第9話 デートの約束(下)
僕と愛莉の記念すべき初デートの日。
同じ家から出てデートするのもいいけれど、せっかくだからと待ち合わせ時間をお昼にし、僕は一旦前に住んでいたアパートから待ち合わせ場所に行くことにした。
もちろん待ち合わせ場所は少しベタだが、駅前の時計の下。
久しぶりに帰ってきた懐かしきアパートだと言うのに僕は落ち着くなんてことは出来ずにいた。
「……そろそろかな」
今か今かとスマホの画面を何回も確認し始めてから早三十分。
待ち合わせ時間まであと三十分くらいあるが、二十分くらい前には着いておきたいから丁度いいだろう。
僕は荷物の最終チェックを行う。
「財布よし、バッグよし、スマホよし、メモ帳と筆箱よし……オールオッケー!」
そして念のために持ってきたデート特集の雑誌も。
僕は少しばかり焦る気持ちで家を出る。
早く会いたい。その気持ちが僕を自然と待ち合わせ場所に急がせる。
全国のカップルはきっとこの気持ちを何回も体験しているんだろう。
しかし今更ながら初デートの相手が僕より七歳近くも歳下なのは如何なものか…………。
「ま、気にしたら負けよ!」
僕はそのままかるい足取りで駅前へと向かった。
──しおり駅前。
このしおり市唯一の駅でもあるため、かなり大きめの駅となっている。
駅の中にはちょっとしたお店やコンビニなど色々と揃っているが、やはり駅中よりも駅前の方が凄い。
愛莉の家の周りとは違い、少し大きめのビルや様々なチェーン店が並んでいる。
人通りも同じしおり市なのか? と、驚いてしまうほどに差があったりとこういった所がこの町独特の雰囲気というものだろう。
僕は駅前に集合時刻の二十五分前に着く。
こんなに早くに来ても愛莉は、まだ来ていないと分かっていても自然とそうさせていた。
「……ん? あれは?」
時計の下辺りに妙に見慣れたようにも思える小学生くらいの少女が誰かを探すようにきょろきょろしている。
その少々は白いいかにも清楚……という感じのワンピースを着ていて────
あ、おまわりさんが声をかけた。
一瞬、迷子だったのかな? とも思ったがおまわりさんだけ去っていったのを見るとどうやら違うらしい。
あ、こっちを見た。
そこで僕はあることに気が付く。その子は僕を視認すると嬉しそうにこちらに駆け寄る。
「拓海さーーん!」
「愛莉っ!?」
近付いてくる少女に僕は驚きを隠せなかった。
声からして愛莉なのだが……その容姿はいつも僕が見ている愛莉とはどこか違って見えた。
全体的に白で統一され、清楚さが際立つ。
「きゃっ!」
途中強い風が吹き、白いワンピースのスカートと髪がなびく。
それでも愛莉はとても嬉しそうな表情を浮かべながらこちらに走ってきた。
走る愛莉の姿は僕だけではなく、周囲の人の視線も集めるほど綺麗で、思わず見入ってしまうほどだ。
「はぁはぁ……お待たせしました」
「う、ううん。僕の方こそ待たせちゃったみたいで……」
肩で息をしている愛莉を前に、僕は固まったまま動けずにいた。
だって愛莉驚くほど可愛くて綺麗なんだもん。
幼さという名の可愛さを残しつつ、少しばかり大人びて見える白いワンピース。
慎ましやかな胸はほどよく強調され、肩出しタイプのワンピースによって幼い肩や腕が
化粧はしていないはずなのにしているとさえ錯覚してしまうほど綺麗だと思える顔。
「さ、さぁ行こうか」
「はいっ!」
僕は赤らめる頬を気付かれぬように、愛莉の手を取り先を急いだ。
「拓海さんまずはどこに行くんですか?」
隣を歩く愛莉は僕の顔を覗き込むように尋ねる。
もちろん、手は繋いだままだ。
「まずはこの近くにある喫茶店に行こうかなと思っているんだ」
「喫茶店ですか?」
「うん、『アミテ』って名前の喫茶店なんだけど……知ってる?」
