第33話久流彌家の日常

 ――東京にある軍本部の一室


「武田中将これは困った事態になりましたね」


 防衛大卒のエリートである御手洗少将は、応接室のソファーに座り苦笑いを浮かべて、向かい側に腰を下ろしている武田中将に話しかけた。


 エリートコースを駆け上がってきた御手洗は、見た目30代半ばに見える程若く、育ちの良さが現れていた。


 だが今は、連日国会に呼ばれ官僚や議員から天羽々斬の情報開示を目的とした追求があり、お疲れの様である。



 世界中でヒートヘイズが発現し、その力を示した。


 この事件によって近代化学兵器が全く使い物に成らない事が、世界中に知れ渡る事になり、


 ステイツを避難する市民団体は、その矛先を日本に向けた。


 何故ステイツでは無く、日本なのか?


 ヒートヘイズに対し全く対抗手段を持たない各国が、マスコミや市民団体を裏で操り、富士演習場の事件の際に、日本軍が使用した武器の情報公開を求め運動を起こしたのだ。


 これに対し、日本は独自開発した技術である為、一切の公表を差し控えた。


 ヒートヘイズを倒せる手段を持ちながら、それを公開しようとしない日本を避難する運動家が、世界中でデモ行進を始めていた。


 2020年に大量に移民を受け入れた日本国内でも、外国人運動家が中心となり、国会前にはプラカードを掲げた人々が練歩く始末だ。



 声を掛けられた武田中将は、防衛大卒でも護衛艦の艦長経験もある、叩き上げで昇進した為、年の功は50を過ぎているが実力派である。


 武田中将が苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。


「全くだ。ステイツが何を目論んでこの様な馬鹿げた作戦を行っているのか……」


 壮年の渋みを感じさせる声で武田が漏らす。


「パンを送り込んでテロを起こしているのかと思えば、そうでは無さそうですしね」


 各国にある日本の大使館や領事館を通して、ある程度の情報が入ってきていた。


 情報によると、パンが宿った少年は渡航経験の無いその国の国民であった。


 これにより、ステイツからテロの為に入国したという線は消えた。


 では、何故急にパンが宿る若者が増加したのか?


