第5話
自転車置き場に向かって自転車を押しているとき、カチッとなにか硬いものを踏んだ音がした。足元を見やると前輪の下に金属板のようなキーホルダーが見える。私はそこに付属していた鍵を踏んでいたようだった。前輪を少しずらし、片手でハンドルを支えて鍵を拾う。キーホルダーの金属板は修学旅行などに行くと露天商が記念品を謳って名前を彫ってくれるような安っぽい代物だった。名前はふたつ、筆記体のローマ字で書かれていた。恋人同士が思い出の品として作ったのだろうか。ええと、Akane Uno・Kaoru Matui。アカネ ウノ、カオル マツイ。アカネという名前を見たとき、私にはわかった。きっと、これはアカネちゃんのものなのだ、と。いままで久しく見ていなかったアカネちゃんの夢を今朝見たのは、きっと天から賜った再会の合図だったのだ。なんとなく予感はしていた。今日が特別な日になるのではないかと。神様はきっと、勇気を出せずに声をかけることもできないだろう私に、これを使いなさい、とアカネちゃんのポケットから鍵をくすねて地面に置いたのだ。でなければ、夢を見た日の朝にわざわざ私にこの鍵を拾わせるわけがない。まあ、アカネちゃんの苗字がウノではなかったような気もするけれど、それは離婚や何やらが当たり前のご時世では大した問題ではないだろう。アカネちゃんはこの学校にいる。私はこの鍵の持ち主であるアカネちゃん
を探し出し、再会するのだ。そして、思い出話に花を咲かせ、あの頃のように遊んで、一〇年あまりの年月想い続けていたことを告げよう。
「マユ。どうかした?」
顔を上げると、ルミちゃんが怪訝そうな顔つきで立っていた。すでに自転車を停めていたようで、手には鞄しかない。
「なに、それ」
バレないうちにどうにか隠そうと思っていた瞬間、そうはさせるかと彼女は私の手首を掴んでそれを阻止した。
「鍵?」
「……うん。落ちてた、から」
彼女は黙って私の手から鍵をもぎ取り、金属板の文字に目を走らせた。
「困ってると思うし、届けないと」
「ダメだよ」
ルミちゃんは冷たく言い放った。
「この人、たぶん三Dの人だよ」
三D。アカネちゃんはそこにいたのか。階段を上がってすぐの場所にその教室はあった。私たちが教室に向かうにあたって、必ず前を通るはずのクラスだったのに、いままで気がつかなかったのか。とはいえ、それは当たり前の事だった。私たちは意図的にそのクラスから視線を逸らしていたのだから。
「あそこは不良が多いから、マユが近づいたら危ないよ」
そう。D組は成績の最低ランクの人が集められたクラスだった。そうはいっても、この高校に合格している時点で他校の学生よりはある程度優秀なはずなのだ。ただ、最高位の私たち――成績優秀で先生の言うことをよく聞いて、真面目で悪さをしない模範的生徒――と比較すると不良に見えるというだけで。髪を少し染めただけで不良になったと嘆かれるような場所において、堂々と金にも似た色の髪にしている生徒がいるのだから当たり前とも言えるけれど。
「でも、きっと鍵、探してるよ……」
「なら、職員室に届けよう」
それだとアカネちゃんに会えない。けれど、彼女にきつく見つめられてしまうと私は身がすくんで反論なんてできなくなる。私がひとつ頷くと、ルミちゃんは安心したように表情を緩ませた。
「じゃあ、早く自転車停めてきな」
私は静かにタイヤを回転させながら、視線だけは名残惜しそうに彼女の手の中身を追った。
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