「いえ、そもそも駅前自体そんなに行かないので……どんなお店なんですか?」
アミテとは駅前にある喫茶店だ。
去年こっちに引っ越してきた時に、たまたま見つけたお店で、値段の割にはとても美味しく、量も好きな様に選べたりするのでよくお世話になっていた。
そこには店長(名前は一切教えてくれない)と我がしおり高校の現生徒会長である
ちなみに僕は色々とあってみんなには隠している渚さんの秘密を知っている。
それ以来色々と良くして貰ったりしてるのでなんか申し訳ない気持ちになったのが原因なのか、最近はこのお店には来ていなかった。
二人とも元気かな……いや、渚さんは元気そうだったな。
「とにかく、行けばわかるよ」
僕はそう言って愛莉の手をしっかりと握りながらアミテへと足を進める。
──カランカランカラン。
「いらっしゃいませ〜」
扉を開けると、懐かしくも感じる扉に付いている鈴の音と共に元気の良い渚さんの声が届く。
「お久しぶりです渚さん」
「あらっ! 拓海君じゃない〜。最近来ないからどうしたんだろって店長と話してたんだよ〜」
「あはは、すみません……最近は何かと忙しくて」
そう言いながら周りをきょろきょろと見回す。
土曜日で昼頃という事もあり、席には様々なお客さんが座っていた。
男女比は8:2と言ったところで、男の方はほとんどが渚さん目当てだと言っても過言ではないだろう。
「相変わらずの人気ですね」
「来てくれるのは嬉しいんだけど……私なんか見て面白いのかしら?」
この人は猫をかぶったりしてるわけでもなく、素でこれな上に面倒見もよいので男性だけでなく、女性からも人気がある。
もちろん人気はこの性格の面だけではない。
渚さんのスタイルも人気の秘訣だ。
整った顔立ちに黒髪ロングが加わり物凄く清楚なオーラを漂わせている。
腰のラインもすっとしていて、腕や足も細く肌は女性ならばみんなが羨むであろうほどのほどよい綺麗な色白なのだ。
その上、胸部に実る大きな二つのメロンは何かするたび上下に運動をし、その手の人であるなら自然とその動きを追ってしまうだろう。
家柄も良く、本来こんな所でバイトをしなくてもやっていけるはずなのにここでバイトしている理由を聞いたことがあるが、その時彼女は「なんか面白そうだったから?」と、なんともマイペースな返答をしてきた。
ただ渚さんの人気はそこで収まらない。彼女はしおり高校の生徒会長を務めていることもあり、しおり高校の生徒であるならばみんなから知られている有名人であり、男女問わず憧れの人でもあるのだ。
そんな彼女が僕みたいな人と仲良くしてくれている理由はただ僕が彼女の秘密を知っているからではない。
「渚さん可愛いし、綺麗だから見ていて飽きないですよ」
「ふふっ、もう拓海君ったらお口が上手なんだからっ……あら? そちらのロ──女の子は?」
おい、明らかに今「ロリ」って言いかけただろ。間違ってはないけどさ。
にこやかに笑う彼女の視線はさっきまで隣で手を繋いでいたはずの愛莉を捉える。
──というかいつの間に僕の後ろに隠れたんだ。
「は、初めまして……」
「はい。初めまして」
珍しく後ろからおろおろした感じで出てくる愛莉。
恐らく僕の知り合いということで緊張してしまっているのだろう。
僕は渚さんにアイコンタクトで合図を送ると、渚さんは全てを察したように無言で頷く。
「私の名前は安曇渚。よろしくね」
渚さんはいつもの調子で手を伸ばす。
「わ、私は
愛莉はやや緊張した声で渚さんの手を握る。
その瞬間、渚さんの顔に変化が訪れた。
目線は愛莉の高さに合わせているからほかのお客さんには見えないが、今の渚さんの顔は到底見せられたもんじゃなかった。
いつもキリッとしている渚さんだが、ある条件が揃うとだらしなく緩みきってしまうのだ。
