躑躅神社、鎖骨の目

近所の神社は躑躅の見頃で、花見客を相手にする屋台が立っていた。躑躅の花というのは細長い蕾を緑の葉の群に隠して育ってあっという間に咲き揃う。花が雨に打たれてしなびるまでの時間が桜より随分長いので、この花の咲く内は自分の健康な時間と決めて諸事まどろっこしがっていることに先手を打たねば、と焦る。


食べ過ぎてこなしきれなくなった何者かが、鎖骨の下にぼつりと膨らんだ出来物の形で現れて、潰しても潰しても広がることついに2週間、未だに赤く3センチくらいの領地を持って傷口が黒ずんできて、このまま沈着しても嫌だな、と何か手を打つ必要が出たことも契機ではあった。

身体にこれまでの蓄えがあるから大丈夫だろう。ガラスコップで水を煽って着替え、ひとくさり音楽を頭に回して、神社を散歩する。緑の小山に濃く薄く、あるいは白く咲く躑躅の渋いのどかさ、甘酒茶屋。黄昏の光さすなか過ごす人たちを眺めているのは愉快で、そのままいつもは歩かない道を歩いて美術館まで向かってみる。大きなヒマラヤ杉の三叉路、寺町のかしこに箴言を見掛け、気分転換には打ってつけ。遠くに時報の夕焼け小焼けが聞こえる。

美術館でレセプションに参加して皆美しいなりをし、あるいは着物に香を添え、子日蒔絵硯箱の螺鈿細工の巧妙なのを眺めたりして愉快に過ごす。

なんだ、欲しがらずとも既に恵まれてるんじゃないか、と急に得心する。世の中には肉を食べずに生きる健康な人もいるし、何も口にせず70年過ごすヨギもいる。この世のものはすべて借り物なのだし。

帰宅してお風呂に入ろうとすると、右鎖骨の出来物が塊になってコロリと取れた。元・自身の一部は5mm程度で、萎みきっているものの、黒く丸まった円周に一本白く薄い筋が張ってあって、どうも干物の目をくり貫いたように見えて仕方ない。このまま鎖骨で人知れず育ち続けていたら、この眼も躑躅のように突然にひらく日が来たのかもしれない。寄生獣のミギーを思い出しながら、私の鎖骨で何を考えただろうか知れないその高い黒い塊を爪で切開してみようとしたら、ぴん、と跳ねて、排水溝を辿ってどこかへ逃げ帰ってしまった。

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