6話 前任の日常指導係


 四月十三日の朝。


 俺は自分の席に座って、並木さんが来るのを待っていた。


 石谷が企画している並木さんの歓迎会のために、彼女の好みを知る必要がある。


 だから並木さんを来るのを今か今かと待ち望んでいる。


「はよっす、司」

「おはよう石谷。人数とか時期は決まったのか?」

「おうよ、時期はゴールデンウィーク前で、人数は主役の並木さん以外クラス全員参加だぜ」

「……みんな参加するのか?」

「ちょっと……いやだいぶ変わってるけど、並木さんみたいな美少女と仲良くしたいのは男子も女子も一緒ってことだろ」

「……」


 外見がいいからって、仲良くしたいなんてもの好きなと思わなくもないが、歓迎会を盛り上げるならこれ以上ないありがたさだ。


「それに、並木さんがクラスに馴染めるようにお前が色々頑張ってるのはみんな知ってるんだぜ」

「――っ!」


 胸の奥が熱を灯したのが分かった。


 結果は何も出せていないけど、努力を称賛されたからだ。

 俺はそれが堪らなく嬉しかった。


「でもあのほっぺの怪我はびっくりしたな~」

「ああ、むしろ頬で済んでよかったよ」

「いやいや、美少女の顔に怪我をさせるなんて神様ってひどいよな~」

「……だな」


 神様か……。

 人の生きる世界に侵攻してくる唖喰を放置している神様になんて祈る気にもならないな……でも唖喰に対抗できる魔力があるのは、力はあげたからあとは自分達でなんとかしろっていう神様的妥協案かもしれない……いや男に魔力を操る才能を授けなかった時点でやっぱ駄目だな。


 そうじゃなかったらこんなにモヤモヤすることもなかったのに。


「おはようございます」


 そんな考え事をしていると、並木さんが来た。


「あ、並木さん、おは――きゃあっ!? なにそれ!?」

「え!?」


 並木さんに挨拶をしようとした鈴花の悲鳴に、クラス全員の視線が並木さんに向けられた。



 彼女の左手全体を覆うように包帯がグルグルに巻かれていた。



 ――昨日怪我は避けてくれって言ったのに!!?


 

 いや、避けてくれっていうのは俺の願望だし、並木さんがどうしても回避出来ない状況に追い込まれただけかも知れない……でも昨日の頬の傷も合わせて、クラス全員に並木さんを不審に思う空気が漂い始めた。


「えっと、並木さん? その左手、どうしたの?」


 鈴花が並木さんの左手が包帯に巻かれている経緯を訊ねた。


「今朝の朝食を作るときにお湯をひっくり返してしまい、火傷を負いました」


 いつものことだと言うように振る舞う並木さんにいぶかしむ視線を向けつつ、鈴花は質問を続ける。


「火傷って……痛みとかはない?」

「この通り、学業や運動に支障はありません」

「そ、そっか……なら良かった」


 並木さんは左手を開いたり閉じたりして問題がないことを確かめさせた。


 本人の言葉を一応は信じたクラスメイト達は各々の友人と会話を再開し、並木さんももう話すことはないとばかりにさっさと自分の席に着いた。


 確かに並木さんの手に問題はない。

 問題なのは二日続いて怪我をしたという事実だ。


 並木さんはモデル顔負けの美少女だ。

 そんな彼女が短期間にガーゼや包帯を使うような怪我を負って、本人はいつも通りのような振る舞いをしていれば、不信感の一つや二つは簡単に募る。


 今はまだ並木さんが転入して一週間も経っていないことと、美少女という免罪符で誤魔化せるが、いずれ募った不信感が爆発してしまうと、彼女はこの学校に来なくなってしまうかもしれない。


 早く彼女の日常指導係の俺が何とかしないと、このままじゃ並木さんを傷付けてしまうかもしれない。


 そのためにも彼女とちゃんと話し合う必要がある。


「……おはよう、並木さん」

「おはようございます、竜胆君」

「今日の昼休み、また屋上で」

「分かりました」


 並木さんは俺と顔を合わせずにそう答えた。


 そうして始まった一限目の英語の授業で、並木さんは本場と遜色ない英会話を披露した。





 ――昼休み――


「今日はどのような話なのでしょうか?」

「……その左手の怪我」

「お察しの通り昨日の戦闘で負った怪我です」

「……どうしてそんな怪我を負ったんだ?」


 唖喰との戦闘中に負ったのは分かる。

 けど相談してくれれば、素人目線でも何か助言が出来るのかもしれない。

 そう思って聞いた問いは……。


「竜胆君が知る必要はありません」

「――っ、またそれかよ」


 昨日と同じ言葉を言われて拒絶された。

 心配しているのが微塵も伝わっていないな。


「並木さん、俺は君の日常指導を初咲さんから任されたんだ。だから……」

「私は唖喰を倒す魔導士で、竜胆君は日常指導です。唖喰との戦いを竜胆君が知ってどのような意味があるのでしょうか?」

「だから、君が今まで過ごしてきた日々を知って、そこから日常指導に活かそうと……」

「活かして……それで?」

「それでって、俺は……」


 並木さんに日常を教えて、どうしたいんだ?


