第10話
楽しげな声が聞こえて目を覚ますと、カーテンの向こう側に何人かの生徒がいるようだった。余分に設けられたスペースにピンクのチェック柄のテーブルクロスがかけられた長机があり、きっとそこで昼食を摂っている人たちがいるのだろう。本来、病人以外は極力こないようにと言われているのだけれど、お見舞いがてらそのスペースを利用する人は多いのだとか。私はその笑い声に聞き覚えがあったので、ベッドから降りてスカートを身につけ、カーテンを開けた。
「あ、マユユ。起きたの?」
カーテンに向き合うように座っていた友人のミヤコちゃんが私に気づき、持っていた箸を振った。彼女の右隣の一角にはルミちゃんもいる。
「寝不足? もう大丈夫なの?」
私は曖昧に頷いて大丈夫であると応え、机を見やった。お弁当箱がふたつ。時刻はもう昼休みだった。つまり、私は午前中の四限分ずっと眠っていたのだ。いつのまにか隣のカーテンは空いていて、アカネちゃんはいなくなっていた。
「長期休みだからってハメ外しちゃダメだよーって、マユユに限ってそれはないか。なに? 徹夜で勉強?」
まあ、そんなところかな。私はベッド脇にあった自分の鞄から弁当箱を取り出し、それを持って彼女たちと同じテーブルについた。包みを解いてふたを開ける。
「おっ。今日は唐揚げなんだ」
うん。私は頷き、箸ケースから箸を取り出そうとして、足りないものに気がついた。ふたりの近くには飲み物がある。ルミちゃんは烏龍茶でミヤコちゃんは苺ミルク。
「飲み物、買ってくるね」
私は箸を戻して弁当の蓋を閉め、財布を片手に廊下に出た。校内の自販機で売られている紙パックのヨーグルト。近所のスーパーを見て回っても売られていなかった、私の唯一の楽しみ。
「マユユのもらっちゃおう」
後ろ手に扉を閉めたとき、ミヤコちゃんのそんな声が聞こえ、私の弁当箱の蓋が開けられる音がした。きっと唐揚げをつまみ食いするつもりなのだろう。どうせあまり食欲もなかったところだし、止めるつもりはない。
「やめなよ」
ルミちゃんも言葉だけで特に止めようとはしない。ミヤコちゃんが人のおかずを取ることはよくあることだから。私は自販機に向けて足を踏み出したとき、重大なことに気がついた。もしかして、唐揚げはコンビニ弁当の味がするのではないか。私は両親の手作り唐揚げを食べたことがないので味の違いはわからない。けれど、ミヤコちゃんはその違いに気づいてしまうのではないか。私は踏み出した足を静かに戻し、保健室に耳をすませた。
「うん、おいしい。味が濃いめでご飯が進むね」
「ふうん」
「ルミーも食べたら?」
「いらないよ」
まるでコンビニ弁当のようだ、なんてことばが出なかったことに安心し、まだ出発していたことがバレないように足音を立てないように歩き出した。
渡り廊下に続く扉を開け、左折すればすぐに自販機がある。
「はぁ? なんで無視すんのぉ?」
金髪さんの高い声が聞こえた。
「強く押しすぎなんだって。壊れてんのかな?」
角から顔を覗かせてこっそりとようすを伺うと、アカネちゃんと金髪さんが自販機の前に立っていた。金髪さんは苛立たしげにボタンを強く押し込んだり連打したりしていた。反応が悪いのだろうか。しばらくそのようすを眺めていると、アカネちゃんがこちらを振り返った。
「なんか買うの?」
突然呼びかけられ、戸惑いながらもなんとか頷き、私は彼女たちの前に姿を現した。
「一回どきな。さき、どうぞ」
アカネちゃんは硬貨の返却レバーを倒してお金を取り、金髪さんを自販機から引き剥がして私に場所を譲ってくれた。私のことがわからなくても、ちゃんと優しくしてくれるアカネちゃん。私は会釈してそそくさと小銭を入れ、すこし背伸びをしてヨーグルトのボタンに手を伸ばす。
「あ、それいま無理だよぉ」
「え?」
金髪さんのことばに振り返る。けれど、勢いづいた指は止まらずにボタンを押してしまう。ピーガッチャン。そんな音を立てて自販機はヨーグルトを吐き出した。
「はぁ? なんでぇ?」
あ、この人もヨーグルトが買いたかったんだ。
「アタシのこと無視したくせにマジ意味わかんなぁい!」
取り出し口からパックを取り出して場所を開けようとしたとき、顔を上げるとヨーグルトのボタンに売り切れのランプが灯っていた。
「ちょ、ありえない」
私はどうしたらいいのだろう。本来なら金髪さんが手にしていたはずのヨーグルト。けれど、いまそれを手にしているのは私。金髪さんは私を振り返し、きっと睨むようにしてこちらに手を伸ばしてきた。
「それ、ちょーだい」
彼女の言い分はわかる。けれど、私はこれを毎日の楽しみにしているのだから、譲るわけにはいかない。私はパックをかばうようにさっと後ろに隠す。金髪さんがずいっと一歩迫って来た。
「まあまあ。買ったのはこの子なんだし、諦めなって」
「でもぉ、アタシのほうが先だったしぃ」
「乱暴にするから嫌われてんだよ」
金髪さんは手を下ろしたものの、まだ私を睨み続けていた。ちらとアカネちゃんのようすを伺うと、彼女は困ったように笑いながら頬を掻いていた。私の癒しだけれど、アカネちゃんが困っているのなら――。
「あの、これ……」
私はうつむき、ヨーグルトを差し出した。金髪さんはそれを私の手からバシッと素早くもぎ取った。
「あっ、こら。……いいの?」
アカネちゃんは申し訳なさそうに私を見やる。お金さえ返してくれれば、と私はアカネちゃんに顔を見られないようにしながら頷いた。金髪さんはストローをすでにくわえていて、ポケットの小銭入れから一〇〇円玉を取り出して私に渡した。
「ありがとぉね」
さきほどまで私を敵のように睨んでいたことが嘘のような笑顔で礼を言い、アカネちゃんの手を取ってさっさと歩き出した。その後ろ姿を呆然と見ていると、アカネちゃんが振り返って片手を顔の前にかざし、手振りで謝罪していた。
これで、アカネちゃんはいまの私を覚えてくれただろうか。過去を思い出さずとも、いまここに私という存在がいることを認識してくれたのだろうか。
覚えてくれていたら、それだけで今回の件は許せるだろう。なにも買わずに帰ると怪しまれそうなので、今日はいつもミヤコちゃんが買っていた苺ミルクを買うことにした。
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