 現在、調査中との事であった。


「目的も何も、無闇に混乱を招いているだけではないか」


 武田中将が憤り言葉を吐き出す。


「被害が軍施設かと思えば、民間の施設や、民家ですからね。クレムリンだけならテロの可能性が濃かったですが……」


 クレムリンを崩壊させた竜は、その建物を消滅させた後、姿を消した。


 その1件だけならばテロと断定も出来たのだが、他の国で発現したヒートヘイズの暴れ方が異質だった。


 最も異質だったのが、ドイツに現れたパンだった。


 ヒートヘイズを操り、捕まえにやってきた軍隊相手に無双した挙句に、自らを独裁者の生まれ変わりと称したのだから。


 他の国に現れたパンも、理由を尋ねれば怨恨だったり、愉快犯であったり、自らの境遇に対しての不満からというものも少なくなかった。


「そのお陰で、市民団体やマスコミが挙って天羽々斬の情報開示要求だからな。馬鹿ばかしい」


 武田中将が顔を顰め、吐き捨てるように口に出した。


「それで、明日からの国会で議論されるパンを増やす案件についてですが……」


 御手洗少将が声を潜め、今回の会談の本筋を話し出した。


 現在の日本では、自衛隊の中でも陸海空と他に神の4つに分けられている。


 神軍は名前からもわかるとおり、パンを組織する部隊である。


 この神軍のトップが武田中将であり、御手洗少将は主に議員や官僚、他の軍部との折衝を任されていた。


「表立っては拡張は出来ないが、明日の国会は中継も野党も不参加だったな」


「はい、その様に聞いております」


「世界中でヒートヘイズが暴れている現状で、兵数削減など愚の骨頂だとは思わんかね?」


「全く以て、おっしゃる通りです」


「現在パンを宿している者の身内に募集をかけ、新薬臨床試験を再開させるように手配しよう」


「では、関係各所には国会で通るように根回しを行います」


 この会談から1週間もしない内に、戦力の増強を目的としたスカウト達が動き出したのであった。




 軍の上層部で、そんなやり取りがある事を知らない雪は、浅草の町を珠恵と2人で手を繋いで歩いていた。


 珠恵の瞳が若干赤く、瞼も腫れぼったいがここは田舎では無い。


 人のそんな姿を気に留める、奇特な人はまずいない。


 気に留めた人が居たとしても、今の珠恵を見れば直ぐに忘れるだろう。


 雪に慰められ、一緒に手を繋いで歩いているその表情は晴れやかだ。


 これで雪に何か文句を付けようものなら、珠恵に投げ飛ばされるであろう。


 雪に投げ飛ばされるのでは無いのが、味噌なのだが……。


「珠恵ちゃんは何か買う物とかあるの?」


「ない」


「そっか。なら僕は着替えと服を買うけど付き合って貰っていいかな?」


「うん」


 雪が照れながら伝えると、珠恵ははにかみながら首肯した。


 そしてやってきたのは、大手量販店。


 中に入ると雑多な服が展示されており、雪が何を買うか迷っていると、


「私、選ぶ、いい?」


 小首をかしげ、ゆるふわのミディアムの髪を揺らしながら言葉を紡いだ。


「有難う。僕服とか自分で選んで買ったりしなかったから、どれを買って良いのか悩むんだよね」


 雪の場合、高校生にもなって親が買って来てくれた服を着ていた。


 これは母親の方が、センスが良いから任せていたと言うのが大きい。


 珠恵は寝巻きにもなる、長袖のカットソーを選び、次に外出着にタートルネックのセーターを選んだ。


 棚から取ると、雪に当てて小首をかしげる姿が可愛い。


「これ」


 タートルネックのセーターに合わせたチェスターコートをコーディネートされ、鏡の前で雪もご満悦である。


 ただし下着だけは、雪も恥ずかしくて自分で選んだ。


 結果、上下とパジャマにいたるまで全て、珠恵の好みで揃えた。


 とは言っても、特に変では無い。


 ただ雪の歳にしては、背伸びした格好の様な感じもするが……。


 新しいジーンズの裾を詰めて貰うのに20分程時間が掛かるらしく、待ち時間の間に小物を売っているブースに来た。


 雪は服を選んでもらったお礼に、何かプレゼントしようと考えていた。

 

 珠恵は耳にピアスを付けていない。


 同年代で耳に穴を開けている子もいたが、珠恵はその人達とは違う。


 次に指輪、ネックレスを見て回るが、あまり興味が無さそうだ。


 何がいいか悩んでいたが、前に動物好きだと聞いた事があったと思い立ち、シルバーで精巧に彫られた猫のネックレスを手に取ってみる。


 珠恵はそれを不思議そうな面持ちで見ていた。


「今日買い物に付き合ってくれたお礼に、珠恵ちゃんに何かプレゼントを送りたいんだけれど……これなんかどうかな?」


 雪が勇気を振り絞ってそう告げると、珠恵は眉を持ち上げ目を見開いて破顔した。


「うん、可愛い」


 どうやら誰へのプレゼントなのか?


