第50話、牧田啓一郎
1人残った部屋で牧田は自身に降りかかった災難を思い出す。
牧田は20代の半ば、大学の研究室で縄文人系とチベット人にだけに存在されると言われる染色体の研究に没頭していた。
その神の遺伝子と噂された染色体に様々な試行錯誤を行い、その過程で未知の生命が誕生する可能性を突き止めた。人体実験で効果を試せる筈も無く、最後は自らと彼の妻を実験台にして。
最初に発現出来たのは小動物だった。だが牧田夫妻は研究の成果に歓喜した。
そして論文を学会に公表する手続きに入った頃に、厚生労働省から遣いの者が現れ、牧田は人生で初めて霞ヶ浦に出向く。
牧田が入室を促され入ると中には、大手医薬品メーカーの会長と、当時の防衛大臣、厚生労働大臣と面会する。
話は彼の意思に関係無く物事が決まっていった。
牧田は論文を学会に発表しないことの見返りに、国の研究機関の所長という大役を得た。
大勢の研究員、潤沢な研究費を与えられこれまで細々としか出来なかった研究が一気に進んだ事で名声は得られなかったが、実利を得ることが出来た。
そうして数年が経ち、その間に子供も産まれ順風満帆だった牧田の人生に陰りが差し始めたのは妻が病に倒れてからだ。
研究に明け暮れた牧田は妻の異変に気づかなかった。
病院で検査を受けたときには既に末期の状態で、余命を数えた方が早かった。
妻はそれから半年も待たずに他界する。
これまで苦楽をともにした妻の死に牧田は人の人生の儚さを悟る。
そしてそれは研究に更なる追い打ちを掛けた。
世間では人道、倫理、宗教上の問題から反対されるであろう人のクローンを生み出し、その子供を使いパンとして覚醒させる研究を開始する。
国も牧田のその研究に異存を唱えなかった。
むしろ研究費の大幅な増額があり推奨された。
日本はその当時、北海道と沖縄に敵国が攻め込んできていた事で新たな戦闘力としてヒートヘイズの力を必要としていた。
――そしてあの事件が起きる。
牧田が遺伝子研究の権威達と打ち合わせを行っている最中に、母親を失い牧田の研究室で育てられた娘が当時神軍から出向させられていた長田源治郎の不注意からクローンの子供と共に暴走――。
研究所と牧田が開発してきた研究データは全て灰燼と化し、愛娘は討伐に現れた軍のヒートヘイズ達によって殺された。
牧田は失意の中にありながら考える。
なぜ?
娘に投薬をしてはいけない事は研究所の研究員達ならば誰もが知っていた。
それなのになぜ?
暴走は起こりえないと考えていた自身の考えが間違っていたのだろうか?
牧田はかぶりを振るとそれを脳内から一掃した。
火の粉が吹き飛ぶ中、牧田は長田の姿を目撃したからだ。
他の軽傷者と比べ重傷を負っている長田を見て全てを悟った。
常日頃から野心が強く、結果を焦っていた長田の生け贄に娘はされたのだと――。
牧田は日本の軍人、政府を信じられなくなり以前から接触をはかってきていたステイツに連絡を取った。
日本ではあの事件で牧田は死んだとされたが、ステイツに渡った牧田は日本人だけがパンとなれる訳では無い事に気づく。
莫大な軍事予算、優秀な研究者達、雇用に漏れた若者の協力を得て僅か3年でパンの人口が増大する。
だがここでも牧田の思惑は覆される。
日本での暴走事故を調査していた軍は、より強力なヒートヘイズを求めパン同士による子供の育成に力を注ぎ始めた。
牧田は己を利用し軍事利用を推し進める者達への復讐と、それらの根源、弱い者を虐げ利権にまみれた者達を淘汰する為に、表ではそれに強力する振りをして、裏ではこつこつと計画を進めていった。
「神か……」
過去を思い起こしていた牧田はぽつりと言葉をこぼす。
神というモノが実際にいるのなら、何故――妻は死んだ。
何故――娘まで失わなければいけなかった。
苦しいときの神頼みとはよく言ったものだが、そもそも無許可で神の領域に足を踏み入れたのは、牧田自身だ。
ファウヌスが善意の塊であったならば、牧田は跪いてでも懇願したことだろう。
妻と娘を返してくれと――。
だが――先程の会話からくみ取れるのは善とは真逆のものだった。
神はサイコロを振らないとは偉大な発明家の言葉だが、神はサイコロを操る。
全ては神のお心次第。
この世に神を発現させた罰なのかもしれないな。
「あはははははは――――――」
牧田は1人の個室で狂ったように笑った。
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