第2話 夜行列車

 ガタンゴトンと云う音が聞こえてくる。それと共に私の体は一定の感覚で小刻みに揺れる。その間隔は何処か懐かしく、安らぎを与えてくれた。ゆっくりと眼を開けると、其処は列車の中だった。私は列車の対面席の一角に座り、窓枠に寄り添って寝ていた様だった。電車にしては揺れが大きい。さては汽車だな?と、ここで私は祖父の言葉を思い出した。

「ここら辺に走っとるのは電車じゃない。よく見てみ。上に電線が架かっとらんだろう?電線が無い奴はみんな汽車いうて、電車とは違う。電車は電気だから揺れも少ないが、汽車はそうでないからよく揺れるんだ」

 祖父は元国鉄の運転士だった。でも最近会っていない。元気にしているだろうか。体調がすぐれないと云う話は聞いていないので、とっても元気なんだろう。しかし私が、元運転士の祖父からその話を聴いたのはもう十四五年前の事だった。

 よく思い出せたものだ。

 窓の外は一寸先も見えない暗闇で、天井の薄いオレンジ色の照明がより一層明るく車内を照らしている。外は黒ばかり何も見えず、ただ窓硝子には外を覗う私の顔が映っているだけだった。

「酷い顔…」

 私は窓硝子に映る向こう側の私を見てそう呟いた。窓の向こうの私は何処か不安げで、いつも何かに怯えている。いつもの誤魔化す様な作り笑顔とは違って、私の内面的な感情をそのまま映し出し、それを具現化した様な顔だった。

「綺麗な顔が台無しネェ。全く」

 ヨシノは呆れたようにそう云った。

「うるさい」

 私は少し不機嫌そうに呟いた。

 改めて車内を見廻すと、思ったよりも人が込み合っていた。通路は人で塞がっていて、降りるにはこの人たちを押しのけ、かき分けて降りねばならないと思うと気後れする。人付き合いはあまり好きじゃない。

 やがて列車は停車駅に停まり、私の周りに座っていた人たちは皆降りて行った。人の山をかき分けて出て行った。外では赤々と照明がともされ、大勢の人がこちらへ向かって手を振っている。

「ネェ、ヨシノ。あの人たちは如何して手を振っているの?」

 私はヨシノに訊いた。

「知らないわよ。私に訊かないで頂戴。秘書アプリじゃないんだから。アナタに解らないものは私にも解らないわ」

「それも…そうよね」

 間もなくホイッスルの音が響き、列車は一度軋んだ後、再び走りだした。

「アア。良かった」

 そんな声がしたかと思うと、一人の男が席に駆け寄って来た。二十代位のヒョロリと痩せた眼鏡の男だった。

「イヤァ、どこも一杯で…ここ、空いてますか?」

「エエ…どうぞ」

 意外だった。引っ込み思案で人見知りの私が見知らぬ男と話している事に私は驚いた。

「有難う。通路じゃ中々外、見えないんですよ」

「外?何が見えるんですか?この真っ暗闇で」

 私は不思議げに首を傾げた。

「エエ。そのうち見えますよ。そろそろ天空の駅だ」

「天空の駅?」

「初めてですか?マァ、見てれば解りますよ」

 男はそう微笑むと、鞄からデジタルカメラを取り出した。

 成程鉄道ファンの人かと、私は思った。何かイベントでもあるのだろう。皆その天空の駅とやらで降りるのだろうか。

 そもそも、私は何故この列車に乗っているのだろうか。

 トンネルを抜けると、そこは深い谷だった。その谷底には住居の明かりが点々と灯っている。住宅街らしかった。それを見るなり車内の人々は一斉に声を挙げた。

「下を見てごらん」

 そう云われるがまま、私は窓の外を見降ろした。

 この駅はホームと線路のスペースと、少しの余白があるだけで、すぐそこはもう空中だった。私が高所恐怖症だったらどうしようかと思うくらい、其処は真っ暗闇に包まれて一寸先も見えないのだ。どんどんと、暗闇のを目線移動させて私は恐る恐る下を覗いた。

