第13話

 弁当のおかず作りでレンチンした冷凍春巻の胴体に対して斜めに包丁を入れてふたつに切断したとき、昨晩には思いつかなかったことに気がついた。考え事や勉強は朝にしたほうがいいというのはどうやら本当らしいと思う。テスト期間中には早寝早起きして朝に復習をしていたから知っているはずのことなのに、改めて実感として確認できた。

 手紙をどうやって渡すか、という問題。私たちの学校には靴箱がなく、校舎に入るときは土足だった。直接渡せば手っ取り早いのだろうけど、人目があると恥ずかしくて渡せないし、どこかに呼び出して渡すことができたら、わざわざ手紙にする必要がなくなってしまう。更衣室は共用だし、個人ロッカーは各々の教室のなかにある。体育の時間は合同ではないため、彼女たちのクラスが無人になる時間を調べないといけないし、私はその時間の授業をわずかな時間とはいえサボらなくてはいけなくなる。いや、もちろんアカネちゃんのためならそれくらいの覚悟はあるのだけれど、いざ実行する段になって私は講義中の先生に向かってお手洗いに行きたいとか気分がすぐれないとか、授業を放棄するに値し、ルミちゃんの付き添いをかわせるだけの嘘をつけるのだろうか。

 まあ、そのときになってから考えればいいか、と準備を整えて学校に向かう。自転車置き場において、私たち生徒には所定の位置というものがない。どの学年がどの場所を使ってもよく、私たちは基本的に空いている場所をその都度見つけては停めている。自転車のスタンドをおろし、カゴから鞄を取り出したとき、視界の端に金色の髪を捉えた。目で追うと金髪さんで、隣にはアカネちゃんもいる。休み時間、トイレに行く途中になんとなく三Dの教室に一瞥を送ると金の髪が目に付く。不思議なもので、意識し始めると途端にふたりを見かけることが多くなった。昼休みや放課後もふたりは頻繁に私の視界の隅をかすめていく。きっと、私が気づいていなかっただけで、いままでもこうやってすれ違っていたのだろう。ずっと見ていて気がついたことだけど、彼女たちはほとんどの時間をふたりで過ごしていた。教室のなかにいるときはほかのクラスメイトと話していることもあったけれど、トイレ、昼休み、移動教室、帰宅時などはふたりきりだった。

 数日間の観察を経て私が感じたことは、アカネちゃんにはかつての私のような特別仲の良い子がもうすでにいるということ。そして、すでに過去となった私の居場所はもうないのかもしれないということ。せっかくしたためた手紙も出せず終いのまま鞄のなかに眠っていた。金髪さんに嫉妬がなかったとは言わないけれど、なんの行動も起こさずに運命をただ待っていただけの私には彼女を恨んだり憎んだりする資格はないのだ。

 終業のチャイムが鳴っても、私はやるせない気分のせいでぼうっとしていた。

「マユ。早く着替えな」

 顔を上げるとルミちゃんがジャージ姿で立っていた。右手にはロッカーに入っていたはずの体操服が入れてある袋を持っていた。それを私に差し出す。周りを見渡すとクラスメイトたちは談笑しながら着替えている。次の時間は体育だった。

「どうしたの? 体調悪い?」

 ミヤコちゃんは体操服の裾を胸から腹に引き下げながら尋ね、ついでスカートを下ろすとすでに短パンを穿いていた。教室からは続々と人が減り、あと着替えていないのは私くらいだった。私は頭を振ってルミちゃんから体操服を受け取る。ふたりに囲まれたままもそもそと着替えを始める。特にルミちゃんは私を睨むように見つめていて、まるで早くしろと急かしているようだった。私は彼女たちの視線にさらされながら、ストリッパーになったような情けないやら恥ずかしいやらそんな気持ちで手早く着替える。ルミちゃんは私が脱いだ制服を片っ端から拾っては畳み、机に置いていった。

「ごめん……」

「別に」

「じゃあ、行こっか」

 三人のなかでミヤコちゃん半袖短パンだった。クラスどころか学年を見渡しても希少な服装。大半の生徒は半袖になることはあっても、短パンになることはあまりなかった。私は日焼けが嫌だったので、暑かろうと長袖を選ぶ。

 グラウンドに出て校舎の壁に設置されている時計を見上げると、始業まであと五分を切っていた。クラスメイトたちは文句を言いながらもさきにランニングを開始していた。体育教師の意向で、すこしでも実技の時間を多く取るためにランニングは始業前に済ませておくのがお約束だったから。それでも私の足が時計を見上げた位置から一歩も動かすことができなかったのは、窓から金髪さんとアカネちゃんがおしゃべりをしながら廊下を歩いている姿が見えたからだった。その場所は一階。つまり、私たちの教室がある階ではなかった。彼女たちが向かっていたのはおそらく理科室。実験のために移動教室して授業に臨むのだろう。

「マユ? どうしたの、ぼーっとして」

 ミヤコちゃんが私の眼前で手を振った。はっと正気づいても、なにか言い訳めいたことばを発することができずに口を開いたまま止まってしまう。

「やっぱり気分悪い?」

 全然そんなことはない。私は元気だ。そう言おうと思っていたのに、なぜか私の首は縦に振られていた。

「大丈夫? 保健室行っとく?」

 いまならまだ引き返せる。これ以上嘘を重ねるのはよくない。そう思っていても、私の喉は消え入りそうな声でミヤコちゃんの提案に乗じて肯定していた。

「じゃあ」

 ルミちゃんは私の手を取って校舎に向かって歩き出した。私はその手を解いて頭を振る。

「ひとりで大丈夫だから」

「でも……」

「遅刻しちゃうよ?」

「それもそうだよね」

 ミヤコちゃんはルミちゃんの手を取り、抵抗する彼女を無理やりグラウンドのほうに連れて行った。

「先生には言っとくから、ちゃんと休むんだよ」

 私は手を振る彼女に応じ、それから校舎に戻っていった。とは言っても、向かう場所は保健室などではない。自分の教室だ。

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