第16話 イカロスと太陽

 イカロスが墜ちた時、太陽はその死を悲しんだろうか。



 プロメテウスのいる部隊に配属されて一か月。


 長く持っている方だろう。多分。


 配属されて最初の一週間で何十人もの仲間が死んでいる。


 そう大きな隊ではない。


 何十人という死者の数は、強く印象に残っている。


 それから、今日まで。


 誰も死なない日などなかった。


 プロメテウスが無能なわけではない。


 彼女は英雄と言われるだけの働きをしている。


 ただ、苛烈すぎる戦地ではその働きも霞んでしまう。



「見張り、交代します」



 その声に、思ったより時間が過ぎていたことを知る。



「東敵影なし。異常なし」


「了解」



 淡々と目の前の任務をこなす。



「見張り当番の回数、増えてきたな」



 そう声をかけると、交代の兵は苦笑した。


 見張りの任務は機械化兵か探知に優れたサイボーグの兵が行う。


 そちらの方が、生身の人間より精度が高いからだ。


 あらゆる感覚器官が機械となっているため、サイボーグの兵は見落としがほとんどない。


 ヒューマンエラーが少ないのだ。


 そして、生身の身体より、疲れづらかった。



「サイボーグの兵もだいぶんやられているからな」



 性能の違い、とでも言おうか。


 生身の兵に比べると、戦死したサイボーグ兵は割合としては少なかった。


 機械化兵は二人いるが、どちらも健在だ。


 いっそ兵のすべてをサイボーグにすべき、という声も帝国内にはあるようだが、その予算も、材料も技術もなかった。


 だから、生身の兵が存在する。


 生身の兵でも銃を持たせれば撃つ。


 その弾丸の一つでも敵に当たれば僥倖といったところだろう。


 正直、口減らしか何かかとも思う。


 戦争で疲弊しているのは、何も戦線に立つ兵だけではない。


 国民の多くが疲弊し、農産業も打撃を被っている。


 だから。


 ある程度、無駄死には必要だ。



「……減ったな」



 生身の兵だけではない。


 サイボーグの兵もだいぶん減った。


 それがこうして、持ち回りの見張り当番の頻度に如実に現れていた。



「まぁ、こういうご時世だ、仕方ない」



 機械の肩を竦める。


 相手のそんな行為がひどく人間らしくて、思わず笑う。



「そうだな」



 相槌を打って、その場から離れた。


 戦争だ。


 だから、仕方ない。




「スオウさん、お疲れ様です」



 テントに戻ると、懐かしい匂いがした。


 香ばしい匂い。


 同じ隊の青いがカップを持って近づいてくる。



「コーヒー……」



 そんな嗜好品がこの戦地にあるとは思わなかった。


 この数年、口にしていない。



「補給された物資に入っていたそうです。上官が皆で分けていいとおっしゃって」


「へぇ」


「インスタントだし、皆で分けたから薄いし……ミルクも砂糖も入れられないですけど」



 さすがにドリップしたものなど、優雅に飲めるはずもない。



「ブラック派だ。問題ない」



 そう言って、青いからカップを受け取る。



「えー、すごい」



 そう言うアオイは、コーヒーにはミルクと砂糖を入れるらしい。


 苦い、と顔を顰めながら、それでもちびちびと飲み始めた。


 テントの中で、仲間とたわいもない話をする。


 端で寝ている者もいれば、カードゲームに興じる者もいる。


 束の間の安息。


 明日また会える保障もない。



「あ、警備の時間だ。西の警備任務行ってきます」


「そんな時間か」



 アオイもサイボーグ兵だ。


 眼球と、肩から指先にかけて、機械に代わっている。


 以前どこかの戦線で、腕を落としてしまったのだと笑いながら言っていた。



「皆さんはそろそろ寝てくださいね」



 夜も更けてきた。


 アオイの言葉にそれぞれが気のない返事をしつつ、その背中を見送った。



「なー、スオウ」



 横になっていた男が、急に声をかけてきた。



「お前、アオイちゃんには手ぇ出したか?」


「は?」



 唐突なその問いに、気の抜けたような声が自分の喉から出た。



