第25話 運命を、秤に

 何を天秤にかけるかは、人の自由だ。



 ――プロメテウスを知っている。


 その言葉こそ、この帝国で凡庸な言葉はないだろう。


 敵国の間でさえ、正体不明ながらもプロメテウスの事は研究されているというのに。


 誰もが、知っている。


 プロメテウスという英雄の名。



「――あぁ、そうか」



 ペルディクスは納得したように言葉を相槌を打つ。



「そう。お前は知っているかもしれないな」



 一瞬、フタツはその目を眇めた。


 視線の先にあるのは、過去の光景だ。



「聖エランダル寺院」



 初期の機械化兵計画の研究で最も苦労したのは、被検体集めだった。


 あまり兵を消耗するのも問題だ。


 士気に関わる。


 誰それが被検体に志願して戻ってこなかった。


 そんな噂が方々で持ち上がっては困るのだ。


 そこで、研究員はまず町へ出た。


 すでに戦争によって大きな被害が出ていた帝国では、浮浪者が数多くいた。


 浮浪者にわずかばかりの金を掴ませて、被検体にする。


 この浮浪者を使うやり方はうまく行っていた。


 が、問題もあった。


 軍への忠誠心が薄いことが指摘されており、成功体が出た場合でも運用に支障をきたす可能性があった。


 さらに言えば、被検体は浮浪者の大多数より若い、10代後半から20代の若者が望ましい。


 浮浪者の年齢層は、こちらの希望と若干ずれてくる。


 そこで目を付けたのが、国で持て余していた孤児達だ。


 浮浪者動揺、長引く戦争の結果、不幸な孤児はいまだかつてないほどに増えた。


 収容する場所も溢れ、予算など割けるはずもない。


 孤児を被検体に。


 その卑劣な提案は、驚くほど簡単に承認された。


 そして。



「俺とプロメテウスは聖エランダル寺院の出身だ」



 先駆けとして、一つの寺院が被検体輩出の実施試験を行う事になった。


 孤児を拾い育てていた寺院。


 帝国正教とは違う宗教を掲げるその寺院では、帝国の支援などなかった。


 戦争がはじまり、運営はますます厳しいものとなっていたはずだ。


 増えていく孤児を、どうにかしたいと考えていたのは、寺院も同じだった。


 孤児を育てていくために、別の孤児を軍に引き渡す。


 そんな矛盾を、その寺院は飲み込んだ。


 始めは希望を募った。


 ある程度の人数が志願したと記録にあったはずだ。



「ま、あそこは基本男女別棟。あっちは俺を知らないだろうな」


「お前は、何故?」



 男女が会う機会が極端に少ないと記録にはあった。


 食事も、祈りの時間も別々だと。


 年に数回、大規模な行事以外、男女が一緒になることはない。


 そういう戒律のある宗教だった。



「俺が戒律を守る真面目に見えるなら、お前の目は節穴だな」


「なるほど」



 フタツはルールを積極的に破るようには見えないが、ルールに縛られるようにも見えなかった。



「何回か女子棟に行ったこともあるが……」



 そう言って、フタツはわずかに笑った。


 遠い記憶を思い起こすように目を細める。



「祈りの間に、忍び込んだことがある」



 それは、個人が自由に祈りを捧げる場所だ。


 けれど、寺院は信仰を強制しなかった。


 戒律を守らせはしたが、それ以上の事を、孤児たちに求めはしなかった。


 そのせいか、祈りの間にはいつも人が少なかった。


 そんな場所にポツンと一人、座っている女がいた。


 ステンドグラスを通して漏れる光から逃れる様に、暗がりで手を組んでいた。


 目を閉じて、何かを祈っていた。


 それが、一方的な邂逅。



「なぜか、その光景が忘れられないんだ」



 特別何かがあったわけでもない。


 けれどフタツは、その光景を今でも鮮明に覚えている。



「それだけだ」



 フタツはそう言うと、少し黙った。



「後に志願の話が出て、その女が機械化兵計画に志願したと知った」



 知ったときには、彼女は既に寺院のどこにもいなかった。


 別れの言葉も、ない。



「一度、プロメテウスから聞いたことがある」



 ペルディクスが言った。



「志願の理由」



 その言葉に、興味深そうにフタツが眉をあげる。



「なんて?」


「飯が食える、と」



 その時、ペルディクスは喰い意地でも張っているのかと軽く考えていた。



「……あいつは既に寺院の中でも年長の部類だった。事情も察していただろう」



 寺院が困窮していた事を知っていただろう。



「自分がいなくなる分、寺院の子ども達の食事が増える」


「自ら口減らしに志願とは、たまげた奉仕精神だな」



 呆れるほど。


 今と変わらない。



「お人よしだ、ほんと」



 誰かのために、ずっと戦っているのだ。


 寺院の子ども達のために志願して。


 帝国に望まれるままに英雄となって。


 兵達のために傷ついている。



「だからな、ペルディクス。俺は……」



 その後フタツの口から紡がれた言葉は、酷く平和的で、平凡な願いだった。


 「国家転覆」なんて大それたことを言う人物が吐いた言葉とは思えない。


 けれどその願いは確かに、国家が崩壊でもしない限りは叶わない願いだ。



「……フタツ」



 ペルディクスがしばらくの沈黙を破る。



「気が変わった」



 この際己の人格が本物か偽物化など関係はない。


 今抱いている忠誠心と、この興味を天秤にかけてみただけだ。


 結果的に、興味が上回っただけ。



「国家転覆」



 この先に進めば、戻れない。



「手伝ってやらんでもない」




何を天秤にかけるかは、人の自由だ。


それが、釣り合わないものだと知っていても。

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