 その時、私は息を呑んだ。

 高架下の谷底にはたくさんのドーム状の照明が置かれ、夜闇を明るく照らしていた。それだけではない。街中には大勢の人で溢れていた。

「やっぱり、なにかイベントがあるんだ」と、私は思った。

 突然ヒューと云う音がしたかと思うと、一筋の光が天高く上り、ドンッと云うお腹に響くような大きな音と共に夜空に華が咲いた。花火だ。花火が打ち上げられたのだ。

「綺麗ね。ヨシノ」

 私は夜空に咲き乱れる無数の打ち上げ花火を見てそう云った。

「そう?アタシの方が綺麗だとは思わない?」

「あっきれた。アナタ比べる対象間違ってない?何花火に対抗意識を燃やしてるのよ」

 私は苦笑した。

「冗談よ。なーに本気にしてんのよ。そんな事云ってると、そろそろ花火終わっちゃうわよ」

「え?嘘っ」

 私が窓の方を向いた途端、バァンとどろく大きな音と共に特大の華が咲き、車体ががたっと揺れた。間違い無い。これが最後の花火だ。

 その花火と共に、山間の町に甲高い音が響いた。汽車の汽笛だ。その汽笛は何処か寂しげな心地がした。

「ネェ。ヨシノ。この列車は一体何処へ向かっているの?」

「サァ。私にも解らないわ」

「そう…」

 この列車は一体どこへ向かっているのか。この沿線で一体何のイベントが行われているのか。そして私は何故この列車に乗っているのか。それさえも解らない中、私は信じられない程に冷静だった。何処へ行くのか解らない列車に乗っているのに、私は何一つの不安さえも覚えなかった。

「訊いてみなさいよ」と、ヨシノは云った。

「え?」

「そんなに気になるのなら訊いてみればいいじゃない」

 私が人見知りだと云う事はヨシノも十二分承知の筈なのに、軽く見られたものだと私は少し腹が立った。それでも訊かなければ一生答えは得られない。

 そう考えているうちに私の口が勝手に動き出した。

「この列車は何処へ向かっているのですか?」

 云ってしまった。もう少し云い様があった筈なのに、私の口はこの言葉を紡ぎだしてしまった。これでは私がおかしな人だと思われても仕方がなかった。

 私は「はぁ?」と、首を傾げられ、怪訝けげんな顔をされることを覚悟した。しかし以外にも、男は気さくに答えてくれた。

江津ごうつですよ」

「ごーつ?」

 何処かで聴いた事のある地名だけれども、それが何だったのか、私はそれを思い出す事ができなかった。

「江戸の『江』に、津軽の『津』で『江津』と云うんです」

 親切に男はそう教えてくれた。

「どこから来られたんですか?」

 何処から…だろう。住んでいる場所は東京だから…

「東京…です」と、答えた。

「へぇ。東京ですか。随分と遠くから来られましたね。僕も東日本ですが、東京よりは近いですよ」

 即ちここは西日本かと私は思う。

「鉄道が好きなんですね」

「鉄道…ですか」

 鉄道…私の記憶では只電車に揺られているだけだった。特別好きかと聴かれればそうではない。でも嫌いかと聴かれれば嫌いではない。でも、好きなんだろう。

「祖父が国鉄の運転士でした」

「国鉄の運転士!?それは凄い。では貴女も鉄道関連の仕事を?」

「いえ。この前高校を出たばかりですから」

「あっ、そうでしたか。それは失礼。では春からは大学へ?」

「ええ」

 ふと、手元を見るといつの間にか私の手にはひんやりとした懐中時計があった。随分と古ぼけているが、今でも正確に時を刻んでいる様だった。裏返してみると其処には『国鉄』の文字。祖父の懐中時計だ。しかし何故だろう。この時計は祖父が持っている筈なのに。

 いや、違う。これは昔私が祖父から譲り受けたものだった。確か私が引っ越すときに餞別としてくれたのだ。

「それ、懐中時計ですか?」

「はい。祖父が現役時代に肌身離さず持っていたんです。それを私が東京へ引越す時に餞別として私にくれたんです」

 懐中時計は何時いつも正確に動き、お陰で私は時間に遅れた事がなかった。

「そうですか。そいつは羨ましいなァ」

 男は笑った。

 その時「おっ、此処、空いてますか?」と、云う声が聞こえてきた。見れば五十代くらいの、ハンチングを被った中年の男が立っていた。

「エエ。いいですよ」

 目の前の男は自分の横の荷物をどかして云った。

 ハンチングの男は「イヤァ、ありがとう」と云って、私に一礼して席に座った。律儀な人だなァと私は思った。

「このひと、見るからに詳しそうね」

 ヨシノはそう呟いた。

「そうね。もしかして何か精通しているのかも」

 私たちの予想は案の定当たっていた。ハンチングの男はとても詳しい話をしてくれた。そして何時の間にやら私より少し年上の女の人が私の隣に座り、フムフムと話に聞き入っていた。

 如何やらこの路線は今日で廃線になるらしいのを、私は今知った。だから全国から鉄道を愛する人たちが集まっているのだという。みんな知っていたようなので、私は少し黙って知っているふりをした。今更知らなかったなんて云えない。

「回送後は、車両を全部合わせて浜田へ運ぶんです。そしてそれが終わったら、踏切とか全部外して、あらかじめ据え置いてあった穴にパイプを通して、コンクリートで固めるんです。もう中に這入れないように。そのうち駅舎とかも解体して、踏切も舗装されると思いますよ」

