 それでも止まらない――いや、ゆずはさらに加速する。


 このまま叩きつけようとしてもゆずには避けられると判断したのかグランドローパーは黒い触手を叩きつけるのではなく、横薙ぎにする方に切り替えた。


 これで止まるだろうと思ったグランドローパーの予想と違い、ゆずは跳躍した。


 しかし、咄嗟のことだったため、ゆずの左足は黒い触手によって溶かされてしまった。


 さぞ苦痛に苦しんでいるだろうとグランドローパーがゆずへ視線を向けると……。



 ゆずは自身の足など関係ないとばかりに緑の瞳はただただ敵のみを捕らえて離さなかった。



「はああああああああああああっっっ!!!!!」



 そうして唐竹の動作で上段から振るわれた極光の大剣がグランドローパーを切り裂いた瞬間、辺りが光に包まれた。


 その光は夜の暗闇を照らす極光となり、夜空を一瞬だけ白夜に染め上げた。

 

「うっぐううっ!?」


 あまりの眩しさに鈴花は右腕で目を覆った。

 目を閉じていても、鈴花にはゆずがあの大剣にどれだけ膨大な魔力量を注ぎ込んだのかわかった。


(光剣を四十本も展開したり、障壁で滑り台を作ったり、この光といい、並木さんって魔導士の中でも滅茶苦茶強いんじゃないの!!?)


 そう思うほどの圧倒的な魔力量の差だった。

 そして閃光がおさまり、鈴花は恐る恐る目を開けて前方を見やる。 

 

 グランドローパーが居た場所にはいつの間にか左足を治癒術式で治したゆずだけが立っていた。  


 それだけで鈴花はゆずの放った究極の一撃によってグラントローパーが塵も残さずに消滅したことを察した。


 自分があれだけ苦しめられた相手が一撃である。

 鈴花は自分とゆずにある実力差に呆気に取られるしかなかった。

 

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