第13話 シャイ・ガール
「ああ、あのバイオリンをやる子だろう?うん、知ってるよ。……実は私もバイオリンをやっていたんだよ」
「シャッターストリートボーイズ」のベース奏者である白髪の男性は、はにかむように言った。
「話したことはありますか」
「ステージの後に少しばかりね」
演奏が終わったバンドのメンバーに、少年少女のカップルがよく来るらしいが見覚えはないかと尋ねたところ、即座に答えが返ってきた。期待通りの成果が思いのほか簡単に得られたことに、俺は少なからずほっとしていた。
「どんなお話をされました?」
「ううん……主に音楽の話だね。男の子……確か二宮君と言ったと思うが、とても幅広く音楽を聞いているようで、私たちのやっている六十年代の曲にも興味があると言っていたな」
「女の子の方はどうです?」
「男の子の隣で静かに微笑みながら話を聞いてる、そんな感じだったよ。だが、ひどく苦労した子供時代を送ったらしく、ふとした折にそんな話を口にしたりもしていたな」
「例えばどんな?」
「自分は家庭が複雑で、高校も卒業できないかもしれない。もし水商売しかできる仕事が無かったら、育ちが良くて才能にも恵まれている二宮君の彼女にはふさわしくないと思うとか、そんなことを言っていたよ」
「そんなことを……」
俺はクラブで言葉を交わした「アイリス」のことを思い返した。化粧こそ派手だったが、目の澄んだ娘だった。色々な辛さを胸に秘めたまま頑張っていたのかもしれない。
「私はつい「馬鹿なことを言うんじゃない、人の価値は生まれで決まる物でも、才能で決まる物でもない、自分と周りの人をどれだけ大切にできたか、ということなんだ」と諭してしまったよ」
「ふうん……それで少しでも二人の間の空気が和めばいいですね」
「二宮君は随分と彼女を大事にしていたようだけどね……ここ一、二週間彼女の方だけが一度来たきりで、それ以来、姿を見ていないんだ。なんでも彼氏の具合があまりよくないとか……」
「私もその話を裏付ける光景をこの間、見たよ」
横合いから口を挟んだのは、ドラムスの男性だった。
「このライブハウスから二町ほど先の精肉店で、買い物をしている女の子を見かけたことがあるんだ。声をかけたらやはりその、二宮君の彼女……彩花ちゃんとかいったかな、だったんだ。彼氏に栄養でもつけるのかいって聞いたら、はにかみながら「ええ、私も食べますけど」って言っていたな」
「そのお店の名前、わかりますか」
「ええと「小出精肉店」とかいう店だったと思うよ」
ドラムスの男性は淡々と答えると、席を立って喫煙スペースに向かった。
※
「小出精肉店」は小さな店舗が軒を連ねる狭い小路の一角にあった。
「こんにちは」
俺が声をかけると、奥で作業をしていた年配の女性がひょいと顔を出した。
「はい、いらっしゃい」
「ええと、メンチカツを二つと豚バラを二百グラム」
「はい、毎度。……ありがとね、こんな雨が降ってる日に」
女性は商品を見繕いながら、俺に話しかけた。実際、通りには縁石を黒く塗らす程度の小ぬか雨が降っていた。
「あの……妙なことをお聞きしますが、こちらによく来るお客さんで、内倉さんっていう女性、ご存じですか」
俺が尋ねると、女性は一瞬、トングを持つ手を止めた。
「はい、知ってますよ。おかずの材料をたまに買いに来られます。……なんでも彼氏の体調がよくないみたいで、不安そうな顔をしてたのを覚えてます」
「このあたりにお住まいなんでしょうか」
俺が重ねて問うと、女性の顔がわずかに険しくなった。
「……あなた、もしかして学校の先生か警察の人じゃないでしょうね」
「どうしてそう思うんです?」
「だって、内倉さんもその彼氏も、随分と若いみたいだし、もしかしたら駆け落ち中なのかしらって。……まさか、親御さんに頼まれて連れ戻しに来た方?」
俺は返答に窮した。正鵠を得ているわけではないが、意外と核心をついていた。
「……まあ、知り合いであることは確かです。連れ戻す権限はありませんが」
「ふうん。……まあいいわ、ちらっと聞いた限りでは、そこの不動産屋の二階に住んでるみたい。それ以上のことは、わからないわ」
そう言うと、女性は手際よく商品を包んで袋に入れた。
「お願いだから無理強いはしないで頂戴ね。なにせ若いし、思い詰めるととんでもないことになりかねないから」
本気で二人のみを案じているのだろう、女性の目に訴えるような光がよぎった。
「わかりました。……まあ、うまく会えたらの話ですけどね」
俺は商品を受け取ると、教えられた建物の前まで足を運んだ。
雨の中、傘の下から二人の部屋と思しき窓を眺めていると、ふいに背後から声がした。
「泉下さんじゃないですか。珍しいところで会うな」
傘を傾けて声のした方を見ると、見覚えのある若者が立っていた。
「
「あいにくと証拠不十分でね。親父と兄貴……いや姉貴が金を積んだんだろう」
偉はふて腐れたように言った。この少年はミカの異母弟で、かつては不良グループ「善乃哉童」を率いていたいっぱしのボスだったのだ。
「どうしてこんなところに?」
「それはこっちの台詞さ。俺は昔、ちょっと可愛がってた奴が病気だって聞いたんで、住んでる部屋を探してたんだ」
「二宮のことか」
「ほう、さすがおっさんだな。俺たちのグループを潰しただけのことはある。そうだ。そいつが新しくこしらえたグループがたいそう凶悪だってんで、一度、話を聞きたいと思ってやってきたんだ」
「俺も同じだ。……もっとも俺が話したいのは、二宮の恋人の方だがな」
「恋人?……なるほど、恋人ね。おっさん、少し話さないか。ここから五分くらいのところに、おっさんの趣味に合いそうな薄汚れた喫茶店があるんだ」
「相変わらず口が悪いな。……いいだろう、久しぶりに生活指導をしてやるか」
俺は肩越しに二宮と彩花の住む部屋を一瞥すると、背を向けた偉の後に続いた。
〈第十二話に続く〉
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