第21話 ペルディクス

 人とそれ以外の境界線など、案外あやふやなものだ。



 闇に明滅する光。


 世界はただそれだけで、だからとても居心地が良かった。

 

 このまま深く沈んでいきたいと、そう思ったとき。


 強い力で引き上げられるのを感じた。


 強引で、それでいて繊細。


 明滅する光の他の、唯一のものに、興味が湧いたのは確かだ。


 意思を持って目を開いたとき、そこには見慣れぬ天井と、見慣れた背中があった。



「目が覚めたか」



 背を向けたまま、男はそう問いかけてきた。


 後ろに目でも付いているのか――いや、ついているのだ。


 この背中の人物は、よく知る者と一致する。


 彼は機械化兵試作機の一人。


 彼に360度死角はない。



「フタツ」



 彼の名を呼ぶ。



「意外だな」



 そう、呼びかける。


 試作機の中ではプロメテウスに次ぐ性能を持つフタツは、その性格に難があった。


 人を束ね動かすことに興味がなく。


 上層部の人間に愛想の一つも浮かべられない。


 戦闘が始まれば周りのことなど気にも留めない。


 部隊を率いることはせず、もっぱら前線で敵を殲滅することに専念している。


 基地に戻ればほとんど喋らず、一人テントに引きこもる。


 彼の率いる師団では、彼の副官がほとんど彼の仕事を請け負っているという。


 隊の統率、作戦の立案、伝達、実行。


 それら全て、フタツは興味を持たず、責任も感じていない。


 そう、報告に上がっていた。


 何を考えているかわからない。



 意思の疎通が図りづらい一匹狼。


 それが、軍でのフタツの評価だ。


 真実かは、知らないが。


 そんな、人と喋ることを疎んじているような彼が、話しかけてきた。


 それが、意外だった。


 そして。



「私の意識を引き上げたのはお前か」



 闇の中でバラバラに霧散しようとしていたこの自我を、繋ぎ止め、引き上げるという巧緻をやってのけた、という事実。


そんな技術力を持っているなど、意外と言う他ない。



「その腕……私の部下に欲しかったな」



 過去に思いを馳せる。


 後悔という字は読んで字のごとく、だ。


 後になって悔やまれることのなんと多いことか。



「ごめんだな」



 フタツが言った。



「仲間に殺される間抜けな上司など」



 その言葉に、やはり、と呟く。


 自分は既に、死者なのだ。



「俺がお前の部下になったなら、腹に鉛玉を撃ち込むようなことはしないがな」



 背を向けたままの彼が、右手を上げる。


 人差し指と親指を伸ばし、そのまま右のこめかみに人差し指を当てた。



「きちんと頭を撃ち抜いてやる」



 そう言うと、銃を撃つふりをする。


 容赦のないことだ。


 射撃の腕も一流の、軍人らしい冗句だった。


 フタツらしいかと言われれば、判断がつかない。


 そもそもフタツと、こんなに言葉を交わしたことがない。



「ナナがお前を発見したときには、お前の身体は既に活動を停止していた」


「あぁ……自分でこめかみを撃ち抜いた後だからな」


「……記憶はあるか」



 鮮明に覚えていた。


 撃たれた腹の熱さ。


 歪んだ仲間の顔。


 こめかみに充てた銃の冷たさ。


 引き金の重さ。



「私は……構想していた計画を実行に移した」



 それは軍の誰も知らないものだった。


 遊びの延長のようなもの。


 研究の合間にプログラムを作り、機器を準備した。



「あぁ、そうだ。ナナはお前の死体を発見。その時起動している端末を確認した」



 暗い部屋の中で、血の飛び散ったディスプレイに、ナナは何事かを感じ取った。



「死骸は軍の調査機関に渡った。お前の部下の何人かがお前の腹の傷に関与していることをすでに自白している」


「ふむ。できれば罰を与えず、研究職に戻してやってほしいものだ」



 自分はこうして、肉体を失ったものの意識はある。



「軍の規律が乱れる。殺された本人の望みであろうと叶えられないだろうな」



 フタツはにべもなく言った。



「こめかみの銃創については、お前自身の右手に握られていた銃らしきものの傷と判断。部下に殺されかけ、あの部屋に逃げ込んだものの逃げきれないと考えたお前は、持っていた銃で自らの命を絶った」