「出してませんよ」


「はぁ!?」



 同じ音でも、いやに力のこもった声があちこちから聞こえてくる。



「こんな状態で?ちゅーの一つもしてないのか?」


「この様子だと手も繋いでないぞこいつ」


「だめじゃないか」



 恋バナ、というのは女が好むものではないのか。


 いや、時代錯誤か。


 今は、どちらも恋バナという奴が好きらしい。



「サイボーグとは言え、死ぬときは死ぬんだぞ」


「わかってますよ」



 でもだからこそ、ということもある。


 それ以上の詮索を避ける様に、空になったカップを片付けると、敷かれた布団にもぐる。


 薄かろうが固かろうが、そこは安息の地だった。


 布団に入ってしまえば、声も掛けられない。


 そうして、眠りにつきかけた時。


 周囲が騒々しくなった。


 人の耳では聞き取れないような、小さな音たちだ。


 距離としては、この基地の端より、さらに先。


 騒ぎの音はだんだんと大きくなる。


 銃声が響いた。



「敵襲!」



 飛び起きたのと、その声はほぼ同時。


 周りも戦闘の準備を始めていた。



「敵は」


「音から判断するに、軽装備の奇襲」



 そう短く答える。



「後ろに一個隊が控えてる」


「方角は」


「……西の方から」



 口にするのがためらわれた。


 それはつまり。


 皆一様に顔を強張らせる。


 アオイは西の見張りに行くと、そう言っていた。



「四班!西南ゲートの援護へ向かえ!プロメテウスも向かっている」



 伝令が駆ける。


 範囲の狭い火急の情報伝達はアナログも有効だ。



「見張りは!?」



 思わず見張りの安否を尋ねるが、すでに伝令はいなくなっていた。


 アオイの安否がわからないまま、各々武器を取り西南へ向かった。


 駆けつけたときには、銃声はすでに止んでいた。


 プロメテウスと、複数の上官、サイボーグ兵がいた。


 地面は地にまみれ、敵だろう死骸が転がっている。


 立っている者を見回すと、隅にアオイがいた。


 顔を青ざめさせているが、大した怪我もない。



「アオイ!」



 名を呼んで駆け寄る。


 無事でよかった――、そう言おうとして、留まる。


 地面に転がる一つの死体。


 明らかに他の者とは違う。


 ――機械化兵の、死体。



「見張りの一人が死んだ」



 プロメテウスが一言、そう言った。


 指し示した場所に、機械化兵の死体。



「私が気づいたときには、上官は既に……」



 アオイが目を伏せる。


 遠くからの狙撃でさえ、機械化兵は避けることができる。そう聞いていたのに。



「脳にダメージを受けた。即死だろうな」



 淡々と、プロメテウスが言った。


 こめかみに、黒々とした血が流れている。


 暗闇の中で、それはコーヒーの色に見えた。



「それでも、彼女が引き金を引いて敵襲を知らせてくれたから、被害は最小限で済んだ」



 アオイを見る。


 銃声はアオイの発した音だった。


 よくやった。


 そう、上官が言った。


 アオイは悲しい顔をして、敬礼した。



「上官が、盾になってくださったので」



 それは、亡くなった機械化兵の事だ。



「彼も、戦ったのだな。」



 プロメテウスが、呟いた。


 そんな言葉の、何が慰めになるだろう。


 最小限の被害の当事者は、最早口もきけない屍だ。



「……仕方ない、な」



 プロメテウスが小さく呟いた。


 抑揚のない小さな声だ。


 誰に聞かせるつもりもない独り言。


 このご時世だ。


 戦争だ。


 簡単に、人は死ぬ。


 アオイの手をいつの間にか握っていた。


 冷たい金属の手に握り返される。


 その温度に安堵する。


 明かりのせいで、少し離れた場所のプロメテウスの瞳が揺らいだ気がした。


 気のせいだろう。


 彼女の瞳は、機械のはずだ。


 だから、涙など――。




イカロスが墜ちた時、太陽はその死を悲しんだろうか。


太陽に手を伸ばした、彼の死を――

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