第18話 She's Gone


「どういう意味だ?……いや、それ以前になぜ、君がここにいるんだ?」


 俺は混乱する思考を宥めつつ、冷静に問いを放った。


「ここが、今の私の居場所だから……この場所から離れることはできないの」


「なぜ、冷凍倉庫なんだ?それに、そこに倒れているのは二宮じゃないのか?」


「ええ、そう。本当は生かしておきたかった。ボスは私に優しかったから……」


 七美はぞっとするようなことを口にすると、寂し気に目を伏せた。


「生かしておきたかった、だって?じゃあ、あの死体は……」


「私が殺しました。「彩花」の姿だった時に」


 そう言うと七美は口の両端をわずかに持ち上げて見せた。直後、俺は信じられない光景を目の当たりにした。七美の顔面がぴくぴくと痙攣し始め、粘土細工が人の手でこねられるように表情筋と顔の脂肪がうねりだしたのだった。


「まさか……」


 数秒後、俺の前にいたのは「彩花」だった。


「これが私の、本来の「顔」です。お望みなら「アイリス」にも「ポイズン」にもなることができます」


「なんだって、じゃあ、さっきまで俺と一緒にいたのは……」


「私です。……だって、本物の「ボス」はもう、動けないんですもの」


 七美だった「彩花」はそう言うと、二宮の死体を見やった。


「いったい、どういうことなんだ、これは」


 俺は予想外の展開に戸惑いつつ、問いを重ねた。


「私がボス……二宮と初めて会った時、私はまだ「生き返った」ばかりで自分の身体がどうなっているのかよくわかっていませんでした」


「生き返った、だと?じゃあ、君は……」


「ゾンビです。泉下さん、あなたと同じように」


 思いがけぬ告白に、俺は僅かながら真相を把握しつつあった。なるほど、ゾンビだから次々と違う人間に「変身」できたわけか。


「ある出来事がきっかけで家を飛び出した私を、二宮は匿ってくれました。いつまでもいていいと言われ、私はつい、彼の好意に甘えてしまいました。でも、そんな日々は長くは続きませんでした。私の身体に異変が起き始めたからです」


「異変?」


「生き返ってからの私は、普通の人間の食べ物を受け付けなくなっていたのです」


「まさか、君はブラック……」


「私のようなゾンビがそう言う名で呼ばれている事も、後で知りました。つてを頼って「設楽存しだらたもつ」というブラックゾンビの統括者がいることも知りましたが、私は二宮の元にいるのが心地よく、他のゾンビと接触することを拒んでいました」


 俺は絶句した。彩花が父親の元に戻らなかった理由はこれだったのだ。


「しかしそうは言っても、襲ってくる空腹を紛らわすのには限界がありました。私は思い切って二宮に自分がゾンビであること、それも特殊なゾンビであることを告げました。すると彼はこう言ったのです「仲間を煽って君のための「人間狩り」をしよう。ホームレス狩りを装って適当な人間を殺し、いかにも野犬に荒らされたように見せればたぶん、大丈夫だ」と。私はそれに異を唱えませんでした」


 俺の中で、いつか柳原から聞かされた「首をちぎられたり内臓を食い荒らされたりした」死体の話が蘇った。あれは猛獣に襲われた死体ではなかった。ブラックゾンビの「食事」の跡だったのだ。


「やがて、身寄りのないホームレスを見つけるのも難しくなっていきました。そんな時、私はついに人として許されぬ過ちを犯してしまったのです。それはたまたま、二宮がいなかった時のことでした。アジトの同じ部屋で休んでいたグループのメンバーに乱暴されそうになり、私は恐怖も手伝ってそのメンバーを「捕食」してしまったのです」


「なんてことだ……」


「食い荒らしてしまったメンバーの死体はここに運び、発泡スチロールの箱に入れて放置しました。うっかり埋めて足がつくのが怖かったのです。事情を知った二宮は、そのメンバーを「行方不明」扱いにしました。こうして数名の仲間たちが私の「餌食」となり、二宮はパワードスーツの装着で生じた体調不良もあり、寝込んでしまいました。


 限界を感じた二宮は私に「自分に化けてグループの解散宣言をしてほしい」と懇願して来ました。私は言われた通りにしようとしましたが、ちょうど西村親子がグループと関係を深めており、メンバーたちはどんどん新しくなるパワードスーツに、狩りの興奮を抑え切れない様子でした。仕方なく私は、解散のタイミングがつかめるまで「二宮」になり切ることにしたのです」


「そこへ、親父さんや俺のような外部の人間が「彩花」を取り返そうと乗りこんできたってわけか」


「そうです。私は仲間を煽って父を追い返しました。その直後です、泉下さん、あなたが「月の光」を訪ねてきたのは。私は少し前から「村崎七美」として働いていたのですが、あなたが「二宮」を探しているとわかって、この人にグループを潰す手伝いをしてもらおうと決意しました」


