第5話 鋼鉄の天使


「タイニィエンジェル」は思っていたより上品な造りの店だった。


 程よい暗さの間接照明、スタンウェイのピアノ、輸入家具で統一された調度と、どう見ても餓鬼の入る店とは言い難かった。


 俺が席に収まると、やたらとメイクの濃い女が香水の匂いを漂わせながらやってきた。


「あら、初めて見る方ね。私、アイリス。よろしくね」


 女はそう言うと、手際よく水割りをこしらえ始めた。ロックの方が好きだ、などと口を挟むのは野暮という物だろう。


「ちょっと聞きたいんだがこの店に二宮って言う、ませた餓鬼が来てないかい」

「あら、もしかして刑事さん?入店して早々、聞きこみなんて興ざめだわ」


「確かに元刑事ではあるけどね。……で、知ってるのかい」


「まあね。取り巻きを引き連れて良く来る坊やなら知ってるわ。名前は忘れちゃったけど。……煙草、いい?」


「構わないが、俺はあいにくと吸わないんだ。……ところでその坊やと親しい子、いないかな」


 俺は水割をあおると、アイリスの煙草に火をつけた。客商売は俺の方が長い。


「そうね、いないこともないけど……どうしてその坊やのことを知りたいのか、聞かせてもらわないことには教えられないわ。最低の仁義ってものがあるでしょ」


「ごもっとも。実は知人の娘さんが家出をしてね。その坊やと仲間たちが匿っているらしいんだ。探偵を気取るわけじゃないが、居所くらいは親御さんに教えてやろうと思ってね」


「ふうん、そうなの。……で、いくつなの、その子」


「十八だそうだ。だから親御さんにも、干渉しすぎるといい結果にならないぜと釘を刺した」


「そうね、その方が賢明だわ。私も家出の経験がないわけじゃないから、安易に探偵の肩を持つのには抵抗があるの。……ただ、坊やのたまり場にはちょっと心あたりがあるから、話によっては教えないでもないわ」


 そこまで聞いて、俺ははっとした。二宮とやらと親しい女は、この娘なのだ。


「条件は何だい。公序良俗に反しない程度の取引なら、応じるぜ」


 俺は言いながら、我ながらお堅い死人だと思った。それとも臆病なだけか。


「警察には教えない事、本人の意志に反して連れ出さない事、この二つよ。元刑事さんには悪いけど、警察って奴にあまりいい印象を持ってないの」


「まあ俺も、いい印象を持ったことはないけどね。……わかった、約束しよう」


 俺がそう答えると、アイリスは携帯を取りだした。画面をタップすると、マーカーのついた地図が表示された。


「場所の情報だけ、送ってあげる。後は自分で調べて」


 俺は携帯を取りだし、アイリスからデータを受け取ると、追加のボトルを頼んだ。用件が済んで気が楽になったのか、俺は「次はロックで頼む」と付け加えた。


                ※


 教えられた場所は都心部からやや離れた、川べりの倉庫街だった。


「どうせ不法侵入だろうな」


 俺は周辺の街区と比べても明らかに暗い一角に、慎重に足を踏み入れた。

 マーカーの位置から察するに、中小路に面した南向きの土地だ。


あたりを伺いながらマーカーが示す建物の前に移動すると、倉庫にしては小ぶりの建物が現れた。


「ここか」


 俺はシャッターの降りた倉庫の前に立つと、敷地に足を踏み入れた。東側に回りこみ、窓がないかあらためていると突然、目の前に巨大な人形を思わせるシルエットが現れた。


「これは……」


 俺は敷地に無造作に置かれた謎の物体に歩み寄った。近くで見るとそれは、金属の骨格で構成されたアシストスーツだった。……となると、涼歌の叔父の会社で開発された商品が「バッドパワーズ」に流れているというのは本当だったのだ。


 俺は建物の角を曲がって裏手へと移動した。通用口らしいアルミのドアがあり、その隣の小窓から光が漏れていた。そっと覗きこむと、事務室の一部が見えた。


 事務室は無人で、奥のパーティションの向こうに人影らしきものが見え隠れしていた。やはりここが溜まり場か。俺は作戦を練るため、一旦引き返す事にした。


 倉庫の敷地を出て、近くの自動販売機にもたれかかろうとした、その時だった。


 いきなり近くでモーターの唸るような音が聞こえ、はっとして目を向けると、顔の前に二メートル以上もある人影があった。人影には顔がなく、金属の身体と、胸のあたりにブラックスモークのキャノピーがあった。


 ――気づかれていた!


 俺が身を翻そうとした瞬間、金属のアームが俺の肩を掴んだ。万力のような力で掴まれそのまま吊り下げられた俺は、つま先を石化するとキャノピーめがけて蹴り込んだ。樹脂カバーがはじけ飛び、ぎゃっという悲鳴が暗い路地にこだました。


 俺を拘束していた手の力が弱まり、俺は空中に放りだされた。俺が地面に尻をしたたかに打ち付けた直後、目の前で大きな音を立てて金属製の巨人が尻餅をつくのが見えた。


 衝撃がアスファルト全体に伝わり、倉庫の出口あたりから、わらわらと人影が飛び出して来るのが見えた。俺は慌てて踵を返すと、繁華街の方に向かって一目散に逃げだした。


 ――やれやれ、探偵ごっこを引き受ける際は、ちゃんと念を押しておくべきだったな。調査の相手は人間に限る、と。


              〈第六回に続く〉

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