 彼女が魔導少女になった理由を知りたい。

 それをありのままに打ち明けても、さっきと同じように知る必要はないと切り捨てられてしまうだろう。


 じゃあ、魔導少女を辞めさせたい? 

 そんなの、世界を滅ぼしたいと言っているのと同じだ。

 

 ああ、駄目だ。

 イライラと不満が頭の中でグルグル回って、考えがうまくまとまらない。


「組織に勧誘され、一員となった人は数多くいます」

「……俺みたいにか?」

「ええ、幻想だと思っていた魔導への興味を持つ人、唖喰から世界を守る使命感に燃える人、本当にそれぞれの想いを持って……」


 そう語る並木さんの目は、いつもの無表情とは異なるものだった……でもその目は感傷に浸っているような暖かさはなく、虚しさしか感じさせないほど、冷え切っていた。


「その大半の人達が魔導と唖喰に深く関わっていく中でどんな言葉を発してきたのか、わかりますか?」

「……」

「〝話が違う〟〝こんなはずじゃなかった〟〝やめておけばよかった〟……自分に戦いに対する覚悟や自覚が足りなかったことを棚に上げて、周りを非難し始めました」

「っそんな自業自得じゃねえか……!?」


 俺も初咲さんから唖喰の説明を受けた時、何度も唖喰の恐ろしさを教えられた。

 初咲さんは人の命に係わるからこそ、しっかりと説明責任を果たすのだと話していた。


 なのに、その言い分はおかしいだろう。


「それに私の日常指導係は竜胆君で二人目です」

「――え、なんだそれ、それっていつの話だ!?」

「二年ほど前です。相手は以前通っていた中学校で同じクラスだった、同級生の男子です」


 その少年は俺と同じように唖喰に襲われているところを並木さんに助けられたという。

 そして魔導と唖喰のことを聞いた少年は、並木さんの日常指導係を引き受けた。


 当時の並木さんは今みたいに自炊をせず、食事を携帯食料で済ませていた時があった。

 それを否とした少年は並木さんに自炊を教えることで彼女の食生活を改善した。


 唖喰との戦闘後は少年に話して心の負担を減らしていたそうだ。


 少年の日常指導は順調だった。


 それが終わったのは、彼が日常指導係に就いて一月が経ったころだった。


「彼は私に話があるといいました」

「それは、どんな話だったんだ?」

「私に性行為を要求してきました」

「え、は、な、なんだそれ!!?」


 どうして日常指導から一転そんな要求が出てくるんだよ……。

 いや、まぁ少年の気持ちは分からなくもないけど……。


 簡単な話だ。

 並木さんのような美少女と日常的に接していくのは思春期真っ盛りの少年には色々思うところはあったのだろう。


 ただ、重要なのは要求の内容じゃなくて、要求をしたことそのものだ。


「彼は〝私に色々教えたのだから、自分の要求を聞くべきだ〟と言ってきました」


 そう、少年は命の恩人である並木さんに自分の日常指導係という立場を利用して迫ったのだ。

 ただ、少年には二つ誤算があった。


「初咲さんの方針で必要最低限の勉学を身に着けていましたので、当然要求してきた性行為がどういったものかは把握しています」


 高校の授業にも余裕で付いて行けている並木さんを、日常を知らないから性知識も無知だと誤解したのだ。


 もう一つは、並木さんは他人でも命を平等に守るから、助けられたから自分を特別視したこと。


「当然、私は拒否しました」


 並木さんはきっぱりと断った。

 でも少年は納得せずに逆上して……。


「〝話が違う〟〝なんのために優しくしてきたんだ〟〝顔が綺麗じゃなかったら誰もお前を相手になんかしなかった〟と彼は憤慨していました。私はそこでようやく彼私の日常指導係を引き受けた理由が私の体目当てだったと理解しました」


