第19話 神への抵抗

 きっと、口に出してしまえば、それは事実になってしまう。



 ――ダイタロスが死んだ。



 その一報は帝国軍の上層部に衝撃をもたらした。


 兵器開発の第一人者。


 機械化兵の生みの親。


 ダイタロス機関統括長。


 彼の肩書は多く、それ故に帝国軍に与える影響は計り知れなかった。


 ダイタロスの死は密やかに、限られた人間のみに知らされることとなった。




「プロメテウス」



 上官の声に、プロメテウスは足を止めた。


 基地は夕食時で、少し騒がしい。


 手招きをする上官の元へと足を向ける。


 プロメテウスが近づくと、上官は一枚の紙を彼女に差し出した。


 紙などというものでの情報伝達など、珍しい。


 軍の内部の事であれば、端末のメッセージで事足りる。


 こうしてわざわざ紙に書くのは、記録を残したくないという意志の表れだ。


 上官は言った。



「燃やしておけよ」



 紙に上官の癖のある字が書かれていた。


 どうやら上官の端末に送られてきた機密事項を書き写したようだ。


 プロメテウスの信奉者達は、時折こうして情報を流してくる。

 

 それが忠誠の証とでもいう様に。


 プロメテウスもその貢物を黙って享受していた。



「訃報だ」



 ひっそりと、その名は書かれていた。



「……」



 その名を目にして、プロメテウスはしばらく黙り込んだ。


 表情は、変わらなかった。



「旧知だろう」



「……彼は、機械化兵の生みの親ですから」



 ダイタロスの名が書かれた紙を握りしめる。


 乾いた音がして、紙はしわくちゃになった。


 初の成功体であるプロメテウスの誕生を、誰よりも喜んだのは彼だった。


 その成功はたくさんの犠牲の上にあり、さらなる成果はさらに多くの犠牲の上に積み上げられてきた。


 きっと、彼がいなければ今に至るまで戦争は長引かなかった。


 機械化兵、という構想も、成功もなく。


 帝国はとっくに連合国に奪われていただろう。


 きっと、彼がいなければ。


 今に至る悲劇も、起きなかった。


 戦争が長引いたことで戦死者は増えた。


 何より国民を守るはずの帝国軍が。


 国民を、兵を。


 実験の名のもとに殺すこともなかった。


 けれど。


 たくさんの人の命を奪った彼は。


 実験を主導した彼は。


 どこまでも純粋な研究者だった。


 決して無邪気ではなかったが、そこに悪意はなく。


 だから、プロメテウスは彼を嫌いにはなれなかった。


 浅はかにも、皆がそうだと、プロメテウスは考えていた。


 だから。



「内地で、死ぬなんて」



 戦場に来たわけではない。


 敵襲にあったわけでもない。


 だが彼は死んだ。


 死んだのだ。


「戦場にいる私より先に死ぬなんて、おかしな話だ」


 そう言って笑おうとしたプロメテウスは、途中でその努力をやめた。


 虚しい作業だと、気づいたからだ。


「自殺、と一部では噂されている。詳しい状況までは伝わってこなかった」


 情報は憶測の域を出ないものばかりだった。


 死という情報のみが、確かだった。


「自殺でも他殺でも、事故でも。ただでは死なない人だと思っていましたが」


「死は突然で理不尽なものだ」


「そうですね」


 人がいくら望もうが、ままならない事などたくさんある。


 今回それが、ダイタロスの身に降りかかっただけの事。


 毎日死と隣り合わせの生活を送っていながら、何を寝ぼけていたのだろう。


 変わらない表情の下で、プロメテウスは歯を食いしばる。



「……顔を洗ってきます」



 プロメテウスは踵を返す。



「そのまま休息をとれ。明日も死ぬほど働いてもらわなければ」


「洒落になりませんね、それ」



 振り返り上司に向けた顔は、今度はちゃんと笑顔だった。



「あぁ、そうだ」



 上官の声が、プロメテウスの後を追う。



「わかっていると思うが、機密事項だ」


「情報統制ですね。ご安心を」



 彼の死は、軍全体の士気に関わる。


 だから、限られたものにしかその死は伝えられない。


 本来であれば、プロメテウスの階級でも知りえない情報だった。


「これも、ちゃんと燃やします」

 


 そう言って、プロメテウスはくしゃくしゃになった紙を振る。

 

 望まれたとて、その死を誰かに告げようとは思わなかった。


 心のうちに留めておくうちは、その死が本物にならないような気がしたからだ。



「かっこ悪いな」



 そう呟きは、誰の耳にも届かなかった。


 テントから離れたこの場所には、プロメテウスしかいない。


 空から見下ろす星にだって、小さな声は届きはしない。 


 わかっている。


 彼は死んだ。


 けれどこれは。


 プロメテウスは口を閉ざす。


 きっと、口に出してしまえば、それは事実になってしまう。


 そんな気がした。


 だからこれは。


 

 ――彼を殺した神への、ささやかな抵抗。


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