短編

夏荷おでん

らーめん

 ラーメン、否、らーめん。それは日本のソウルフード。中国四千年の歴史が生み出し、食に対するどん欲なまでの妄執が発展させた究極の麺。


 うどん、焼きそば、ビーフン、素麺、世の中には多くの麺が存在し、俺はその全てを知っているわけではないが、一つだけ断言できることがある。らーめんに敵う麺など、今後、未来永劫、現れることはないだろう。


 その愛されっぷりは日本人の子供の約半数が「好きな食べ物は?」と聞かれて、迷わずラーメンと答えるほどである(当社比)


 結論を言おう。俺はラーメンが大好きだ。否、大好きであった、だ。




「あちぃ」


 うだるような暑さに思わず声が漏れていく。ついでに他にも大事なものが色々漏れ出しそうである。生気とか。


「私、初めてです! 男の人とらーめんを食べに行くのは! 私、結構らーめんにはうるさいですよ」


 そよ風が撫でるような、清涼感溢れる声が汗でべたつく不快感を拭い去る。


 陽の光を浴びて艶やかに輝いた黒髪を、右へ左へと泳がせ、クルクルと笑うこの少女。日本のビスクドールこと凪咲たんである。


 どうやら想像以上にこれかららーめんを食べに行くのが楽しみの様である。ぐへへへ、貴様のらーめんヴァージンはこの俺様が頂いたあ! あ、俺、童貞ですけど。道の程と書いて道程である。まだ、旅の途中だ。発展途上である。ちなみに終着駅はみえません。


「ちょっと! もう! きいてますか?」


「悪い悪い、聞いてるよ」


 ここで機嫌を崩されるとまずい。この娘は時々とんでもないことを言い出す。こちらも負けじとそよ風二百パーセントの笑顔で返す。


「ああ、楽しみだな」


 お前のらーめんヴァージンは俺のものだよ。ついでに大事なヴァージンもいただきたいまでである。


 欲望の腐臭がそよ風に漏れ出したのか、凪咲は口角をひきつらせて誤魔化しのように小首を傾げる。さっきよりも距離が半歩開いたのは気のせいである。繰り返す、気のせいだ。




「いただきます」感謝の言葉を唱えて、思い思いに目の前のとんこつへと手を伸ばす。


 まずはスープだよね! らーめん六百円に対し、替え玉百円。つまりらーめんの真価はスープに問われるといっても過言ではない。や、もしかしたら過言かも。


「スープっ、スープっ」


 ウキウキ気分で鼻歌を歌いながらレンゲに手を伸ばそうとしたところ、目の前のあまりに不釣り合いな光景に、思わず手を止める。目線も止める。


 スープを飲んでいた、どんぶりを持ち上げて。目の前の可憐な花も恥じらう大和撫子が、我にレンゲなど不要。そう言わんばかりにどんぶりから直接スープを飲んでいたのである。


 少女は、食事に手を付けず自分をじっと見つめる視線を訝しく思ったのか「どうかしましたか?」と小首を傾げる。


「雄太君は、レンゲを使う派なんですね」


 凪咲は、レンゲが装備された俺の右手に、目線をやり、それから箸へと手を伸ばす。


 キノコ派、たけのこ派のような派閥的な雰囲気を醸し出す言葉が聞こえ、思わず今日一番素直な疑問を口にする。


「え、レンゲ使うかどうかで何か違いがあるのか?」


「ちがいます! ああ! 嘆かわしい! 私の彼氏ともあろう方が、まさかとんだラーメンにわかだったとは……」


 頭を振りながら、少女は左手を額へと当てる。


「わ、わるい……」


 猫派だと思っていた友人が実はイグアナ派であった。そんな事態が発覚したかのような悲嘆っぷりに、思わず謝罪の言葉が口を付く。


「ぜんっぜん、味が違うじゃないですか! 脂が! レンゲとそうで無いのでは!」


 たたみかける少女に、そうなの? と、とりあえずレンゲでスープを味わった後に、今度はレンゲを使わずにスープを味わう。


 脂多めのこってりとした、俺好みの豚骨スープであった。違いは判らぬ。


「ごめん、わかんねえ」


 凪咲は驚愕の悲嘆を露わにした後、気を取り直したように、とんでもない言葉を口にする。


「今日は将史君が違いが分かるようになるまで、とことん食べ歩きましょう!」

 

 結局、この後、違いが分かるようになるまで八件のらーめん屋の梯子を余儀なくされることとなった。


 俺の異性とのらーめんヴァージンはとんだらーめんビッチによって穢されてしまったの

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短編 夏荷おでん @natsunoatsuihiniha

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