その条件は言わずもがな「ロリと触れ合うこと」。
このしおり高校にどうして
しかし、メールによって集められた精鋭は無駄に優秀だったらしく、すぐに変態紳士同盟として設立に至ったという。ただ、その中で色々とあり謎の差出人がリーダーとなったのだがその姿を見たものは誰もいないという。
それから色々と拡大され、僕みたいな人まで入れるくらい大きくなった同盟だが、本来ならこんなことを学校や生徒会が許すはずもないのだが、ここに全ての答えがある。
ある日僕はたまたま見つけてしまったのだ、生徒会長である渚さんが僕達同盟の同士にメールを打つ瞬間を。
同盟のリーダーが生徒会長であるのなら、こんなおかしな同盟がひっそりと活動を続けられるのにも納得がいくだろう。
もちろんその時に渚さんと色々ありはしたが、僕が秘密を守る代わりにいざとなったら渚さんが手を貸してくれる……という条件でお互い契約をした。
それ以来、僕と渚さんはお互い腹を割って話せる仲になったのだ。
…………って、僕は一体誰に説明しているのだろうか。
「えーっと渚さん?」
「はっ、ごめんね。いつもの癖で」
てへっと舌を出す渚さん。きっと僕がロリコンでなければコロっと落ちてしまうくらいの可愛さを誇る。
というかこれで落ちてる人を何人も見てきた。
僕はいつものように「はいはい」と受け流していると、愛莉が服を軽く引っ張る。
「あの拓海さん」
「どうしたの愛莉?」
「その……安曇さんとはどういったご関係で?」
「関係?」
「あ、別に疑っているわけではありませんが……その、それでも特別な関係に思えたので」
「あぁ、僕と渚さんはそういった関係じゃないよ」
僕がそう言うと渚さんも相槌を打つ。
それもそのはずで、渚さんは完全に百合系(それもロリ限定)で、僕は言うまでもなくロリコンだ。
いくら都合が良いからと言って打算的に付き合うことは決してない。
そのことに関し、愛莉は安堵の息を漏らす。
「あらら、愛莉ちゃんはどうしてほっとしてるのかな? もしかして……二人とも付き合ってたり?」
「え、あ、えーっと」
うーん、正解。
僕がこのお店に一緒に来る女の子なんて基本的に渚さんしかいないわけだし、そう思われてもしかたないのかな。
それに今デート中だし。
「ま、別に付き合っててもいいと思うよ私は」
「渚さん……」
「でも店の中でイチャイチャしすぎるのは勘弁してね、警察なんて来られてたら流石の私でもフォローしきれないから」
「……肝に銘じておきます」
「っとと、いい加減案内しないと店長に怒られちゃうね。二人とも奥の席で大丈夫?」
「うん、お願い」
「私は拓海さんがよければ」
「うんうん、いいカップルだ」
渚さんはにこやかにそう言うと、僕達を一番奥の席へと案内する。
「はい、お水。注文するものが決まったら呼んでねっ」
「わかった」
僕の返事を受け取ると、渚さんはそのまま別のテーブルに呼ばれ、そっちへと移る。
「──それにしても少し変わってる人ですね」
「ん?」
何を突然? と、思ったが、愛莉の視線の先を見て「ああ」と納得。
「渚さんの事か?」
「はい。安曇さん私達が付き合っているってわかったのに特に何も言ってこなかったですし……」
「渚さんはちょっと変わっているって言うか……」
僕は少し周囲をきょろきょろし、愛莉にしか聞こえない声で話す。
「実は渚さんも僕と同じロリコンなんだよ」
「えっ!?」
目を丸くする。まぁそりゃそうだよね。ロリコンなんて基本的に男がなるもんだと思うからその反応は仕方ないと思う。
でも、何かを思い出し納得したよう頷く。
「なるほど……だから握手した時……」
「あはは、その通り」
「となると拓海さんと安曇さんは……」
「うん、それも愛莉の思っている通りでただの同士ってわけ」
