第4話 ソー・ホワット?


 音楽喫茶「月の光」は、時計の針を四十年ほど巻き戻したようなたたずまいの店だった。


 赤いスェードの椅子に身体を収めると、作りつけの巨大スピーカーから溢れ出る交響曲の調べが波のように俺の耳を包んだ。


「いらっしゃいませ。ご注文は?」


 髪を後ろで結んだ、化粧っ気のないウェイトレスに、俺はメニューも見ずにブレンドを頼んだ。こういっては何だが、古さを売りにしている店で旨いコーヒーにありつける可能性は低い。


 俺は腕組みをすると目を閉じ、椅子に凭れた。この店は咲人の知人で裏の顔はギャングのボス、ポイズンこと二宮玲士にのみやれいじの行きつけの店なのだった。咲人によると、玲士はこの店の写真をSNSにアップし「今、グリークを聞いています」などとスカしたコメントを寄せているらしい。


 昼はクラシックを愛するインテリ、夜は暴力を愛するボスか。マフィアじゃあるまいし、餓鬼の分際で気取るのもたいがいにしてほしいものだ。


 俺が難しい顔で交響曲に浸っているとウェイトレスが現れ、苦そうなブレンドを満たしたカップを置いた。


「いい音だね。こんな上等なスピーカーのある店は、このへんじゃ珍しい」


「マスターのこだわりみたいです。三十年前で百万円近くしたそうです」


 ウェイトレスは俺の問いにすらすらと答えた。愛想が苦手なのか、あまり表情に変化のない娘だった。


「ところでちょっと妙なことを聞くけどさ。この店の常連で、クラシックにうるさい二宮っていう高校生の男の子、知ってる?」


 俺がいきなり切りだすと、ウェイトレスは「ええ、知ってますよ。中学の時から来てるって言ってました」と、あっさりと応じた。


「俺さ、ロックバンドやってるんだけど、クラシック風のアレンジとかもよくやるんだよね。で、SNSで二宮って子と知り会ったんだけど、ここのスピーカーの音が絶品だって。来てみてなるほどと思ったね」


 俺は軽薄な親父を装いつつ、ウェイトレスの反応を見た。ウェイトレスはさして意外そうな表情も見せず「そうですか」と短く答えた。


「二宮君はいつも一人で来るの?それとも音楽仲間と?」


 俺が何気ない風をよそって尋ねると、ウェイトレスは小首をかしげた。


「大体、一人だと思いますよ。……あ、でも一人、時々、世間話をするおじいさんがいます。ええと……」


 ウェイトレスが言葉を切って記憶を弄るような表情を見せたその時、ドアのあたりでからんとカウベルのなる音が聞こえた。


「あ、あのお客さんです。今、入ってきた」


 ウェイトレスに目で示された方を見ると、小柄な老人が店内に入ってくる姿が見えた。老人は、まっすぐ俺たちのいる方に向かってやってくると、俺のすぐ近くのカウンターに腰を下ろした。


「ふん、今日はストラヴィンスキーか。たまにはわしが唸るような変化球を繰りだしたらどうだ、まったく」


 老人はまるきり難癖としか言いようのない苦言を呈すると、ウェイトレスにブレンドを注文した。俺は思い切って老人に声をかけた。


「あのう、俺、二宮君からこの店を教えられてきたんですけど、いい音ですね」


 いきなり見知らぬ客に話しかけられ憮然とするかと思いきや、意外にも老人は俺を見て相好を崩した。


「ほう、あんたもわかるか。ここの音の良さが。人は見かけによらないもんだな」


 見かけを云々され俺は一瞬、閉口しかけたが、よく考えてみたら俺はそもそも涼歌のような芸術系の人種とは、対極にある人間だ。まあ、妥当な感想だろう。


「二宮君とは親しいんですか」


「そうだな、親しいと言えば親しいのかもしれんが……なにせあの坊主は親父に似て曲者だからな。この店だけのつき合いと言っていいだろうな」


「曲者、ですか」


「ああ。市議会議員の息子のくせに、夜な夜なろくでもない仲間とつるんで、酒を食らったり盗みを働いたりしとるらしい。前に一度、ナイトクラブで子分を引き連れた奴と鉢合わせてな。さすがにその時は少々、ばつが悪そうだったよ」


「へえ。どこのナイトクラブですか」


 俺が野次馬を装って聞くと、老人はある店の名を口にした。よし、これで昼間の行動だけでなく、夜の足取りも少しは追えるだろう。俺が適当に調子を合わせ続けていると、話の途中で唐突に老人が「だがな、兄さん」と言葉を切った。


「本当にしんどい時は、クラシック音楽ですら役に立たん時がある。そんな時は、何を聞くかわかるか」


「さあ……演歌か何かですか」


 俺が尋ねると、老人はにやりと笑って入れ歯を剥き出した。


「決まっとるだろ。ロックン・ロールじゃよ」


              〈第五話に続く〉

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