 そう考えて不思議そうに眺めていただけの様で、購入し首にかけてあげると本当に嬉しそうに何度も手で触って微笑みを漏らしていた。


「うん。良く似合っているよ」


 雪が褒めると、艶のある瞳が瞼で隠れてしまう位に笑みを浮かべた。


 丁度その時に裾あげが終了した放送があり、雪と珠恵はそれを受け取って店を出る。結構長い時間店内にいた様で、外は夕日に彩られていた。


 来た道をまた手を繋いで家に戻ると、既に店じまいの準備をしている母と出くわす。


「あら、雪が女の子と手を繋いで帰って来るなんて……やっぱり今夜は大雪かしら?」


 そう言うや否や、普段は店の外に出している置物と暖簾を店内に仕舞いだした。


「くすっ」


 母のそんな行動が面白かったのか、珠恵が珍しく笑い声を漏らす。


 雪は珠恵が笑顔を浮べていたので、母に突っ込みを入れるのを差し控えた。


「あら、あなた達やっぱり付き合っているの?」


 店の暖簾を店内に仕舞ったタイミングで、未だ手を繋いで含み笑いを漏らす珠恵を見やり、母が爆弾を投下した。


「はい。栗林、珠恵……です」


 雪が言い淀んでいると、先に珠恵ちゃんが肯定を示す言葉を漏らし、続いて自己紹介をする。


 雪の手を握ったまま、手前で両手を組み綺麗なお辞儀を行い――。


 それを見た母のテンションがあがり、


「お父さん、雪がお嫁さんを連れてきたわよ!」


 奥で仕込みをしていた、父に聞こえる様に大声で叫んだ。


 その声を聞きつけ、居間のコタツでお茶を飲んで姦しい会話をしていた水楢と雛も店にやって来た。


「ねぇ、お母さん。雛が言った通りでしょ!」


「さっきはまた雛の冗談だと思ったのよ。でも2人の様子を見ていたら、本当みたいね」


 雛と母は、雪と珠恵を見比べ『お似合いね』と言い出す。


 一方で水楢は、呆れ顔で溜息を吐き――。


 珠恵は、顔が熟したトマトになっている。


 雪は……目が点になり、


 すると奥から柔道の選手の様な体躯の割に、顔が穏やかな父が現れた。


「よぉ、雪。就職が決った途端に嫁さんを見つけるなんざ……血は争えねぇな! がはははは」


 ニヤリと笑いながら、父はそんな事をのたまった。


 この父はこの家に婿養子に来た人で、高校に入学して直ぐに同級生の母に一目惚れ。


 母の両親が経営していたこの店に、アルバイトとして入り込み母と爺さん、婆さんを3年掛けて口説き落としたつわものであった。


「栗林、珠恵。です」


 父にも律儀に挨拶をする珠恵を家族全員、温かい眼差しで見つめていた。


 父が『雪にはもってぇねぇ~位、良いお嬢さんじゃねぇ~か!』と言っている隣で、水楢が――。


「あ~ぁ……あたし、知らないわよ」


 苦笑いを浮かべてそう漏らした。


 それ以降、珠恵が雪の嫁扱いを、雪の実家でされるようになる。


 その日の晩御飯は、賑やかな食卓となった。


 何故か、水楢まで彼女扱いをされていて……父に絡まれる雪と、女性4人の姦しい会話が飛び交っていた。


「2人共お兄ちゃんの何処がいい訳?」


「優しい、可愛い」


「雪くんは抜けている所も多いけど……優しいかな?」


 雪と珠恵が2人で出かけている間に、雛と水楢が仲良くなった様で、雛の中では雪と水楢、珠恵の3角関係が成立しているようであった。


 雪にしてみれば珠恵のそれは今に始まった事では無いが、水楢の方は寝耳に水である。


 夜も更け、賑やかな雰囲気も誰かしらの欠伸によって終わりを告げる。


 雪の布団はベッドに用意されてあり、珠恵と水楢の布団は当初の予定通り雛の部屋に敷かれた。


 先に女性陣が風呂に行った隙に父が――。


「で、どっちが本命だ? まさか……本当に両方って事はねぇ~よな?」


 そんな馬鹿な会話をされた。


「そもそも日本は一夫多妻制なんて認めて無いだろうに!」


「って事は……両方本命なのか?」


 駄目だこりゃ……。


 父の問いかけをスルーしていると、


「雪、子作りは18過ぎてからにしろ!」


 そういい残し、夫婦の寝室に入っていった。


 ネジが数本緩んでいる、これが久流彌家の日常だった。


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