それを聞いて完全にほっとしたのか、少しだけ愛莉の緊張が和らいだようにも見えた。
「そうなんですね……仲がとても良く見えたのでてっきり……」
「あはは、そんなことはありえないよ」
「ありえない……ですか?」
「うん」
僕はそう言うと、別のテーブルでオーダーを受けている渚さんの方へと視線を移す。
「ほら、彼女って完璧じゃん? 誰にでも優しくて、みんなから愛されてる」
「そうですね」
つられて私も視線を安曇さんの方へと移す。
その瞳には、緊張してガチガチになったり、少しのことでヤキモチを妬いてしまう私とは違って常にみんなに等しく笑顔で振舞っている安曇さんが映っていた。
いや、笑顔なのは安曇さんだけじゃない。対応されてる人やその周りの人……そしてこの場の雰囲気を自然と笑顔が零れるような空間にしているとさえ感じてしまう。
それと同時に私には一生かかっても出来ない、理想の姿だとこの年にして思ってしまう。
「多分ね、僕がロリコンとして目覚めてなかったらきっと彼女に心底惚れていたと思う」
「……なんとなくわかるかもしれません」
きっとこれは憧れという気持ちだ。でも、彼女の隣にいることが出来たら私はもっと変われる……そんな気さえしてしまう。
「あっ……」
私達の視線に気が付いたのか、安曇さんは胸元で軽く手を振ってくれた。
私も同じように振り返すと、彼女は屈託のない柔らかな笑顔を浮かべ、厨房の方へと消えていった。
「っと、ごめんね。せっかくのデートなのに他の女の子の話をしちゃって」
「い、いえ……私は拓海さんの事が知れてよかったと思ってますから」
そう……きっと彼女は僕がロリコンじゃなかったとしても手が届かない存在。
あまり良い言い方ではないが、僕はロリコンで良かったと心の底から思ってる。
だってロリコンとして目覚めてなかったら、たくみなとして活動することも無かっただろうし、そうなると愛莉とも出会えなかっただろうから。
恥ずかしくて言葉に出せないけど、この事だけは神様に感謝だな……僕をロリコンとして目覚めさせてくれてありがとうって…………。
「いいワよねぇ〜青春って」
「──ッ!!?」
僕がそんな事を思っていると、不意に隣から男の女声が聞こえてきた。
突然の事で、思わず立ち上がってしまう。
横には厳つい顔をしながらも、オカマ口調でなおかつピンク色のエプロンを着ているこの店の店長が座っていた。
「あら、久しぶりに湊ボーイが来たって聞いたから様子を見に来たけれど……」
店長は僕と愛莉を交互に見ると、何かに納得したように頷き。
「うん、いいわね〜……本当にいいカップル…………」
流石の愛莉も急に現れたこの人に対し、計り知れない恐怖感を抱いてしまったようで、机を挟んでいるのにも関わらず僕の服を掴んでぷるぷるしている。
「アラ? もしかしてワタシ怖がらせちゃったかしらン?」
「た、たたた拓海さん」
うーん、この人見た目もいかつければ声もそうだし、その上その声で女声出してるから余計不気味なんだよなぁ。
このいかつい顔をしてピンクのエプロンを着たオカマはこのアミテの店長だ。
店長は見た目とかその他もろもろ色々とアレだが、料理に関しては愛優さんを超えるかもしれないレベルなのだ。
……しかし何度も言うが見た目などなら初見の人にはちょっとパンチが効きすぎてる部分もあるけど。
「店長……愛莉──この娘は初めてなんですからもうちょっと抑えてください」
「もぅ、連れないわね湊ボーイは……」
店長はそう言うと、オカマモードを解き、真面目な時に見せる普通の顔になる。
「恐がらせてごめんね? 俺はこの店……アミテの店長をやってるものだ。気軽に店長って呼んでくれよ」
「は、はい……店長、さん」
愛莉の言葉に店長は不器用ながらも優しく微笑む。
