第48話、困惑

 雪を収容した救急医療車の中では救急隊員達が驚愕の面持ちを浮かべていた。


「この患者、刺されたのが2時間も前って事だけど……信じられん」

「お、お兄ちゃんの容体はそんなに悪いんですか?」


 ここまで珠恵のスライムに覆われていた雪の身体には現在、止血のガーゼが貼られているが、救急隊員達には命の危機にある患者には見えなかった。

 雪に付き添って乗車してきた雛がそんな者達を訝しみ問いかけた。


「いやぁ、その逆なんだよ。普通はこれだけの怪我を負っていれば顔面は蒼白、脈拍は増加しているのが普通なんだ。でもこの患者は――脈が58で安定している。あくまでも一般的な話なんだが、血が少なくなると当然体内に循環させる血液が減る、血が減るということは体内に運ぶ酸素の量も減るから身体は酸素を求めて脈を早くするんだ。それが君のお兄さんの脈は一般的な数値と変わらない」

「それじゃ兄は助かるんですね?」

「私らは医者じゃないんで断言は出来ないけど――腹部の傷を見なかったらまたお騒がせな患者かよって思っていたかもね」


 雪の身体を覆っていたスライムが破損箇所の内臓を圧迫している内に血が固まり奇しくも患部を繋ぎ合わせていた。珠恵と離れスライムが解除されても出血が起きなかったのは嬉しい誤算だったろう。

 神軍中央病院へ到着したのはそれから数分後。

 ストレッチャーで真っ直ぐ手術室へ運ばれた雪だったが、雪の両親が連絡を受けて駆けつけた2時間後には既に手術は終わっていた。


 病院に慌ただしく駆けつけた久流彌家の父と母は、夜間通用口から受け付けにたどり着く前に飲料水の販売機の前に立つ雛と出くわした。


「雛! 大丈夫だったか? せ、雪はどうなった?」


 慌てた父親が雛の無事な姿に安堵するが、すぐさま雪の容体を尋ねる。


「うん、私はこの通り! 大丈夫だよ。お兄ちゃんも――多少出血はしたけど命に別状は無いってさ」


 雛は笑みを浮かべて細い腕に力こぶを作るように両親に見せると、兄の容体を説明した。

 雛からの説明を聞き両親が安堵の吐息を漏らすと、待合室の椅子に座りジッと一家の様子を眺めていたスーツ姿の男女が立ち上がる。ゆっくりとした所作で近づくと久流彌一家の前で停止し軍関係者らしく敬礼で迎えられた。


