歪んだ正義と家族の時間
夏休みに突入すると、
そのことを知らぬ
『夏休みの間に宏香ちゃん達ともっと仲良くなってくれたらな~』
と微かな期待をしていたのが、完全に当てが外れたからだった。ほの姫も、もういい加減に仲の良い友達を作ってほしかったのだ。でないと心配で心配で。
おそらく将成が望めば八上家で同じように宏香らと一緒に過ごすことはできたのだが、当の将成がそれを認める筈もなかった。
夏休み中、平日は八上慧一の家で過ごしている宏香だったが、日曜日はそれまで通り家にいた。養親である工藤浩一が家にいるからである。しかし土曜日の午後はやはり家にいなかった。それは夏休みに入る以前からそうだった。入院中の<養母>に会い、家族水入らずの時間を過ごすためである。
「あ、こんにちは!」
コンビニに買い物に行った帰り、たまたま出掛けるところだった浩一と宏香に遭遇し、明るく挨拶を交わしたほの姫だったが、浩一が「こんにちは」と笑顔で答え宏香が無言ながらぺこりとお辞儀をした後でバス停の方に向かって歩いていく二人の姿を、少し寂しそうに見送った。家族の仲の良さを思い知らされるからというのもあったのだが、それ以上に、浩一の妻である女性のことを思い起こしてしまったからである。
浩一の妻も、将成や宏香と同じく苛烈な児童虐待を生き延びた<サバイバー>だった。その詳細について、ほの姫もある程度までは聞かされていたのだ。実の父親から性的虐待を受けていたという事実を。
それでも浩一の妻は明るく振る舞い、普段は穏やかな笑顔を見せる美しい女性だった。だがその明るさは、あくまで浩一が傍にいることによってもたらされているというのもある。
しかしほの姫がこの時、寂しそうな表情を見せたのは、彼女が虐待を受けていたという事実についてだけではなかった。
実は、性的虐待を加えていたという父親はその事実が明るみに出て逮捕起訴され懲役七年の実刑判決を受けて服役したのだが、世間はそのことについて、父親を責めるだけでなく被害者である筈の女性にまで誹謗中傷を行ったのである。
『逃げない方が悪い』だの、『どうせロクなことしない悪ガキだったから折檻したんだろ』だのと、事実無根の下卑た憶測を並べたて、被害者を弄りものにしたのだ。
もちろん、加害者のやったことは許されるものではないし、それに対して強い非難があるのは当然だろう。だからといって、<加害者の血の繋がった娘であり家族である被害者>を<加害者の家族>として攻撃していいという道理はない筈だ。
『性的虐待するようなクズのガキなんだから一緒に始末すりゃいいんだよ』などと発言する者まで、決して少なくない数が現れたのだ。
しかもそれは、今なおくすぶり続けているという。
そう、工藤浩一の妻を弄りものにする<世間の声>は、まさに将成がやっていることと変わりないのである。
将成は、罪を犯した人間が世間からの集中攻撃を浴び、さらに私刑まで加えられる様を、まるでお笑い番組でも見るかのように笑い転げながら見ていたが、その陰にはそれらの行為に苦しめられる<加害者の家族>も存在するという現実があった。
加害者の家族まで巻き込んで私刑を加えようとする人間がいるから、工藤浩一の妻は今なおその陰に脅かされるという状態が続いているということだ。
そしてそれは、先日に将成が出会った
将成は、自分の憂さを晴らすことにばかり腐心するあまり、そういうことにまったく気付いていなかった。いや、気付いていたとしても何とも思わなかったのかもしれないが。なにしろ今の彼ははまだ、他人がどれほど苦しもうと不幸になろうと、何とも思わないような精神状態にあったのだから。
それについてはほの姫も以前から気にはなっていた。自分からは直接手を下して人を傷付けようとはしないものの、人が傷付いていることに対して鈍感と言うか、それを楽しんでいるかのような素振りを見せることには気付いていたのだ。ただそれも、彼女にはどうしようもなかった。
「他人には優しくしなきゃだめだよ」
などと、<優しさ>とか<思いやり>といった言葉で将成に諭すものの、それがまったく彼に届いていないことも感じていた。それでも、自分より弱い者を攻撃したりしないとか、自分からはケンカを仕掛けたりしないとかそういう部分を見て彼のことを信じようとはしていたのだ。それが、都合の悪いところを見ないように目と耳を塞ぐ行為であるということにも、薄々は気付いていながら。
だが彼女にはどうすればいいのか分からなかったのである。どうすれば将成にそれを分からせてあげることができるのか、分からなかったのだ。
工藤浩一と宏香を見送った彼女が悲しそうな顔をしたのには、そういう理由もあったのだった。
『私、将成の為に何にもしてあげられてない…あの子が自分の過去を振っ切れるようになれる手助けをしてあげられてない……』
何もできていないというのはさすがに卑下し過ぎでも、十分でないことは彼女も自覚している通りだった。能天気で底抜けに前向きであるが故に深刻になるところまでは至っていなくても、彼女は彼女なりに悩んでいる部分もあったのである。
しかしその点については、実はもう状況は動き出している。彼女は自分でも気付かないうちに、必要なことをしている。将成のこれからにとって大事なものを引き寄せているのだ。工藤浩一を頼るという形で。
それが実際に効果を発揮し始めるまでにはまだ時間がかかるだろう。だが確実に変化は始まっている。意識出来ていないから実感もないだろうが、焦る必要はない。ただまあ、そういうことをちゃんとほの姫に告げてくれる誰かがいれば、もっと安心できたのかもしれないが。そういう部分でついていないと言えばついていないのだろう。工藤浩一は既に既婚者であり、彼女に寄り添うように支えてくれそうな相手は…残念ながら今はまだ見当たらない。
こればっかりは、また別の出会いを待つしかないのかもしれない。
とかく人生というのはままならないものということだ。
しかし、夕方、浩一と宏香が部屋に戻ると、今度はカレーを一緒に食べないかというお誘いが来た。
「はい、行きます行きます!」
仕事が忙しく料理までは気が回らない彼女のことを、浩一はちゃんと案じてくれてたのだった。血の繋がらない将成の面倒をずっと見ている彼女の力になりたいと思い、気を遣ってくれているのだ。彼女はそれに素直に甘えた。
既婚者である浩一に対してアプローチをかけるつもりはほの姫にはないし、浩一にしても妻以外の女性に対しては、異性としての関心はない。しかも、仕事は定時で終わらせて毎日見舞いに寄ってから家に帰るというラブラブぶりを見せ付けられるだけだ。
『いいなあ~…』
などと溜息も吐きながらも、ほの姫は達の厚意に感謝していた。これから思春期を迎えますます難しくなっていくであろう将成との生活についての不安が和らいでいくのも感じた。できれば<宏香ちゃん>辺りともっと仲良くなってほしいのだが、そればかりは当人同士の気持ちもあることだし、あまり自分が気を揉んでも仕方ないのも分かっている。ただ、不愛想で粗暴な印象もありながら本当は真っ直ぐな部分もある将成と、そんな将成を恐れずに静かに傍にいてくれる宏香ちゃんの姿は、ほの姫から見てもお似合いじゃないかと感じていた。理想的だと感じていた。元気な
そんな妄想もありつつ、工藤家の部屋で、ほの姫と将成は今日も夕食をごちそうになっていたのだった。
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