そして地獄のオカマタイムが始まる。
「お二人は今デート中かしら?」
「まぁそんなところですね」
「ンもぅ、湊ボーイったら隅に置けないんだから……ひょっとして最後はホテルでご休憩でもするの?」
「あはは、まだそんなことはしませんよ」
「そうなの? それは残念ねぇ……」
そう言って、店長は店の奥へと消えていった。
むろん僕だってそういったことに別に興味が無いわけではない。
と言うより、むしろ興味津々と言っていいだろう。
しかし相手は小学生なのだ。少なくともそういった行為は中学二年生辺りまでは抑えておきたい。
「まぁ、愛莉……今はこう言ったけどいずれは……ね」
「は、はいぃ……」
念のためフォローも入れる。
そのせいか、愛莉は頬は少しバラ色に染まっていた。
それから僕達はそれぞれ店長オススメのオムライスと何故か僕にだけ注文とは違って湊スペシャルが来たが、美味しくいただき店をあとにした。
会計は僕が払ったのだが、その時店長に満面の笑みでピンク色の薄いアレを受け取ったことは忘れてしまおう。
「拓海さん拓海さん、次はどこに行くんですか?」
まだ店を出たばかりだと言うのに、上目遣いで尋ねてくる愛莉。
さっきから思っているのだが、このポーズをすると愛莉の胸元がチラチラと開けてそちらの方に視線が吸い寄せられてしまう。
しかーし、僕は紳士なのでそんなことに負けたりはしない。
──五分後。
「拓海さん拓海さん、そろそろどこに行くか聞いてもいいですか?」
「…………」
「!? た、拓海さんいきなり膝なんてついてどうしました!!?」
……やっぱり、幼女の胸チラには勝てなかったよ。
神様……あなたは何を思って幼女にこんな兵器を持たせたんだ。
その後僕達は来たるべき日に向けて、愛莉の水着を買ったり、ゲーセンでプリクラを撮ったりと、とても楽しい時間を過ごした。
気が付けば既に日は沈み、月と星々が夜の空を綺麗に彩っていた。
公園の丘……僕達が出会った場所に座り二人で夜景を眺めていると、愛莉は僕の手に自分の小さな手のひらを重ねる。
「拓海さん……今日はありがとうございました。こんなにも楽しい日を過ごしたのは久しぶりです」
「僕も楽しかったよ」
デートは午後からだったのと、僕も初デートということで容量がわかってなかったりと、行きたい場所を全部回れなかったり、少し移動がいそがしくなってしまったが、楽しんでもらえたのならよかった。
僕はこっそりと、買い物の途中で愛莉にバレないように買っておいたあるものを取り出す。
「愛莉……今日は月が綺麗だね」
愛莉は僕が突然、らしくないことを言ってびっくりしたのか大きな瞳をより大きくしてこちらを見つめる。
「た、拓海さん……これは」
そして僕が持っているある物を見て、更に驚いたのか固まってしまった。
「本物はそのうち渡すけど……今はこれで。まぁ記念みたいなものだから初めての」
僕はそう言って、ルビーの指輪が付いたネックレスを愛莉の首元にかける。
もちろんこれは本物じゃない。レプリカなので値はとてもじゃないが安い。
「その、安物で悪いけど良かったら貰ってくれるかな。いやなら別に返してもらっても構わないから──」
「拓海さんっ!」
「おわっと!?」
急に抱きつかれ、思わず後ろに倒れ込む。
「嫌なんてことはないです。とてもとーーっても嬉しいです! 確かにこの宝石は本物じゃありませんが、ここに詰まっている拓海さんの想いは本物だと伝わってきましたので」
「愛莉……」
僕は愛莉の言葉に胸がいっぱいになって、思わず抱きしめる。
「えへへ、拓海さんの匂いです」
僕が抱きしめると、愛莉は猫のようにその身を寄せてきた。
あぁもう可愛い! これが僕の彼女であって、将来のお嫁さんなんだぜ!? 最高すぎるだろ!
