第32話 反逆

 私は希望をもたらす者


 一通のメッセージに目を通し、パンドラは深く息を吐いた。



 ――とうとう、この時が来た。



 帝国内では、戦力として贈る兵の確保がままならなくなってきていた。


 ヘカテーを町で見かける機会が格段に増え、国民の間にもこの戦争の行方を不安視する声が上がり始めていた。


 帝国の情報操作も、すでに限界だ。


 皆が、真実に気付き始めていた。


 加えて。


 実態のつかめない謎の集団の存在、ヘラクレス。


 集団とは言いつつ、その人数も素性も知れないその謎の集団だ。


 様々な媒体にアクセスし、帝国が国民に隠してきた秘密の数々をつまびらかにしている。


 帝国側がいくらその情報を消そうと躍起になっても、思いがけないところから新たに情報が発信される。


 情報の数も多く、その手際は帝国が追い付けないほど。


 正体もつかめず、発信される情報を止めることもできない。


 いたちごっこ、というにはヘラクレスが優位に立ちすぎた。


 さらに。


 戦場で報告される連合軍の新たな兵器。


 その対応もろくにできていない。


 ただ徒に兵を投入し、消耗していくだけだ。


 帝国上層部も、既に疲弊しきっていた。



「エピメテウス様」



 後ろに控えてきたエピメテウスを呼びつける。


 この戦争で作られた偽物の英雄。


 パンドラを守るために血に濡れた彼の手は、あの時震えていた。


 そのことを知っているのは、おそらくパンドラだけだろう。


 お似合いな組み合わせだと、パンドラは思う。


 偶像に過ぎない自分と、虚構の英雄。


 二人のとも、その無力さと罪に怯えている。


 けれど。


 無力な二人にも、成せることはあるはずだ。


 パンドラも、エピメテウスも、その一心で今日まで動いてきていた。


 これから迎える結末が正しいかはわからない。


 大きな間違いと、後に語られるかもしれない。


 少なくとも、初めに向いていた方向とは、別の方向を向いている。


 何も知らず、何もできなかったあの頃とは。


 向いている方向は変わった。


 ただ、思いは同じだ。


 この帝国のため。


 この、国民のため。



「合図です」


「わかりました」



 パンドラの声に、エピメテウスは静かに答えた。


 目の端に映るエピメテウスの手は、震えていた。


 パンドラの手も。


 だから、二人は拳を強く握った。


 エピメテウスが号令を出す。


 室内に呼び入れた近衛兵が整列した。


 金属の擦れ合うわずかな音が、彼らの緊張を表していた。



「……私はパンドラ」


 彼らの前に、パンドラが立つ。


 その後ろに、エピメテウスが控えている。



「愚かなる、災厄をもたらした者」



 その名に恥じぬ、行動をしよう。



「私はエピメテウス。プロメテウスの弟、愚鈍な神」



 幕引きには、ふさわしい。


 人界に災厄をもたらしたパンドラの箱。


 開けるなと言われたその箱を開け、災厄を解き放った愚かな者。


 そのパンドラを、プロメテウスの忠告を聞かずに妻に迎えた愚鈍な神。


 人間は、パンドラの箱が開けられて以降、あらゆる災厄に苦しめられることとなる。



「でも、最後に残るのは……」



 たった一つ、パンドラの箱の奥底に残っていたものは。



「希望だ」



 残された希望こそを災厄と呼ぶ文献も、この希望が偽りであるとする文献もある。



「この希望は、災いではない。偽りではない」



 そう、今この手にある希望は。



「真の希望をこの手に!そして我々は奇跡を掴む!」



 それが蜘蛛の糸のように細いものであっても。


 各所で、二人の言葉に呼応して歓声が上がる。



「行くぞ!敵は我らが王!我らは逆賊となりてこの帝国を亡ぼす!」



 そして。


 この帝国を、救うのだ。




 この日、真夜中の零時に決起した反逆軍は速やかに城を制圧した。


 本来この城を守る側の兵の多くが反逆軍に着いたことが要因だった。


 帝国内要所でも一斉蜂起し、帝国の中枢は完全に制圧された。


 反逆軍にいたのは、生身の兵だけではない。


 戦場にいるはずの機械化兵やサイボーグ兵の姿も多く散見された。


 ヘカテーたちも、兵ではない国民に姿もあった。


 全く予期していなかった反乱に帝国は成す術もなく。


 一夜にして、決着はついた。


 少なくはない血が流れた。


 帝国皇帝はその身を拘束された。


 軍の上層部、政府高官。


 彼等もまた拘束され、残りの後続も牢へと入れられた。


 そしてその翌日。


 帝国はその長きにわたる歴史に幕を閉じ、戦争は終わりを迎えることとなる。




 プロメテウスが帝国の終わりを、戦争の終わりを知ったのは、すべてが終わった後だった。


 私は希望をもたらす者

 私は、災厄をもたらす者。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る