鶏皮算用、骨川師匠




そもそも単純にお足のないのは日常意識を逼迫する。本当にお金がないのか試してみたいような気分になって、空腹でもないのに松屋へ行ってごろごろチキンカレーを食べてみたりする。Twitterやなんかで人様が口を極めて美味しい面白いと言っているのを見ると、どれひとつ試しておこうという気になり、自棄も乗じて、単騎入店、売券購入、カレー、味噌汁、サラダセットの690円さていかに。入っている鶏肉はスーパーで買えば一パックせいぜい、175円あたりの量か、スパイスを足しこんだカレールーを買って自炊すれば良かった、原価率で考えても本当に食べたいならカレールーだけ持ち帰って自宅飯するほうがまし、など、やはり意識は逼迫しているのでいちいち考えて仕方ない。


東京に出て一年、ろくな安くて旨いものは無くて、お金を惜しまないでおけばマトモなものが食べられるものの、そこらへんの食事は冗談みたいにショボくれている。驚いた。そうして都会的なる人々が口にするものにあまり興味を持たないのにも驚いた。痩せているのが大事だから食事は二の次三の次、とでもいうのか、その発想に食いしん坊の田吾作は度肝を抜ききられた。そんなことがあろうか?あるんだろうなぁ、豚肉を食べることを禁忌にする人がいるように、ごはんを食べないことを禁忌にしているのは自分の出自から得た教育によるものでしかないのだろうなぁ。健康であることが何よりであって、食べる必要があるかどうかなんてその次だよなぁ。




内田百間のことを思い出す。


"そもそもお金の貸し借りと云ふのは六づかしいもので、元来は有る所から無い所へ移動させて貰ふだけの事なのだが、素人が下手をすると、後で自分で腹を立てて見たり、相手の気特をそこねたりする結果になる。友人に金を貸すと、金も友達も失ふと云ふ筍言なぞは、下手がお金をいぢくつた時の戒めに過ぎない。


一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になった原因に色色あって、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云ふのは性質のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払へないと云ふのは最もいけない。私が若い時暮らしに困り、借金しようとしてゐる時、友人がかう云つた。だれが君に貸すものか。放蕩したと云ふではなし、月給が少くて生活費がかさんだと云ふのでは、そんな金をかりたつて返せる見込みは初めから有りやせん"




お金が無いわけではないんだよな。ただ何か不安を埋めるように、今お金があることを確かめるように消費していて、当たり前ながら使った分だけお金は減るのでまた確認してみたくなる。美味しいものが本当に無いのか確認しておきたくなる。


笑点で人気を博した落語家、桂歌丸師匠は若い頃随分苦労されたという。米を一合、炭を一端ずつ買うほどだったとか。


食べて消えぬ不安なら、試しに食べずに過ごしてみるとしようか、と思い至ったのは歌丸師匠に拠るところが大きい。

さてどうなるやら。

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