「本当に愛莉が恋人で良かったよ……」
「私も、拓海さんが恋人で良かったです……」
どちらからでもなく、僕達は自然と目を閉じ唇を近付ける。
月に雲がかかり、周囲は暗くなりまるでこれからキスをする僕達を隠すように…………。
「ちょっと待ったああああああああっ!!!!」
『──ッ!!?』
触れるか触れないかのところで、突然背後の草むらから雄叫びにも近い声があがる。
「貴様ァ!! 愛莉ちゃんを
鬼の形相でこちらへと近付いてくる謎の男性。
僕はすぐさま立ち上がり、愛莉を背中に隠すように前に出る。
「あ、貴方が誰かは知りませんが、僕は決してこの子を誑かしたりなんてしてませんよ。……まぁ確かに接吻は……言い逃れできませんが」
「ふんっ!」
「おわっと!?」
突然降りかかる拳をすんでのところで回避する。
「ちぃっ!」
お互い一旦距離を置き、睨み合う。
……このおっさん、見た目以上に強いぞ!?
……この坊主、見た目はひょろひょろだが予想以上に動けると見た!
こんな思想が絡み合う中、僕はすぐさま構えを取る。
これは昔マッサージ店の店長に教えてもらったやつで、本当ならこんなおっさんに使うべきではないのだが、このおっさんからはひしひしと殺気が伝わってくるのだから仕方ない。
僕が構えたのを見ると、相手も構えをとる。
お互い顔は見えないものの、その構えからして何かの武術を習っていたのは一目瞭然だった。
お互い円を描くように横に少しずつ移動する。
と、その時おっさんが力強く地面を蹴り、こちらに飛び込んでくる。
「せやあああぁぁぁぁっ!!」
気合いのこもった声と共に、丸太のような太い足による回し蹴りが飛んでくる。
──が、それは僕に当たることなく空を切る。
「今のワタシの蹴りを避けるとは……やるな坊主」
『……あれ?』
その時、月にかかっていた雲が晴れお互いの顔を拝見した僕達は揃って首を傾げる。
それもそのはず、僕はこのおっさんの顔をどこか、それもテレビとかではなく、もっと地味なところで見たような…………。
「あっ!」
その時、僕の脳裏にある記憶が蘇る。
それは去年の夏の出来事。
僕達のサークル「幼子の楽園」が合宿と意気込んで、山奥で缶詰めのような形で自分達のスキル向上をしていた時の話だ。
道があるとはいえ山奥なので、何が起こるかわからない。
熊よけスプレーなどはしっかり持っている。
僕は暫く歩いたところで、悲鳴を耳にする。
「今のは……こっちか!?」
僕は悲鳴の聞こえた方へと走ると、そこには2m《メートル》近くある熊と熊を正面に、木を背中に逃げ場を失っている男の人がいた。
襲われている、そう直感した僕は男と熊の間に割り込む。
「お、おい、君っ! 危ないから逃げて」
「大丈夫です。えいっ!」
僕は男の人に構わず、熊めがけて熊よけのスプレーを噴射。
それは熊の顔面に命中し、熊はのたうち回る。
「さっ、この先に小屋があるのでそこに避難しましょう」
「あ、あぁ。助かる」
僕はそのまま熊を放置し、男を連れて僕達が寝泊まりしている小屋へと走り出す。
その途中、僕はずっと疑問に思っていたことを聞いてみる。
「ところで、その……」
と、ここで僕は名前すら聞いていないことを気が付く。
相手もそれに気付いたらしく、走りながら軽く自己紹介をする。
「あぁ、申し遅れました。ワタシは
「社長っ!?」
「はい」
「そ、そんな凄い人がどうしてこんなところに……」
「いやはや、恥ずかしいお話なのですがワタシの知らないうちに娘が自分の家を建てていたらしくてですな、そのまま出ていってしまったのですよ」
「そ、そうなんですか」
なんだ今さらっと言ったけど家ってそんな簡単に建てられるもんだっけ?