 ハンチングの男はそう教えてくれた。

「ヨシノ…何だか、寂しいね」

「如何したのよ。急に」

「長い間みんなに親しまれて、支えてきた設備や施設を、もう壊しちゃうなんて」

「仕方がないわよ。それが廃線。もう此処は使うことは無いの。使えないのよ」

 何故だか私は初めて利用するこの路線の行く末を思うと喉が締め付けられるような感覚におちいった。何故だか寂しかった。

「感情輸入しやすいね。全く…」

 やがて大きな駅に着くと、正面の二人は立ちあがった。

「それじゃァ、良い旅を」

 そう別れを告げると、男達は人の流れに沿って行き、出口の向こうへと消えて行った。

「うわっ、凄い!」

 誰かが声をあげた。外を見ると、駅のホームには溢れんばかりの大勢の人が押し寄せていた。駅舎の中で演奏がある様で、中まで音が聞こえてくる。

 やがて、人の流れが止まった。しかし、一向に列車は進まない。

「あれ?まだ動かないんですか?」

 私は隣の女に尋ねた。

「そうよ。まだ上りの列車が来ていないもの。このまま発進したらぶつかっちゃうわよ」

 女はころころと笑い、私の前に腰掛けた。

「ネェ。もしかして此処に来た事があったりする?あっ、私の事はお姉さんって呼んでちょうだいな」

 お姉さんは唐突にそう云った。

「え?」

「だって、随分と懐かしそうに眺めてるんだもの。国は?…ごめんなさい。今頃そんなんじゃ伝わらないわよね。生まれは?」

「石見です。十歳で東京に引っ越しました」

「道理で。もしかしたら昔この列車を利用した事があったのかも」

「ここに…ですか?」

 此処に来た事がある?何時?…ダメだ。思い出せない。

「それも、よく来たんじゃない?」

 よく来た?

「アナタは何処で降りるの?」

「私は…何処で降りるのか…わかりません」

「そっか。でも、答えを出さないと、回送列車になっちゃうわよ?でもまだ時間はある。ゆっくり考えなさい。それじゃぁね。私は此処で降りるわ」

 そう云うとお姉さんは立ちあがった。

「ひょっとすると、アナタが降りるべき場所は、ここなのかも」

 お姉さんは「頑張って!」と、私の頭を撫でて出口の方へと消えて行った。

「私が降りるべき場所は…此処?」

 その時窓からまばゆいばかりの光があふれて来て、私の目の前は真っ白になった。

 ○

 私が眼を覚ましたのは見慣れた部屋のベッドの上だった。

 起き上がった私は「ふわぁ…」と欠伸をして、伸びをした。

「夢…か…」

 長い長い夢を見ていた。あの場所は一体何処なのか。あの列車は一体何処を走っていたのか。何だか地名が出てきたようだけれど、私の脳内記憶装置によると肝心のその部分が欠損している様だった。マァ、肝心なことが思い出せない「夢あるある」だろう。

 今日は平成三十年三月三十一日。旧年度最終日であり、私がこの部屋で目覚める最後の日だった。

 携帯電話の電源を付けると時刻は午前六時半。ネットニュースを開くと、ある一文が眼に這入った。

『三江線。きょう廃止へ』

三江線みかわせん?どっかで聴いた事がある様な…ネェ、ヨシノ。何だと思う?」

 私はヨシノに聴いた。

「はぁ…馬鹿な子。それはね、三江線みかわせんじゃなくて、三江線さんこうせんって読むのよ」

「流石ヨシノ。良く解ってるじゃない」

「流石って、一応私はアナタの中のアナタの分身なのよ?分身の方が頭良くてどうすんのよ」

 そう。ヨシノは私の分身。私自身が生み出した、私の中に居るもう一人の私だ。かなりぶっ飛んだ設定の様に思われるかもしれないけれど、簡単に説明すれば『解離性同一性障害』所謂『二重人格』だ。特別医師の診断を受けた事は無いけれども、これをそう呼ばずして何と呼ぶだろうか。

「頭悪いって…そこまで云わなくても…」

「本体が馬鹿なんだから仕方がないじゃない。それで良く大学に受かったものね」

 もう一人の私は口が悪い、チョッと棘のある性格をしているが、これはあくまで素の状態。私のストレスの果てに生み出された彼女は、私に安らぎを与えてくれた。彼女のお陰で苦手だった人間関係を代行してもらえ、私は安心していられる場所に閉じこもる事が出来た。

 そんな私ももう十八歳。今年でもう十九歳になる私は、人格をコントロールできるようになり、高校を出、大学入試にギリギリだったけれど何とか合格した。勿論私自身で。

 そして今日。私は旅立つ。色々あったこの家、この部屋を出る。進学先は島根。元々島根県出身だった私。十歳で東京に引っ越してから実に八年。一度も帰った事が無かった土地に帰る日がやってきた。

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