第11話 フィール・ソー・バッド


「アイリス?……ああ、二日前に急に辞めちゃったの」


 俺の問いに、クラブのママは睫毛をきつくカールさせた目を瞬かせて答えた。


「辞めた……その際に何か理由っぽいことは口にしてませんでしたか」


「そうねえ、つき合ってる男がトラブルに巻き込まれたようなことを言ってたけど、あの子の話って信ぴょう性がないから、本当のところはわかんないわ」


「なるほど……ありがとう、参考になったよ」


 俺はママに礼を述べると、店を後にした。こうなるとほぼ、ボスと行動を逐一共にしていると考えていいだろう。俺は思いつく限りの場所を当たってみることにした。


「タイニィエンジェル」に続いて俺が向かったのは音楽喫茶「月の光」だった。


 以前、訪れた時と同じ席に腰を据えると、見覚えのあるウェイトレスが姿を現した。


「あらっ」


「この前はどうも。ええと、ブレンドね。……あれから二宮は来たかい」


 俺が尋ねるとウェイトレスは一瞬、ためらう素振りを見せた後、小声で「いえ、来てません」と言った。あまり他の客の話はするなと釘を刺されているのかもしれない。俺はウェイトレスの瞳にわずかに好奇の光がよぎったのを見届けると、重ねて問いを放った。


「他に何か、彼について見聞きしたことはないかなあ。何でもいいんだ」


 俺はわざと意味ありげな目線を送った。事件そのものに食らいついてくれれば、些細なことでも進んで話してくれるに違いない。俺はそう踏んでいた。


「あの……」 


 ウェイトレスは先ほど同様、躊躇するそぶりを見せた後、俺の前に顔を近づけ、囁くように「ここじゃまずいです」と言った。


「……そうか、わかった。それじゃ都合がよくなったら教えてくれないか」


 俺が名刺を出すとウェイトレスは頷き、さりげなくエプロンのポケットに滑りこませた。俺は約三十分、ワグナーを聞きながら優雅なコーヒータイムを堪能すると、店を出て駅前の居酒屋へと向かった。


                ※


「ふうん、あいつがホステスねえ。そういう想像はしてみなかったな」


 いかにも一仕事終えたという風にビールを呷りながら、内倉は言った。


「どうも俺が聞いた話を総合すると、やはり娘さんは自分の意志で二宮の元にとどまっているようです」


「そうか。……いや、無理を言って悪かった。あんたには迷惑をかけちまったな」


 内倉はそう言って俺に頭を下げた。そして「もう大人なんだと思って好きにさせるしかないんだろうな」と寂し気に笑った。アイリスこと、内倉彩花あやかを連れ戻すというミッションはどうやら一旦、打ち切りらしい。


「確かに本人の意志が一番大切です。……だからと言って犯罪まがいの行為に手を染めている男と一緒にいるのは、赤の他人の俺でさえ、感心できません」


「しかし、これ以上首を突っ込んだらあんたの身も危うくなるだろ。いいよ、これから先は警察に任せるさ」


 内倉の気弱な言葉に対し、俺は首を横に振って見せた。


「普通のやり方では連中は止められません。……俺が奴らを叩きつぶします」


「叩き潰すって言ったって……警察の人間でもないあんたが、どうやって」


「いろいろと裏技を使わせてもらいます。こう見えても「闇」の世界には何かと縁が深いので」


 俺が語気を強めると、内倉は「そんなものかねえ」と腕組みをした。


「ボスを倒せば娘さんも目を覚ますはずです。……もう少し待ってください」


 内倉は俺の言葉に頷くと「無理しないでくれよ」と言ってグラスを呷った。


                ※


「村崎七美ななみと言います」と、ファストフード店に現れた少女は言った。

 カットソーにジーンズといういでたちは、ウェイトレスの時よりも地味でおとなしく見えた。


「実は、私の親友が一時期、二宮さんとつき合っていたんです」


「へえ、本当かい。バッド……いや、彼が今みたいなグループを率いる前かな?」


「そうです。善の……何とかって言う不良グループと関わっていた頃です」


「それで、その親友はどうしたの?結局は別れたってこと?」


「はい。でもその後二宮さんは、親友の知り合いだった内倉さんと言う人とつき合いはじめたんです」


「うん、その子の話は聞いてるよ。……というか、君に色々と二宮のことを尋ねたのも、その子を連れ戻したいという親御さんからの依頼があったからなんだ」


「親御さんの……そうだったんですか。私が「月の光」で働き始めたのは二宮さんと親友が別れる少し前で、その頃は彼がそんな怖い人だとは知らなかったんです。あとで彼のもう一つの顔を知って、ぞっとしました」


「まあ、そうだろうね。じゃあ、内倉って子とつき合いはじめてからの彼のことはよく知らないってわけだ」


 俺はなるべく失望を顔に出さぬよう、気をつけながら尋ねた。


「はい。すみません。……あ、でもひとつだけ、親友から聞いた話があります」


「なんだい」


「彼が親友とつき合っていた時、よく美馬堺みまかい町のライブハウスに一緒に行っていたそうです。ところが親友と別れた後、同じ場所で彼が別の女性……たぶんその内倉っていう人だと思うんですが……といるところを見たって言ってました。わざわざ私に教えるくらいだから、よほどショックだったんだろうと思います」


「ライブハウスか……なるほど」


「あまり参考にはならないと思います。……すみません」


「いや、参考になったよ、ありがとう」


 俺は七美に礼を述べると、ファストフード店を出た。もしそのライブハウスの出演者に奴のお気に入りの出演者がいるとすれば、必ずまた訪れるに違いない。


 ――何しろ生のライブって奴は、これ以上ないほど中毒性の高い薬物だからな。


             〈第十二回に続く〉

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