…………まぁこの社長って言ってたしその娘さんなら可能性だよな、うん。
僕は完全に思考を放棄する。
「まぁそんなこんなでショックの余り走り出したのはいいのですが、気が付いたらこんな山奥、どこか安全に野宿できそうな場所がないかと探していたら運悪く熊に遭遇してしまいましてなぁ〜。いやはや、貴方に助けて貰えなかったら今頃ワタシは奴の腹のなかでしたわあっはっはっ」
豪快に笑い飛ばしているが、軽くとはいったものの走っている最中である。
「ところで、貴方のお名前は?」
「あ、すみません自己紹介が遅れて。僕は
「湊拓海さん……ですか、ばっちし覚えましたぞ」
「呼び捨てで構いませんよ朝武さん」
「いえいえ、ワタシはこれでも命を助けられた身、命の恩人を呼び捨てになど出来ませんわ。あ、それとワタシのことは気軽にアッキーとお呼びください」
「そんな恐れ多いですよ! それなら僕の方こそ気軽に拓海とでも呼んでください」
「あっはっはっ、意外と謙虚な方なんですな拓海さんは。でもこれはワタシからのお願いでもありますどうか」
そう言いながら朝武さんは頭を下げる。
「わ、わかりました、わかりましたから! 走りながら頭下げないでくださいアッキーさん!」
「わかってくれましたか!」
そう言ってにこやかな顔を浮かべながら頭をあげるアッキーさん。
こうして僕達はそのまま小屋に戻り、充や柿本に説明をしてみんなで朝までどんちゃん騒ぎをした。
……そして、目の前にいるこのおっさんはきっと。
「もしかして、アッキー……さんですか?」
「もしかして、あの拓海さん……ですかな?」
お互い声を揃えて確認し合う。
間違いない、この人はあの夏出会ったあの人だ。
それが確信に変わった瞬間、僕達は肩を組み合い、再開を喜びあう。
「いや〜久しぶりですな拓海さん」
「こちらこそ久しぶりですアッキーさん」
お互い肩をバシバシ叩き合う。
あの後、アッキーさんが武術を習っていたと知った僕は店長との稽古で付けた実力を知るためにアッキーさんと何度か手合わせをしてもらったことがあるのだ。
ちなみに結果で言うと僕の方がやや上だ。
「あの、拓海さん……これは一体……」
ずっと遠くの方で見ていた愛莉がこちらに近付いてくる。
「あぁごめん愛莉、アッキーさん……明仁さんとちょっとした勘違いを起こしていたらしい」
「そうだよ愛莉ちゃん、拓海さんとはちょっと勘違いがあっただけなんだ」
『……えっ?』
そこで僕達は顔を見合わせる。
どうしてアッキーさんが愛莉の事を知っているんだ? それもちゃん付けで呼ぶほど親しいのか?
どうして拓海さんが愛莉ちゃんの事を呼び捨てで……。もしかしてワタシの時みたいに助けてあげたのかな?