 それから1時間後、

 雪の病室に備えられた簡易椅子に腰掛けた父が大きくため息を吐く。


「それにしても、まさか俺たちまで護衛されることになるとはな――軍は一体何を雪にさせてたんだ?」

「あらあなた、前に話したじゃありませんか。今世間を騒がせているヒートなんちゃらってのを雪が使えるからまだ高校生なのに少尉に昇進まで出来たって」

「お母さん、違うよ。ヒートヘイズだから。それにお兄ちゃんのヒートヘイズは凄いんだよ」

「この子にそんな凄いことが出来るとは思えないんだけど……」

「まったくだ、なんせ俺の息子だからな」

「うふふっ、お父さんったら」


 待合室で軍関係者から告げられたのは、今回の雛誘拐事件の様な真似が次も起きないとは限らない事から久流彌家の者に対し護衛を付けることになったとの知らせであった。

 雪の手術は患部を縫合するだけに止まり、手術時間も短時間で済んだ。

 簡単な手術だった事で全身麻酔では無く、局所麻酔で済んだ雪が騒がしい病室に気づき意識を取り戻す。


「ん、ここは――っていうか人が寝てるのに何でそこでイチャイチャしている訳?」

「あっ、お兄ちゃん起きたんだ。あんま無理しない方がいいってよ。傷口開くから」

「はぁ? 傷っ――そういえば、あいつらはどうなった! ――っ痛てぇ」


 雪が半身を起こしかけた所で腹部に痛みが走り苦悶の表情を漏らす。


「だから無理しない方がいいって言ったじゃん。お兄ちゃん覚えてないの? 敵のヒートヘイズに刺された事とか」


 苦痛に顔を歪めながら雪は思い出す。

 が、雪には少年のヒートヘイズがファウヌスの尻尾によって貫かれた記憶までしか無い。


「一体、なんの事だ? 3人の少年少女を発見して、その瞬間には肩に痛みが走って……その後、それをファウヌスが退治した所までは覚えているんだけど……」

「私も聞いた話だから詳しくは無いけど、その後突然現れたヒートヘイズにお兄ちゃん、お腹刺されたんだよ」

「はぁ? あそこにそんなもんいなかっただろうに……」

「雛に言われてもわからないよ。当事者のファウヌスに聞いてみれば?」

「ばっ――」


 ヒートヘイズの詳しい情報はやむを得ない状況で無い限り家族にも秘密だ。

 特にファウヌスに関しては。

 雪は雛を窘めようと声を上げかけるが、すぐに病室内をキョロキョロ見回し盗聴器や監視カメラが無いか確認する。

 すると――。


『ご主人が心配しているような機器はこの部屋には無いぞ』


 久流彌家の4人しかいない筈の病室に第5の人物の声が――。

 それはイチャイチャしていた雪の両親をも驚かせるに十分だった。


「いっ、今の声は何だ?」

「あらあら、私達監視されていたのかしらね?」

「お母さん達は初めてだもんね。でも心配しなくてもいいよ。これがお兄ちゃんのヒートヘイズだから」


 両親がどこにそんなモノがいるんだとキョロキョロ見回していると、半身を起こしている雪の胸から黒い煙が湧き上がる。

 これには流石の両親も驚き瞳を大きく開けて絶句している。


『ご主人のご両親か。我の名はファウヌス。ご主人に宿ったヒートヘイズじゃ』


 子犬型のヒートヘイズに実体化し雪のベッドの足下に発現すると、それまで緊張感に包まれていた病室になんとも言えない空気が差し込む。


「犬っ?」

「お父さん、これは狼よ」

「お母さん、こんな小さな狼いるわけ無いじゃん。これは子犬だよ」

「みんな驚くとこはそこっ?」


 ほんわかとした空気に変わった病室ではファウヌスからの事情説明が行われていた。


「じゃぁ、何かよ。ファウヌスと同じ獣神が突然僕の真下に現れて、腹を突き刺したって事か?」

『うむ、先程説明した通りだ』

「半獣神じゃなく獣神かよ――」

「お兄ちゃん、半獣神と獣神ってどう違うの?」

「雪はこんな犬っころに負けたのか!」

「お父さん、そんな言い方したら雪がかわいそうですよ」

「親父達は黙っててくれないかな……」

「今の姿はこんな子犬だけど本当は凄いんだよ! 特撮のテレビに出てくる怪獣みたいに大きく変身出来るんだから」

「まぁ、それは凄いわね」

「へぇーこんな犬っころがねぇー」


 ファウヌスから同族がこの世界に発現したと聞かされ絶句する雪を尻目に、久流彌一家は終始和やかな雰囲気であった。

 実際には得体の知れない人語を話す子犬の話から、雪の身を案じてはいたのだが、両親としてはあくまでも明るく振る舞った形だ。


「雛、普通ヒートヘイズと呼ばれているのは人語を話さないし、自我が無いから発現させたパンの意思によってしか動かせない筈なんだ。そうだよな? ファウヌス」

『うむ。その認識であっておる』

「でだ、そのヒートヘイズを半獣神と呼ぶ。日本の神軍を始め世界各国で暴れているのも大概はそれにあたる。ここから先はこの場だけの秘密なんだけど、人語を話し自我を持つファウヌスの様なヒートヘイズは獣神というらしい。獣神が存在するって事自体――軍にも各国にも秘密にされている。だからファウヌスが獣神だというのを知っているのは那珂の島で戦闘に参加した6人だけだった。でもファウヌスの他にも獣神が存在するとなるとそれもまた変わってくる。だよなファウヌス」

