第11話

 保健室に戻ったとき、弁当箱から唐揚げとパスタが消えており、私のお弁当は野菜弁当になっていた。代わりというわけではないのだろうけれど、唐揚げがあった場所にはピンクと白のマシュマロが置かれていた。

「遅いからいらないのかと思って」

 犯人はそれ以上言い訳も謝罪もしなかった。けれど、私はあのコンビニ弁当を脂ぎった汚いおかずを食べずに済んだことに安心し、すこし怒ったふりをしただけでそれ以上ミヤコちゃんを責めることもなく許した。どうせなら白米のほうも食べておいてほしかったけれど、それらは我慢して野菜といっしょに咀嚼し、デザートとしてマシュマロをいただいた。

 残りわずかな昼休みの間にルミちゃんから午前中のノートを借り、午後には授業に出席する。


 授業が終わり、放課後になると私は部活がないのですぐに家路に着く。けれど、今日はアカネちゃんに宛てる手紙の便箋や封筒を買おうと、近くの芸大生御用達の画材屋さんに寄り道をした。店内に入るとすぐにパステルやイーゼル、額縁などが姿を現す。さらに二階に行けばもっと専門的な道具も揃っているのだろうけれど、踏み込んだことがないのでどんな様相を呈しているのかはわからない。私のような普通科高校の生徒は場違いなように感じられるけれど、文具の類も充実しており、その一環として封筒や便箋も数が豊富なので、私はときどき立ち寄っては送る相手もいないのにそういった品々を買って悦に浸っている。ルミちゃんもそういった行動に慣れているようで、何も言わずに買い物に付き合ってくれていた。けれど、今日に限っては遠慮して欲しかったのだけれど、そんなことを突然言い出したら怪しまれてしまいそうなので黙っておく。

 額縁や絵画が飾られている一画を通り過ぎ、その裏にある文具のコーナーでまずは便箋から物色する。子供が好きそうな愛らしい妖精たちが飛び交うメモ帳じみたものから、無地で罫線しか引かれていないもの、植物の蔦や葉の絵で縁どられたもの、曲線や唐草、複雑な文様など過剰に装飾を施されたロココ調のもの。すでに持っているものにざっと目を通してみたが、どれもいまのアカネちゃんの琴線に触れそうなものはない。ならば、まだ手にしていない分野、あるいは私が好まない色彩のものを中心に見ていくべきだろう。ルミちゃんは無言で私の隣に立ち、手元を見つめている。自分の興味があるものを勝手に見に行ってくれてもいいのだけれど、きっと興味がなさすぎて見るものがないのだろう。ことばにしないけれど、急かされているような気持ちになるからやめてほしい。

 私の好みではない分野、そのひとつにグロ可愛い系があった。そういった便箋も揃っているようで、隅のほうに少数だけぽつんと置かれているにも関わらず、異様な存在感を放っていて目を引きつける。血走った眼球や滴る血液、明らかに毒を持っているだろう巨大な蜘蛛、シルエットだけのコウモリ、紫の液体をぶちまけている壺、極めつけは――もはやなにがしたいのかがわからない。これを可愛いという人は医者かゾンビぐらいだろうというような――細部までこだわって描かれただろう動脈が走っている心臓。私はやや顔を背けながらも恐る恐る手を伸ばし、不気味な便箋を取ろうとした。すると、いままで静かだったルミちゃんが私の手首をつかみ、商品に触らせまいとした。

「そういうのは不良のものだから、マユはやめたほうがいい」

 ぐいと手を引き、別の商品に向かわせる。

「こっちにしたら?」

 彼女が示した商品は罫線ばかりのシンプルなものだったが、下部にはサバンナをイメージしたような木々やライオン、シマウマなどの動物たちのシルエットが描かれている便箋だった。そのとなりにはアラスカを表現したかのようにアザラシやしろくま、氷山のシルエットが印刷されたものもある。どちらかといえば、動物園や水族館のお土産売り場に置いてありそうな商品だった。

「まだ持ってないよね?」

 確かにまだ持っていなかった。興味がなくて見落としていたということはないので、おそらく私が来ていなかった間に新しく入荷したものなのだろう。私の好みにぴったりで、アカネちゃんの件がなくても欲しくなる品だった。けれど、アカネちゃんがこういうものを好むのだろうか。そういえば、むかしは動物が好きで、気が狂ったように吠える獰猛な犬にも果敢に迫っては手懐けようとしていたこともあった。きっと気に入ってくれるかもしれない。

「これも」

 そう言ってルミちゃんが持ってきたものは白いマーガレットが便箋の縁を彩っているものだった。ちらと彼女が手を伸ばしていた棚のほうを見やると、花シリーズとして写真のように生き生きとした花々が便箋に散りばめられている商品が数多く並んでいた。商品の手前にはそれぞれ花の名前と花言葉が書かれており、送る相手に届けたい想いによって図柄を選べるようになっていた。

 私は動物を差し置いてその花シリーズの棚に向かってしまった。マーガレットの花言葉は真実の愛、秘密の恋、信頼。私ははっとしてルミちゃんを振り返った。彼女はいつもどおり無感動な表情でじっと私を見つめていた。もしかして、私が誰になんの目的で手紙を送ろうとしているのかを知っている? 思えば彼女は私のことはなんでもお見通しだった。私の持ち物、その日の健康状態、好み、買ったもの。ありえないことではない。きっと彼女は私の仕草や視線、言動挙動からなにを考えているのかがわかるのだ。

「どうかした?」

 ルミちゃんは小首をかしげる。その手に持ったマーガレットこそ、私がアカネちゃんに送るにふさわしいと思う一方、私の気持ちを確かめようとカマをかけているのかもしれないとも思う。ならば、まだ疑いの段階で完全にバレていないのならば、私はその便箋を選ぶわけにはいかない。ううん、と私は頭を振り、商品棚に向き合う。どの花を選ぶことが正解なのだろう。けれど、そもそも恋文用の商品なのか、どれを見ても愛や恋、純情などの花言葉ばかりが目についた。店ぐるみで私を陥れようとしてきている。さっと棚を見やる。ブーゲンビリア、ペンステモン、シロツメクサ、紫陽花、チューリップ、ヒヤシンス、勿忘草。

 私は踵を返し、サバンナの風景シルエットの便箋を選んだ。

「それでいいの?」

 私は頷き、会計に行く。封筒は家にある野原を思わせる淡い黄緑色のものを使おうと思う。会計時、ちらと店の営業時間に目を走らせる。午後五時半まで営業。一度家に帰ってからまたひとりで来るのは難しそうだった。

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