第17話 フリーズ・ミスターバッドガイ


 俺は暮色に染まり始めた通りを、ふらふらと先をゆく影を見失わぬよう、一定の距離を保って進んでいった。


 二宮らしき人影は、手にスポーツバッグを下げていた。偶然だが俺もある必要性から、小ぶりのバッグを携えていた。

やがて二宮と思しき人影は地下鉄の駅へと姿を消した。俺は明則を追跡した時同様に一足遅れでホームに降りると、隣の車両に乗りこんだ。


 二宮らしき人物が地下鉄を降りたのは、やはり倉庫群のある川べりの最寄り駅だった。俺は人気の少ない街路を進んで行く背中をひたすらに追った。


 倉庫街に入ってほどなく、俺がおやと首を傾げる出来事があった。前回、俺がスーツを装着した少年たちに襲われた倉庫の前を、二宮が行き過ぎたのだった。


 ――ここで仲間と落ち合うわけじゃないのか。


 思惑が外れ、いささか肩透かしを食らった気分になりながら、俺は警戒を怠ることなく尾行を続けた。駅を出て以来、歩き続けた二宮の足がようやく止まったのは「秋口水産」という看板が掲げられた巨大な倉庫の前だった。


 そういえば、この向こうに卸売市場のような場所があったな、と俺はぼんやりと思った。二宮は見咎める者がいないのをいいことに、ずんずんと倉庫に近づいていった。


俺はだだっ広い敷地に足を踏み入れたとたん、あまりにも目標との間に遮る物がないことに気づき、やむなく倉庫から離れた場所に置かれたコンテナの陰に身を潜めた。


 二宮は従業員用の出入り口らしきドアの前に立つと、なにやら手を動かし始めた。シリンダー錠のようなものを解錠しているらしく、息を詰めて見ているとやがて、ドアを開けるような動きを見せた。


 すぐに侵入するのかと思いきや、次に取った動作に俺は面食らった。二宮は所持しているスポーツバッグを開けると、中からダウンジャケットのようなものを取りだし、着こみ始めたのだった。


 ――まだ八月の終わりだというのに、なぜあんな防寒着を?


 少し考えて、俺ははたと気づいた。この建物は冷凍倉庫なのではないだろうか。そう考えれば、防寒着を用意してきたことも頷ける。俺は二宮の姿がドアの向こうに消えたことを確かめ、より倉庫に近いコンテナの陰に移動した。


 しかし何だって冷凍倉庫などを待ち合わせ場所に選んだのだろう?俺が中に踏み込むかどうかを検討していると、二宮が再びドアの外に姿を現した。


 なんだ、あの中で手下たちと会うわけではなかったのか。俺はほっと息をつくと、倉庫から離れてゆく背中を追った。敷地を出るのかと思い、俺がコンテナの陰から出ようとした瞬間、二宮が何もない場所でいきなり歩みを止めた。


 俺は慌ててコンテナの陰に引き返し、二宮の挙動をうかがった。すると搬入口から一台のトレーラーが侵入し、二宮の前に横付けするように停まった。


 次第に薄暗さを増してゆく景色のなかで俺が目を凝らしていると、トレーラーのコンテナがゆっくりと開閉を始めた。開け放たれたコンテナから姿を現したのは、強化服を着た四人の人物だった。