『うむ。奴等がどんな目的であの都市を崩壊させたのかはわからぬが、表舞台に上がった以上は下手な小細工を労せずに我と同等の力を振るうだろうな』

「ファウヌスでも同類が何の目的で暴れたのかわからないの?」

『妹御、我等神獣は元々1つの存在なれど現在は袂を分かっておる。今が別の存在である以上は向こうの考えは我には読めぬ』

「って事はだ、獣神の存在が公になる日もそう遠い話じゃないって事か……」

「何だか難しい話をしている所悪いんだけど、雪、あなたは病人なんだからそろそろ休みなさい」


 ファウヌスから事のあらましを聞き終えた所で、母親から休むように諭され雪は横になる。

 他の3人はといえば、別の個室に久流彌家の3人が泊まれるように軍が手配してくれていた為、雛と両親は別室へと移動していった。


 3人が出て行った後、真っ暗になった病室で雪が呟く。


「そもそも神の末端である獣神がなんで殺戮の手助けをするんだよ……」

『ご主人は何か勘違いをしておるようじゃな。神には善も悪もありはせぬ。あるのは無味乾燥を嫌う飽くなき欲求だけだ』

「はぁ? なんだよ、それっ」

『神はこの世に人を誕生させた時からずっと変わらん。暇つぶしに生物を誕生させ飽きれば滅ぼす。その繰り返しじゃ』

「なんだって、それじゃ世界中の宗教は――」

『神を崇めよなどと神は望んではおらぬ。古来人間は神が起こす天変地異を恐れ、神のご機嫌伺いの為に生け贄を捧げ、厚い信仰を持つようになった。宗教など我等からすれば片腹痛いわ』

「それじゃ、僕を守ると言った言葉も嘘なのか? ファウヌス――お前の本当の目的は、奴等と同じなのか!」


 去年の夏に良いアルバイトだと思って臨床試験のバイトに参加した。

 そして軍が関与しているなどと一切知らされぬままにパンとなった。

 出来れば家でのんびりネットゲームやラノベを読んで楽しみたかった。

 軍や戦闘とは一切無縁の世界に生きてきた高校生の唯一の救いは自身が発現させた強力な力を持つファウヌスが自分の味方だった事だ。

 だが――先程の話は雪にしても許容できるものではない。

 神の名を冠する獣神の口から語られたのは――これまで信じてきた神=善ではなく、むしろ神こそが悪であると知らされたようなものなのだから。

 自身を守ると約束した事に対しても、飽くなき欲求の為なのだとしたら、その目的は?

 雪は疑心暗鬼に陥り心のありようを思うままにぶつけた。


『――我等獣神にも善なるもの、悪意あるものはおる。少なくとも我は後者では無い』


 ファウヌスはしばらく間を置いて、自身は良い獣神だとぬかす。


「誰がそう言われて信じろと言うんだよ! 古来、神は人類を滅ぼしてきたと言ったその舌の根の乾かぬうちに――」

『信じる信じないはご主人の勝手だ。だがよく考えろ、我がこれまでにご主人を害したか? 妹御を救ったのは誰だ? ご主人の求めに応じ戦ったのは誰だ? それが全てだ』


 雪にはもう言葉は無かった。

 那珂の島、お台場、大国、どれもこれも全て雪が望みそれをファウヌスが受け入れた。

 そこには飽くなき欲求を満たそうといった傲慢な神の姿は無い様に思えた。

 ファウヌスの言った言葉を噛みしめながら雪は深い眠りに落ちてく。

 そんな雪を子犬の姿のファウヌスはただ静かに見つめていた。




「さぁ、何があったのか報告して頂戴」


 保土ケ谷の神軍本部へ連行された水楢、珠恵の二人は会議室へ通されると上座正面に神軍大将の徳川信康、その右に武田信行中将、大将を挟み込む形で左に御手洗健二少将といった蒼々たる顔ぶれに睨まれながら2つ用意された下座の席についていた。

