第47話、緊急搬送

「ファウヌス、雛ちゃんを回収したらまっすぐ日本へ帰るわよ。日本への連絡は珠恵さん、お願い出来るかしら?」

「うん、任せて」


 女性型ヒートヘイズが去った後、水楢がファウヌスに指示を飛ばす。

 今何よりも優先されるのは雪の治療だ。

 この都市の惨状を見れば恐らく首都も似たような状況だろう。

 となれば雪を治療できる場所で一番近いのは日本と言うことになる。

 リンドブルムに変化したファウヌスの首に雪を乗せ、雪を支えるように挟み込む形で水楢と珠恵が続く。

 全員が乗り込むとファウヌスの翼が大きくはためく。

 散乱している瓦礫が風圧で吹き飛ぶ中、3人を乗せたファウヌスは低い高度を維持したまま雛が待機している砂漠まで一気に飛んだ。


 時は少し遡る。

 既に乗客達の意識は戻っていて乗務員に対し迎えは来るのか、救援の連絡はどうなっているんだと詰め寄る姿が見られる中、雛はジッと小高く積み上がった砂の上から都市を眺めていた。

 いまだ炎上中の都市から漆黒の竜が飛び立ち、雛は当初それがファウヌスだと思った。

 自分を迎えに兄達が戻ってきたのだと。

 だが竜はどんどん高度を高くあげると北へと進路を向け去って行ってしまった。

 あれがファウヌスで無いのなら兄達はどうなったのか――。

 不安に押しつぶされそうになりながらその場に佇んでいると、更にもう1体の竜が都市から飛び立った。

 その竜は高度を低く保ったまま、自分がいる場所に向けて飛行してくる。

 今度こそ兄達だと確信を持つが、先程の竜は何だったのかと脳裏をよぎり雛は胸騒ぎを覚え胸元で祈るように手を組んだ。

 それが錯覚で無いのはファウヌスが砂漠に降りたった瞬間に気づかされた。

 兄である雪は珠恵のスライムに全身を覆われコーティングされた状態でうつ伏せに寝かされ運ばれてきたのだ。

 雛の背後では乗員、乗客達が突然現れたヒートヘイズに恐れを成し逃げだす。

 悲鳴を上げるものもいる中で雛だけは竜へと、足を前に踏み出した。


「お兄ちゃん!」


 雛が近づくとファウヌスの表情は一層険しくなる。

 水楢が蛇タイプのヒートヘイズを発現させ、それを使って雛を巻き取るように抱きかかえると自身の前、雪の寝かされている場所の隣に下ろす。


「雛ちゃん、ここでゆっくり説明してる時間は無いの。ファウヌス、行って頂戴」


 ファウヌスはわかったとでも言うように無言で首肯する。

 辺りが暗い上にスライムに覆われている事で、雪の顔色を窺うことも出来ないが、兄の全身がピクリとも動かない事に動揺し雛もファウヌス同様水楢に頷く事しか出来ない。

 直ぐにファウヌスの翼が震動し、星々が煌めく大空へと舞い上がる。

 一気に高度を上げるとこれまで雛が感じた事のない速度で進み出した。

 ここから東京まで直線距離で2千km。

 真下に見える光景が一瞬で後方へ置き去りになる中、ようやく水楢が口を開く。


「雛ちゃん、ごめん。私達が付いていたのに……雪君を守れなかった」


 なんとなく兄の状態が悪い事は覚悟していたが、軽傷だから大丈夫といった安心させる言葉では無く水楢からもたらされたのは謝罪。

 雛はそれが兄の現在置かれている状態なのだと思いグッと奥歯をかみしめる。


「ごめん、雛ちゃん」


 雪を挟んで対面に座る珠恵からも謝罪の言葉が――。

 薄らと瞳に涙をためながら、雛は唇を震わせて2人に問いかける。


「一体あそこで何があったんですか!」


 2人は困惑顔で答える。


「わからない」

「ファウヌスにヒュドラの討伐を任せた私達は敵のパンを捕縛する為に、私と珠恵さんのヒートヘイズに乗って移動していたの。そこで怪しい子供を発見して――雪君が私達に注意を促した途端に、その子が操るヒートヘイズに雪君が襲われた。その時は幸い肩に怪我を負っただけで軽傷だったんだけど……問題は地面に倒れた雪君の真下から突然、新手のヒートヘイズが発現して雪君のお腹を――」

「そ、そんな――ファウヌスは、ファウヌスはお兄ちゃんを守れなかったんですか!」


 ヒートヘイズでも特異なファウヌスが付いていながら、そんな事があり得るのかと憤る雛に黙って聞いていたファウヌスが口を開く。


『我は首都を襲っていたヒュドラの中に我と同一の存在を感じた。それがいつやってくるのかと注意をご主人から逸らしてしまったのだ。その結果――突然、奴は姿をくらますとご主人の真下で発現させた』

「そ、そんな事――」

「ありえない」

「ちょっと待って、頭の中を整理させて――今、ファウヌスと同一の存在って言ったわよね? それはつまり――」

『うむ、依り代となる主人と離れていても活動出来る――自我を持つ獣神じゃ』

「「――っつ」」


 普通のヒートヘイズであれば依り代であるパンから離れた場所で活動する事は出来ない。

 それは水楢にしても、珠恵にしても同じだ。

 しかしそれを可能とする存在がファウヌスであり雪の強みの1つとなっていた。

 それでも今まで雪の目の届かない場所でファウヌスが発現した事実は無い。

 元々自らの手札をさらけ出すような不用心な真似をファウヌスはしてこなかったが、今のファウヌスの話は水楢だけでなく、珠恵からしてもファウヌスに対し疑念を抱くに十分だった。雪を守るのは雪の為では無く、自身が依り代を失って発現出来なくなるから――と。