 少年を気絶させ、事の次第を初咲さんに報告したあと、少年の記憶から魔導と唖喰のこと、並木さんのことを消去したため、少年は普通の日常に戻った。


 それが前任の日常指導係が辿った末路だ。


 俺は疑問に思った。

 並木さんがなぜこのタイミングで前任の日常指導係の話をしたのか……。


「竜胆君」

「……なんだ」

「私は、あなたに一切期待していません」

「――っ!」


 並木さんが俺に期待していない。

 くそ、分かっていたのに……。


 両手を握る拳の力が増す。

 爪が手の平に食い込んで痛みが走るが、それは怒りを自制するためのものだ。

 ここで怒りをぶちまけても、それこそ俺の力不足を決定付けるだけだ。


 期待していない。

 この言葉は言外に〝お前も同じなんだろう〟言っているのと同じだった。


 並木さんがどうして頑なに唖喰との戦いの詳細を語るのを拒むのかもわかった。

 単純に俺の命を気遣うと同時に、弱みを見せたくなかったからだ。


 いつ寝首をかかれてもおかしくないと、俺を警戒し続けていた。

 彼女をそうさせるのは、他ならない裏切りがあったからだった。


 ――俺はそんなことしない。


 そう言えないのは、言ったところで証明する方法が無いからだ。

 言葉だけで並木さんから信頼を得るなど、熟練の詐欺師でも不可能だろう。


「……できればこのまま、魔導と唖喰の記憶を消すことをお勧めします。では」


 もう話は終わりだと告げるように、並木さんはそう言って屋上を出た。

 

 一人残された俺は、一体どうするべきだったのか頭を悩ませながら、ゆっくりと重い足取りで教室へ戻った。





 ――放課後―― 


 部活が無く、買う予定の本の発売日であるため、商店街の南方面にある本屋で目的の本を買った俺は、屋上での並木さんとの会話を思い出しながら歩いていた。


 並木さんからどうやって信頼を得るのか……違う違う! 

 考えるのは彼女がどうすれば充実した学校生活や日常生活を送れるのかだ!


 でも、それも彼女から信頼してもらえないとどうしようもない……駄目だ、結局そこに行きつく……。


 並木さんのために何かしようとするためには、並木さんの信頼を得る必要がある、でもそのために何をすればいいのか悩むといった感じに思考の坩堝るつぼに嵌まっていた。


 最早手詰まりすら感じる。


 レースをするためのスタート地点に立ててすらいないのに、投げ出すのかと自分に問いかけても、じゃあどうする? という風に行き詰まりになる。


 ――もう、やめようかな。


 そんな考えが浮かんだことを否定したくて首を横に振る。


 ――駄目だ駄目だ!


 なんかネガティブ思考が抜けきらない!

 そうして悶々とした悩みをどうしたものか解決の糸口を探っていると、声を掛けられた。


「ねえ君、竜胆司君だよね?」

「えっ!?」


 声の方に振り向くと、見知らぬ二人組の女性が立っていた。

 大学生くらいか? なんで俺の名前を知っているんだ?

 ストーカー? 警察関係?


 様々な憶測が浮かんでは消え、答えが出ないままでいると、声を掛けてきたのとは別の女性が口を開いた。


「もう、先輩! 一方的に自分のことを知っている人から声を掛けられたらストーカーと勘違いされちゃいますよ?」

「うわ、本当ね。ごめんなさい竜胆君」

「あ、い、いえ、でもどうして俺の名前を?」


 俺が疑問を口にすると、最初に声を掛けて来た人が俺の耳に顔を近づけて――って近いよ!?

 うわ、なんかいい匂いする!?


?」

「――っ、なんでそれを!!?」

 

 俺は魔導の関係者でしか知りえない情報を口にした女性に警戒心を向けた。

 すると、もう片方の女性が慌てた様子で止めに入った。


「ああ、待って待って! 私達、並木ちゃんと同じ魔導士なの! つまり君の味方!」

「……え、魔導、士?」


 あ、そっか。

 組織の人間なら俺がどんな立ち位置なのか知っていて当然だよな……なんで名前と顔がわれてんのかは知らないけど。


「そうそう、君のことは組織内でも噂になっているから、ここで見かけてちょっとお話しようとおもっていたのよ」

「私は止めたんだけどね? でも並木ちゃんと一緒じゃないんだね……」

「あ、それは、今日ちょっと……」


 本当のことを言っていいのか言い淀むと、二人は互いに視線を合わせて頷いたあと……。


「詳しい話を聞かせてもらおうかしら」

「何か悩みがあるのなら相談してね?」


 そう言いつつ俺の両脇を掴んで、俺を連行していく。


「え、え、いやいやいやいや!!!? 俺をどこに連れていくつもりですか!!?」

「話をしようにもここじゃ人目が付くから、人のいない場所に……」

「現在進行形で人目についていますけど!? ほら、なんかあっちの主婦に〝あの男の子二股でも掛けたのかしら〟って訝しげな視線を向けられていますけど!?」

「誤解してくれているならそれに乗っかったほうが都合がいいですよ」

「なに高い対応力みせてんですか!?」


 俺の叫びもむなしく、俺は突如現れた二人に連れて行かれた。

  

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