 質疑と進行は栗林大尉が行うようで、2人の左前方に直立不動の体勢で立っていた。


「あの、雛ちゃんを救出に向かった所からでしょうか? それとも首都と都市が炎上した件からでしょうか?」


 水楢も目の前に座視するお歴々に戦々恐々としながらも発言する。


「一般人の誘拐の件を聞いてどうする、大国炎上の件からで構わん――」


 武田中将に言葉を挟まれ、水楢は緊張した面持ちで語り出した。


「かしこまりました、私達が乗った旅客機が給油地の首都から方向を変え――」


 一通り説明すると座しているお歴々の顔色は優れないものに変わる。

 神軍でさえランクSを発現出来る者は希少だ。

 それが首都に3体、都市にも3体、分かっているだけでも計6体が徒党を組んで事に当たっていたのだから当然だろう。


「それで久流彌少尉だったか――彼の容体は?」

「はい、それに関しては先程中央病院から無事手術は終えたと医師から連絡が入ってきました」


 神軍の中でもランクSを発現出来る雪の存在は大きい。

 雪が負傷したと聞かされた徳川大将が雪を気に掛け尋ねると、栗林が事前に聞いていた医師からの報告を伝える。

 雪の手術の結果をこの場で初めて聞かされた珠恵も水楢も安堵の面持ちを浮かべる。


「それは重畳。大国に現れたランクSに対抗する希少な戦力だ。命に関わる負傷でなく私も安心したよ」

「はっ」


 武田中将が雪を心配して労るような言葉を告げるが、それを聞いた水楢と珠恵の表情は険しいものに変わった。

 安心したと言いながらも、結局は雪を駒の様にしか思っていないのだから当然だが……。

 お三方は報告が済むと早々に会議室から退室していった。

 今日は水曜日。

 神軍ではノー残業の日だ。

 退出する時に武田中将が徳川大将を飲みに誘っていたが、素気なく断られていた。

 お三方が完全に出て行くと緊張の糸が切れたように水楢が言葉を吐き出す。


「何よあれ――雪君が大けがしたって言うのに、何が「これから一杯如何ですか」よ!」


 栗林大尉も思うことはあるのだろうけれど、苦笑いを浮かべただけであった。

 そしてお三方の前では聞けなかった事を水楢に尋ねる。


「所で久流彌少尉にはファウヌスが付いているからあんな大怪我を負うとは思えなかったんだけど――本当は向こうで何があったの?」


 水楢と珠恵は示し合わせた様に、お三方の前ではランクS使いのパンによって不意打ちをくらい雪が負傷した事になっている。

 だがファウヌスを知る栗林大尉の目はごまかせない。

 改めてファウヌスでも守り切れなかった訳を尋ねられた水楢と珠恵は、少しの間を置いた後で、しかめっ面で答える。


「ファウヌスが特別なヒートヘイズなのは栗林大尉もご存じだと思います。今回の敵の中にファウヌスと同じ自我を持ち、人語を喋るヒートヘイズがおりました。ファウヌスの話ではそいつは首都を崩壊させていた筈が、都市を攻撃していた3人の少年、少女を拘束した所で突然姿を消し一瞬で都市へと姿を現し――雪君を刺し貫きました」

「はっ?」


 栗林大尉が呆気にとられる。

 これまでのどの事例にも無かった事が起きた。

 ヒートヘイズが一瞬でテレポートして離れた場所に移動してきたのだから、それも当然だろう。


「今回の事はファウヌスにも予想外だったって事でいいのかしら?」

「はい。ファウヌスもそう言っていました」

「そう、それにしても困った事になったわね」


 栗林大尉は先程までお三方が座っていた上座に腰掛けると備え付けのデスクにだらしなく突っ伏した。

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