 そう結論づけられている。


 何の違和感もない。


 完璧なストーリーだろう。



「一方不自然に起動を続ける端末には、まずナナが侵入を試みた」


「なるほど。ハッキングやプログラムの改竄ならナナも可能だな」


 彼女は情報統括局の人間で、通信を制御する側の人間だ。


 当然その知識はある。


 何より彼女は、情報収集・解析に特化した試作機だ。他の者達よりよほど、機械には詳しい。


 しかし。



「それだけの知識ではどうにもならんだろう」


「その通りだ」


 ただの機械ではない。既存のプログラムでもない。


 未知の機械。未知の何か。



「ナナは自分の手には余ると判断して、俺に機械を丸ごと寄こした」


「軍へ報告は」


「していない」


「背信行為ではないかね」



 少しの意地悪のつもりで、そう言ってみた。



「今からでも、報告をしてもいいが」



 フタツが言う。



「……遠慮しよう」



 どうせ滅茶苦茶に解体されて、意識も消滅するのがオチだろう。


 残念ながら帝国には、自分以上の頭脳はいない。


「しかし、何故ナナはお前に?」


「さぁ。丁度その時、内地にいた試作機が俺だったというだけかもしれない。まぁ俺が機械類に詳しいことはナナも知っていたようだが」



 ナナは、あらゆる情報を統括している。


 試作機の個別の情報を持っていても何ら不思議はない。



「内地番だったのか」


「あぁ」


 前線で使い潰すことを前提に運用されているプロメテウスと、もともと内地にいることの多いナナ以外の試作機は、国土の守護のために持ち回りで内地に配属される。


 内地番、と呼ばれるその任務の間、政府や皇族の警備や、大規模なメンテナンスを行っている。


 長い戦争の中で、より長く試作機を運用するための策だった。



「それにしても……」



 フタツはいまだ、目の前のディスプレイに顔を向けたまま。


 何やら手元のキーボードで作業しているようだが、何をしているのかわからなかった。


 よく会話が成立しているものだ、と思う。


 こちらは音を発していない。


 まだ言葉を音声として構築できないのだ。


 人間が鳥の身体を得たとして、すぐに飛べるわけではない。


 羽ばたくための訓練が必要になるだろう。


 この身体を、自分はまだ掌握できていなかった。


 だからこちらの言葉は端末のディスプレイに浮かべた文字だけだ。


 読み取る方法は確かにいくらでもあるが、傍から見れば、さぞかし異様な光景だろう。



「個人の持つ感情、記憶、思考。すべてを電気信号としてサーバーに移し替えるなど」



 ようやく、フタツが振り返る。



「恐ろしいな、ダイタロス」



 その才能が、恐ろしい。


 呼ばれた名に、懐かしさすら覚える。


 そんなに時間が立っているのだろうか。



「この端末は、少々窮屈だな」



 ようやく、音声の機能を掌握した。


 音が出る。


 少し高めの、男の声。


 生前の自分に似せた波長。



「実験の結果はまぁ、満足のいくものだろう。未完成の割にはよくできている」


 実験結果が出れば、反省と反復だ。


 この身体で反復は困難だが、反省は行える。



「サーバーの容量は合格だが端末への出力がいまいちだ。もう少し検討する必要がある」



 端末の機能の問題か、端末とサーバーを繋ぐルートに問題がある可能性もある。



「一番の問題は、人格の再形成だ。危うく死ぬところだった」



 肉体は既に灰になっているとはいえ、意識までも消失するところだった。


 自力での自我の再構築。


 そこまでが自身の描いた構想だった。


 だが仕方がない。


 他人の手を借りての自我の獲得は少々癪だが、未完成の割には健闘している方だ。


 自分は確かに天才だが、万能ではないことは理解している。


 だから失敗もする。


 予想外の結果も、飲み込める。



「お前という存在があったことに感謝しよう」



 フタツがいなければ、自我は芽生えることなく消滅していただろう。


 彼の技術と、ナナの判断は幸運以外の何物でもない。 



「あのダイタロスに感謝されるとは、光栄だな」


 表情一つ変えずに、フタツが答える。


 表情筋は正常なはずだが。



「そのダイタロス、という呼び方は、正確ではない」



 そもそもダイタロスは研究機関に与えられた名だ。


 生前ダイタロスとも呼ばれていたが、ダイタロス機関統括長という肩書を略していたにすぎない。



「お前の本名など知らない。呼ぶための記号がなければ不便だろう」



 フタツの言うことももっともだった。



「そうだな」



 少し思案を巡らせる。



「私はダイタロスに嫉妬され殺された者。ペルディクスの名がふさわしい」


「ぎりしゃ神話とかいうやつか。俺にその辺りの教養はない。好きに名乗ればいい」


 なんともつれない返事だが、否定もされなかった。


 端末のカメラがフタツを映す。


 相変わらず表情に変化はない。


 バイタルもいたって正常。



「それで」



 時候の挨拶はこのあたりでいいだろう。



「ここまで手間をかけて、ただのボランティアってわけじゃないだろう」



 フタツは器用に片眉をあげた。



「ただ純粋に、ダイタロス機関のトップが残したおもちゃを組み立ててみたかった」


「……嘘ではないがそれだけではない」


「そうだな」



 そう言って、フタツはいや、と自らの言葉を否定する。



「初めは本当に、ただの興味だった」


「ほう」


「だが、何を組み立てているのか理解した時、それだけではなくなった」



 ほんの少しの興奮を、カメラは見逃さなかった。



「この幸運に、初めて神とやらに感謝した」


「俺を、何に利用するつもりだ?」



 幸運、というならば。



「何が望みだ」



 私は彼の欲した何かのはずだ。


 この不自由で自由な身体の己に、フタツは何を求めるのか。


 問いの答えはすぐに返ってきた。



「国家転覆」


 にい、と笑うその顔を、恐ろしいとは思わなかった。


 既に自分が、人ならざるものとなっていたからだろうか。



 人とそれ以外の境界線など、案外あやふやなものだ。

 それに誰が、それらを定義づけるのか。


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