二人して首を傾げていると、背後から突然、今もう聞き慣れた
「お二人ともここにいられましたか」
「愛優さん」「愛優」
またしても被る。
ここまでくると僕は流石に腕組み。アッキーさんは愛莉と愛優さんのことをちゃん付けや呼び捨てにするほどの仲。
「えーっと、アッキーさん」
「はい、なんでしょうか」
「愛莉や愛優さんとは……知り合いなんですか?」
「愛莉ちゃんは娘で、愛優はワタシが雇ったメイドですが?」
…………
「うえええええぇぇぇぇぇぇっ!!!?!?」
僕は驚きのあまり街全体に響きそうな勢いで叫ぶ。
確かに今思えばアッキーさんの本名は朝武明仁……そして朝武なんて珍しい苗字はそうそうない。
ましてや愛莉の事をちゃん付けで呼ぶのは親類関係に当たる人だけだが……。
「そういえば拓海さんは愛莉ちゃんの事を知っているみたいでしたが、愛莉ちゃんとはどのようなご関係で?」
「あ、えっと……一応、将来を約束した恋人関係です」
…………
「うえええええぇぇぇぇぇぇっ!!!?!?」
今度はアッキーさんが僕と同じように叫ぶ。
「あ、ああああ愛莉ちゃんそれは本当なのかい?」
「はい、お父さん……本当に、拓海さんとお付きあいをしていま……って、あんまり揺らさないでください〜」
突然の事で動揺したのか、アッキーさんは愛莉の肩をがしっと掴んで揺らしていた。
「あの、アッキーさんそれくらいにして……」
「はっ、そうでしたな……みっともない所をみせて申し訳ない」
何が何だかわからない私はそっと愛優さんの所に近付き、事情を把握する。
「なるほど、そうでしたか……」
「えぇ、私もついさっき知ってびっくりしてます」
「これならお父さんも納得してくれる……でしょうか?」
「さぁ……こればっかりは……」
私は拓海さんに宥められているお父さんに近付き、交際について聞いてみることにした。
実は愛優さんからお父さんの事は色々と聞いているからこそ少し心配になっていた。
「あの、お父さん」
「うん? どうしたの愛莉ちゃん」
「その、拓海さんとの交際をお父さんは反対してたって聞いたので……」
「あぁその事か……どうやらお父さん、違う拓海さんだと思ってたみたいだ。ほら、拓海って結構いる名前だろ? でもこの拓海さんなら安心して任せられる」
「アッキーさん……」
「つまりこの恩人の拓海さんとならワタシは全然オッケーと言うよりむしろこちらからお願いしたいくらいだよ」
……こうして、僕の知らないところで行われていた愛莉の交際問題は解決し、無事(?)に僕達は公式に交際することとなった。
「まさか拓海さんがお父さんの知り合いだったなんてびっくりです」
帰り道、僕と愛莉は愛優さんの運転する車に乗り、家へと戻る。
アッキーさんは「まだ部下が頑張ってるから社長であるワタシが先に帰るわけにはいかない」と言って会社に戻っていった。
「僕もびっくりしたよ。愛莉のお父さんがアッキーさんだったと言うか、アッキーさんの娘が愛莉だったと言うか……」
「偶然ってあるものなんですね」
「そうだね……」
こうして僕達が今日の思い出に浸っていると、さっきまで黙っていた愛優さんがこちらに見せつけるように何かを取り出す。
「それで、湊様。先ほどこんなものを拾いましたが……」
「ん? 何を拾っ──てええぇえぇえぇぇぇっ!!?」
愛優さんの指の間に挟まっているブツ……それは紛れもなくアミテの店長に貰った薄いピンクのアレだった。
「もしこの後ハメを外してハメるつもりでしたのなら私は暫くの間席を外しますが……」
「そんなことはしませんから大丈夫ですっ!!」
「そうですか……」
あからさまにしゅんとする愛優さん。
全く、この人は。
「……ん?」
僕が呆れていると、不意に肩が少し重くなる。
「すー……すー……」
「あぁ」
そちらへ視線を向けると、愛莉が気持ちよさそうに可愛らしい寝顔を浮かべていた。
「今日はありがとう愛莉」
僕はそっと愛莉の頭を撫でる。
「私こそ、ありがとうございました……」
「えっ?」
「すー……すー……」
「…………」
起こしてしまったと思ったが、どうやら寝言のようだ。
僕は少しおかしくなり、自然と笑みが零れる。
「湊様」
「? 愛優さんどうしました?」
「いくら好きあっていても流石にハメを外してハメるのは起きている時の方が良いかと」
「…………」
その笑みが一瞬で引きつったものになったのはもはや言うまでもないだろう。
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