「なぜ、俺に……」


「直感のようなものです。この人はただの人間じゃない、恐らく私たちと同じような「不死の人間」に違いないと感じたのです。私はあなたを喫茶店の常連客である年配男性と引き合わせました。なぜならその男性は、私が別の姿「アイリス」として働いているお店のお得意さんでもあったからです」


「じゃあ、君は自分を探させたわけか。なぜそんな回りくどいことを……」


「その時はもう、二宮の力を借りることができなかったからです。当時、私と彼は同じ部屋で暮らしていましたが、やはり極度の空腹に私は耐えきれず、弱って身動きできない二宮に手を伸ばす誘惑に耐えきれなかったのです」


「まさか……」


 俺は背後に横たわっている死体に内心で黙とうを捧げた。この倉庫に並んでいる大量の発泡スチロール容器の中身も、大方似たようなものに違いない。


「予想通り、あなたは「タイニィエンジェル」に私を探しに来ました。私は「バッドパワーズ」のアジトの一つをあなたに教え、仲間たちに襲わせました。私は内心、あなたが警察に駆け込むものとばかり思っていました。ですが予想に反し、あなたは自力で二宮の消息を追い始めました」


「あいにくと警察は苦手でね。しかし今の話を聞くと、どうも余計なお節介だったようだ」


「やがて西村明則と会ったあなたは、農地の中にある西村学の作業場にたどり着きました。いずれは西村親子も始末しなければならないと思っていた私にとって、あなたか西村のどちらかが死んでくれれば好都合でした。ところがあなたは突然、闖入してきた謎の人物に助けられてしまいました」


「こう見えてもおかしな知り合いには事欠かなくてね。持つべきものは腐れ縁というわけだ」


 俺は天元の複雑な表情を思い返した。俺の命を助けるなど、本末転倒だと思ったに違いない。


「あなたが助かったことを知った私は慌てて「タイニィエンジェル」を辞め、村崎七美としてあなたをライブハウスへと誘導しました。そこで「シャッターストリートボーイズ」のメンバーたちと接触すれば、私と二宮が住んでいる場所に辿りつくと思ったからです」


「まあ実際、そうなったけどね。おかげで素敵なバンドを一つ、知ることができたよ。お節介もしてみるもんだな」


「あとは残った「バッドパワーズ」のメンバーたちとあなたを戦わせるだけでいい。ついでに相打ちになってくれればさらにいう事なしだと思いました。それで私は、あなたがやってきた時を見計らい、最初はあたりを伺うふりをして本来の姿をあなたに見せ、次に二宮に扮してアパートを出ました。そして戦いが始まったらここに逃げ込み、静かになったら出て行こうと思っていたのです」


 彩花は長い話を終えると、溜息をついた。


「それで?俺はどうすればいい?今さら警察に通報したって意味がないだろう。俺はブラックゾンビの生存本能を否定できる立場じゃない」


 俺がそう言い切ると、彩花はふっと口元に柔らかな笑みを浮かべた。


「でも私たちと共に歩む気もない。……でしょう?」


「それは……」


 俺が言い淀んだ、その時だった。モーターの駆動音と共に、ふいに彩花の背後に巨大な影が現れた。それは三メートルほどの見たことのないスーツだった。


「泉下さん……ここに入ったという時点で、あなたの運命は半分、決まっていました。私たちの仲間になるか、さもなければ、私の……」


「食事になるか、か」


 俺が言い切らないうちに、スーツは両腕で彩花をつかんで持ち上げた。遠隔操作なのだろう、無人のスーツは開け放たれた操縦席に器用に彩花を収めると、俺に向かって打撃を繰りだしてきた。


「……くっ」


 最初の一撃をバックステップでかわした俺は、どうにかしてスーツに近づけないかと距離を保ちながら円を描いた。


「ごめんなさい、泉下さん」


 彩花の声が聞こえた次の瞬間、アームの袖からワイヤーが放たれ、俺の首に巻き付いた。凄まじい力に、俺は抗う間もなく手繰り寄せられていった。


「ぐ……ぐうっ」


 キャノピーの正面に運ばれた俺に、もう一方のアームから飛びだした身の丈ほどもあるピックがつきつけられた。ピックの切っ先が放つ冷たい輝きを目の当たりにした俺はなるほど、こうやって獲物の息の根を止めてきたのか、と合点した。


 ――すまない、ファンディ―……リニューアルは任せるぜ。


 俺が目を閉じ観念しかけた、その時だった。があんという金属同志がぶつかる音がして、俺の身体は宙に放り出された。次の瞬間、俺は転がりながら倉庫の床に不本意なキスをした。