 自我があると言うことは、依り代の意思に関係無く好き勝手出来ると言うことだ。

 その気になれば遠く離れた場所にすら発現する事が出来るとなれば尚のこと。


 言葉を詰まらせる2人を差し置き雛がファウヌスに問いかける。


「そ、それでお兄ちゃんは――――助かるの?」


 唇を震わせ、瞳には大粒の涙を蓄えながら発せられた雛の言葉に誰も返事を返せない。

 それが余計に兄の状況の悪さを物語っており、雛はただグッと唇を噛んだ。


 しばらく誰一人として声を発せず、沈黙していたが先程まで光が消えていた地上に明かりが灯り始めるとファウヌスから声に出す。


『日本海を越えた。もうすぐ東京に着くぞ!』


 あの砂漠から一直線に東京を目指し飛んできたのなら今見えている都市の灯りは鳥取か京都の灯りだろうか。水楢は2千kmを僅か1時間足らずで飛んできたことに驚きを隠せないが、直ぐに気を取り直し珠恵に話しかける。


「珠恵さん、お姉さん、栗林大尉から何か連絡は?」


 珠恵がスマホを確認すると、秘匿回線からSMSのメッセージが届いていた。

 内容は【まずはお台場、●×●●へ】と指定された座標を地図アプリとリンクさせ位置を確認する。


「お台場、第2臨海公園」


 珠恵が地図から読み取った場所を短く伝えると水楢は、


「あーあの公園ね、って事は――搬送先は葛西の神軍中央病院ね」

「直接、乗り込む?」


 お台場からそう遠く離れてはいないが、さすがに一刻を争う状態でもヒートヘイズで病院に乗り付ける事は憚られる。雪がこんな状態だからこそ世論やマスコミに付けいられる隙は与えたくない。

 一瞬、雪を見つめた水楢が出した答えは、


「止めておきましょう。これで病院に直接乗り込んだら雪君の存在が公に晒されるかもしれないもの」


 水楢からしても苦渋の判断だった。

一刻も早く雪を治療しなければいけないが、雪が助かった後の事を考えた決断だった。

 それを珠恵も理解していて、小さくただ頷く。

 だがこの場で唯一の身内である雛にとっては許容できる事では無い。


「なんで、なんで直接病院に行かないんです! お兄ちゃん、危険な状態なんですよね? なら何で――」


 これまで堪えていた雛の涙が一気に溢れる。

 思春期に入って昔の様に兄とは接しなくなったが、別に雛は雪を嫌いでは無い。

 むしろ成長する事で、兄の様な趣味をもつ所謂おたくに対しても理解は出来ずとも認めている。雪がヒートヘイズを発現させ寮生活に入り、離れて暮らしている間は何をしていたのか知ることが無かったが、今の雛にとって兄である雪は自分を助けてくれたヒーローなのだ。尊敬の対象に変わった雪の危機に、一刻を争う状況なのに何故――。

 雛の吐き出すような言葉を聞いた2人は俯きバツの悪そうな面持ちを浮かべるが、意を決したように顔を持ち上げると水楢が諭すように説明する。


「今の日本国民にとって私達パンの存在は驚異でしかないの。各国で暴れているパンと同一視されているんだもの……悲しいけど仕方が無いわね。今、ここで直接病院へ乗り込めばスマホ全盛期の現代きっと誰かしらその一部始終を撮影し動画をネットにアップするわ。そうなれば――雪君が助かってもこの日本に居場所が無くなる可能性がある。勿論、雪君だけでないわ、雛ちゃんや浅草のご両親もそう。幸い珠恵さんのスライムが雪君の出血を抑えてくれているから、雪君が助かることを今は信じましょう」


 水楢の説明を黙ってジッと聞いていた雛にも事の重大さは理解出来る。

 自分は兄が正しいことをしていると信じていても、何も知らされていない他人からすればパンそしてヒートヘイズは驚異以外の何物でも無い。

 世間に兄がパンだと知れ渡りれば、雛自身もそうなのではないのかと、

 中世の魔女狩りの様に何も悪い事をしていなくとも。街行く人々から恐れられ後ろ指をさされ、今の友人も去って行く可能性だってある。

 そう考えると悔しい気持ちが先に立ち、雛は強く奥歯をかみしめた。



 ――第2臨海公園に到着したのはそれから数分後。

 既に栗林大尉が手配した軍の救急医療車が到着していて雪と雛を乗せるとすぐさま病院へと搬送されていった。

 栗林大尉、水楢、珠恵は赤く回る回転灯が遠ざかるのをジッと見つめていた。

視界から車が見えなくなると、栗林大尉が口を開く。


「さぁ、向こうで何があったのか説明して頂戴。とはいってもここじゃ何だから防諜能力が備わっている軍に付いてからね」


 栗林大尉が乗ってきた黒塗りの高級車に3人が乗り込むと、車は雪が搬送された葛西とは離れた保土ケ谷へと進路を向け走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る