「病み上がりの身体で、よく来られたな、ポイズン」


 人物の一人が、トレーラーから地上に降りるなり言った。


「これが最後のチャンスだと思ってね」


 ポイズンこと二宮は掠れ気味の声で言った。


「それで俺たちを呼びだした用件はなんだい、ボス」


 部下とは思われぬ横柄な口調で首謀者らしい人物が言った。


「今日、ここでお前たちに宣言しようと思ってね。「バッドパワーズ」は解散する」


 二宮が言い切ると、強化服の人物たちから忍び笑いが漏れた。


「あんたが宣言するのは勝手だが、あいにくと「バッドパワーズ」は継続する。新しくリーダーを選出してね」


「そのスーツを着て暴れ続ければ、いずれ身体を壊すだろう。解散した方が身のためだ」


「そうなる前に、西村親子に身体を壊さないスーツを開発してもらうさ。お払い箱になるのはあんたの方だ、ポイズン」


「やはりそうするつもりだったんだな」


「それがグループ全体の総意なんだ、悪く思わないでくれよ、ボス」


 冷酷に言い放つと、四人の強化服を着た人物は、固くこわばった表情の二宮を包囲する動きを見せた。


「まずい!」


 俺は思わずコンテナの陰から飛び出すと、二宮の元に駆け寄った。


「ん?あなたは……」


 振り返り、驚いたような顔をしている二宮に、俺は早口で指示を飛ばした。


「二宮さん、あんたは倉庫に隠れていてくれ。こいつらの相手は俺がする」


「どういうことです?」


 なおも問いを重ねようとする二宮を背後に押しやると、俺は強化服の少年たちに向き直った。


「ボスが解散するって言ってるんだから、おとなしく命令に従ったらどうだい」


「あんた、前にうちのアジトを覗いてたおっさんだな。性懲りもなく首を突っ込みやがって。殺されたいのか」


 二宮が駆けだしたのを見て標的を変えたのか、少年たちは俺の周囲を取り囲んだ。俺は身がまえると、四人の動きに意識を集中した。



 ――やれるか?いっぺんに。


 俺は全身の体温を下げ始めた。ものの数秒で俺の身体は死人と同じ冷たさになった。連中のスーツに熱源に反応するセンサーがあっても、これなら大丈夫だ。


「じゃあ、遠慮なく行くぜ、おっさん」


 少年の一人が、前に進み出た。俺は移動の準備をすると、ポケットから「夢煙弾むえんだん」という煙幕を取りだし、地面に叩きつけた。


「むっ?」


 そこかしこから、戸惑ったような叫びが漏れ聞こえた。俺はバッグを開けると中からチェーンのついた鉄球を取りだした。あたりが白い煙に包まれ、俺はほぼ視界ゼロの状況の中を駆け出した。


「どっ、どこだっ」


 俺は強化服の間をジグザグにすり抜けながら、勢いをつけて鉄球を振り回した。


「ぐあっ」


 時折、鈍い音がして鉄球が何かに当たる感触があった。周囲に赤や青の光が人魂のように飛び交っているのは「夢煙弾」に幻覚を見せる効果があるためだ。


「どこだっ……どこだっ」


 衝撃がさほどでないにも関わらず、連中の声は怯え切っていた。

 どこから飛んでくるかわからないという恐怖が、鉄球の存在を実際の衝撃以上に恐ろしいものにしているのだ。俺は薄れ始めた煙幕の中、うっすら見え始めた強化服に駆け寄った。俺はポケットに忍ばせたジュラルミンの小箱からアーモンド大の物体を取りだすと、強化服のダクトに突っ込んだ。


 俺がバックステップで離れるのとほぼ同時に、ガンガンという激突音が聞こえ始め、続いて「何だっ、だっ……誰だっ、暴れてるのは」という悲鳴が迸った。


 俺が強化服のダクトに突っ込んだのは「ビィ」という超小型のAI搭載ロボットで、壁にぶつかると滅茶苦茶な動きをするよう、プログラムされている。


 俺は二体目の強化服に近づくと、一体目と同様に「ビィ」を内部に放りこんだ。

 二体の強化服が次々と崩れるように地面に倒れ、俺は残りの二体に接近した。

 幻覚の効果でかなり怯えているであろう二体に向けて、俺は顔面を世にも恐ろしい死者のそれへと変化させた。


「ひっ……ひいいっ」


 強化服の胸部が音を立てて開いたかと思うと、怯え切った表情の少年たちが外に飛び出してきた。俺は思い切り目と歯を剥き出すと「ぎょえええっ」と威嚇の雄たけびを上げた。


「おっ……おまわりさん。助けてっ!」


 少年たちは助けを求める叫びを上げつつ、スーツをその場に残して走り去った。

 俺は顔面を元に戻すと、空になった四体のスーツを眺めた。


 ――悪く思わないでくれよ。こうでもしないと、本当にお前さんたちを殺す羽目になってたかもしれないんだ。


 俺は少年たちの「抜け殻」に向かって詫びると、二宮が隠れている冷凍倉庫へと向かった。短時間とはいえ、あんなところに隠れていたのでは、風邪を引いてしまうに違いない。


 俺は解錠されたドアの取っ手に手をかけると、手前に引いた。強い冷気が吹きこみ、死人の俺でも思わず「うっ」と声が出るほどだった。倉庫には奥にもう一つ金属の扉があり、その向こうが本格的な冷蔵室になっているようだった。


 俺は金属の扉の前に立つと、重そうな取っ手を引いた。開け放たれた扉の向こうに現れたのは霜に覆われた、だだっ広い空間だった。


「ここは……」


 俺は二、三歩歩いて、はたと足を止めた。冷蔵室の大半を占めるコンテナの手前に、人間の身体のような物体が横たわっていたからだった。


「……これは!」


 俺の足元に転がっていたのは、男性の死体だった。死体はすっかり凍っているものの、よく見ると首がちぎれ、腹部の肉がごっそりとなくなっていた。


「なぜ、こんなことに……」


 俺は凍りついている人物の正体を見極めようと顔を近づけ、うっと呻いた。


「あんたは!」


 俺は思わず叫んでいた。凄惨な姿で横たわっている人物は、二宮だった。


「さっきまで動き回っていたのに……なぜ」


 俺は混乱した。目の前の死体はどう見ても、相当前から凍り付いているように見えたからだ。


「じゃあ、俺が後をつけてきた二宮は、一体……」


 俺が手がかりを求めてあたりを見回した、その時だった。いつの間に現れたのか、冷蔵室の真ん中あたりに、小柄な人影が立っているのが見えた。


「あんた……誰だ?」


 問いかけると、人影がゆっくりとこちらを向いた。その顔を見て俺は絶句した。


「こんなところまで来させてしまってごめんなさい、泉下さん」


「君は……」


 俺は混乱したまま、相手の顔を見返した。そこにいたのは、想像もしなかった人物だった。


「ここが「バッドパワーズ」のお墓です」


 喫茶店で出逢った少女――村崎七美は白い顔を俯かせたまま、そう言った。


             〈第十八回に続く〉

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