「なっ……何っ」


 彩花の悲鳴がこだまし、俺はスーツの方に目を遣った。驚いたことに、彩花の装着しているスーツを、別のスーツが背後から羽交い絞めにしていた。


「もうやめるんだ、彩花」


 モーターの焼けつくような音と、アーム同士が拮抗し合うぎしぎしという音が倉庫内に響いた。もう一つの声を聞いて、俺は誰がやってきたのかを知った。


「内倉さん……」


 俺が思わず彩花の父親に呼びかけると、キャノピー越しに男性の声が響いた。


「泉下さん。とんだことになって申し訳ない。それもこれも皆、私の不徳に原因があるのです」


「どういうことですか」


「それを説明する前に、私にはしなければならないことがあります」


 内倉がそう口にした次の瞬間、破砕音がして彩花のスーツから片方のアームがちぎれ飛んだ。背後のスーツが続けてもう一方のアームも引きちぎろうと力を加えた瞬間、鈍い打撃音とともに背後のスーツが後方に弾き飛ばされた。どうやら彩花が蹴ったらしい。彩花は床の上でバランスを取ると、残った片腕を振りかざしながら俺の前に立ちはだかった。


「もう一度、蘇ることができたら今度こそ「私たちの方」に来てね、泉下さん」


 彩花が俺に向けて金属の拳を振り下ろそうとした、その時だった。


「ああっ!」


 俺の頭上でアームの動きが止まったかと思うと、彩花をキャノピーごと背後から鋭利なピックが貫くのが見えた。


「お……父さん……」


 彩花のスーツがぐらりと前のめりに傾いだかと思うと、轟音を立てて床の上に崩れ落ちた。背後には彩花からむしり取ったアームを手にした内倉が呆然とたたずんでいた。内倉は彩花のスーツの背に突き刺さっているピックを引き抜き、彩花のスーツを仰向けにした。内倉がスーツのキャノピーをこじ開けると、その下から胸を赤く染めた彩花が現れた。


「すまない……私を許してくれ、彩花」


「これで私……普通に死ねるのかしら。ねえ、お父さ……」


 喉を鳴らし、鮮紅色の血を吐くと彩花はそのまま目を閉じた。内倉は彩花の身体にすがってひとしきり嗚咽を漏らすと、スーツを装着したまま俺の方を向いた。


「この子がこういう身体になったのも、自分の母親に殺されるという、不幸な出来事があったからに違いありません。幼いころから母親の虐待を受けてきたこの子には、死の世界から蘇って母親を殺す以外に自由になる方法がなかったのです」


「いったい、なにが……」


「私とこの子の母親が再婚してしばらく経った頃でした。私が留守をしていたある時、母親が私とこの子との道ならぬ関係を疑い、折檻を始めたのです。私が部屋に足を踏み入れた時、目に映った物は、呆然と床にへたり込んでいる母親と、その傍らで首を絞められ、こと切れている娘でした。私はショックで通報することも、娘を埋葬することもできずにいました。そしてその翌日、私がほんの少し目を離したすきに、信じられない出来事が起きていました。蘇った娘が、今度は母親を刺し殺していたのです」


「なんてことを……」


「それから後のことは、思いだしたくもありません。私と娘は母親をこっそり埋葬し、何事もなかったかのように暮らし始めました。が、しばらくすると娘は家を飛び出し、行方がわからなくなりました。私は自首しようと決意し、母親の死体を掘り返しました。そして見たのです。……内臓がほとんど失われた妻の身体を。そして私は悟りました。娘は獣か鬼になったのだと」


 内倉は苦しみから解放されたような、穏やかな表情になっていた。


「泉下さん。私があなたに助けていただいた時、実は私は娘を助けようとしていたのではありません。殺す機会をうかがっていたのです」


「なんですって……」


「その後も私はあなたの行動をうかがいながら、娘の命を奪う機会を探っていました。これはあらかじめ定められていたことなのです」


 俺は言葉を失い、呪われた運命の父娘を前に立ち尽くすことしかできずにいた。


「そして、これが最後の仕事です。……彩花、待ってなさい。今、私も……」


 俺が制止の叫びを上げる間もなく、内倉は自分の胸にピックを突き立てていた。


「そんな……」


 彩花のスーツの上に内倉のスーツが折り重なるように倒れ込み、重く陰鬱な激突音が倉庫の中にこだました。やがて周囲が静寂を取り戻し、俺は冷たい空気の中で嗚咽を漏らした。


 ――いったい何がいけなかったんだ。神様、この世に蘇ったことのどこがいけなかったというんだ。


 俺はようやく本物の骸となった二つの身体を前に、もはや自分にできることは何もないこと、自分もまた、大きな運命の歯車に翻弄される小さな部品でしかなかったという事実を、思い知らされていた。


              〈第十九回に続く〉

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