第13話 ヘカテー 死を運ぶ者


 いつだって、この手は届かない。


 いつだってこの声は――



「ナカイタカミの家はこちらか」



 近くを行く人に尋ねれば、そうだ、と帰ってきた。


 表札もナカイとなっている。


 周囲に同様の苗字もなく間違いはないだろう。



「なぁ、あんた、もしかして……」



 男はためらいがちに声をかけてくる。



「その、黒い軍服は」


「ヘカテー所属、イノウエです」



 この帝国の標準的な軍服は、茶を基調としている。


 茶一色で、陸海空軍統一していた。


 帝国内における、茶以外の軍服は二種類。


 プロメテウス達、機械化兵の無二纏う、暗い赤の軍服。


 そして、我々ヘカテーの纏う黒の軍服。



「そうか……じゃあ、ナカイのとこの坊主は……」



 こちらが無表情で相対していると、男はそれ以上聞かずに去っていった。


 家族以外に、話せることなどない。


 いや、この黒い軍服を見れば、訊かずともわかるのだ。


 去っていった男の背中は丸く、肩を落としたようだった。


 きっと、近隣の人間にも愛されていたのだろう。


 手紙の入ったカバンを、そっと撫でた。



「ヘカテー所属のイノウエと申します」



 黒い軍服を見て顔を強張らせた女は、名乗った途端にその場に崩れ落ちた。


 初老の女だ。


 奥から、夫だろう、白髪の男も出てきた。



「ナカイタカミ陸軍歩兵の、戦死を伝えに参りました」



 女は顔をあげない。


 胸にやった手を、強く握りしめている。


 その女を支えながら、男は私の方をしっかりと見つめる。



「……こちらの手紙と、遺品を」



 男に手紙を渡す。


 女の前へしゃがみこんで、銀色のネームタグを握らせる。


 女は涙にぬれた手で、そのタグを受け取った。


 兵士の、戦場から持ち帰られる唯一の遺品だ。



「手紙はナカイ歩兵の上官からです」



 手紙の内容は、謝罪と、戦死した者がどれだけ勇敢であったかを書き連ねたものだ。


 手紙はすべて、一度検閲にまわっている。



「それと、こちらは門の前に落ちておりましたので、お届けします」


「あ、あぁ……ありがとう」



 男にもう一通の手紙を渡す。


 差出人が黒く塗りつぶされた封筒に入っている。


 だから、差出人の名など知らない。


 ましてや、その内容など。


 その手紙を受け取った男は、その宛名の字を見て驚いた顔をした。



「受領印をお願いします」



 いくつか事務的なやり取りをして、玄関の扉を開ける。



「それでは」



 女は終ぞ、一言も喋らなかった。


 顔も挙げられないようだった。


 門扉を閉じるため振り返ると、男が深々と頭を下げていた。


 感謝されるような事は何もない。


 命がけで遺品を本国へ届けたのは戦地の兵達だ。


 手紙は上官が書いた。


 安全な場所でそれらを受け取り、検閲し、家族に渡す。


 戦地で死にそびれた自分の、我々ヘカテーの、それが最後に与えられた任務だった。


 いつかの戦地で亡くした左足の、不出来な義足を引きずって歩く。


 金属に馴染まない身体は、サイボーグ兵として戦地へ戻ることを許さなかった。


 そのことが正直、悔しいのか、嬉しいのか、判断がつかなかった。


 だから、言葉にはしていない。


 戦地に戻れない自分を待っていたのは、こうして仲間の死を伝えて歩く日々だった。


 何日も何日も。


 幾人も幾人も。



「戻ったか」



 地区割されたヘカテーの詰め所に戻ると、上官が声をかけてきた。


 一見五体満足の上司は、精神をやられているらしい。


 時折暗い倉庫で嗚咽が聞こえると、何人もの同僚が言っていた。



「手紙は」


「きちんと」


「そうか」



 今回、戦死した兵士の上官から、別に手紙が届いていた。



 ――これを、できれば家族に届けてほしい。



 ヘカテーをボランティア団体とでも思っているのだろうか。


 ヘカテーが運ぶ物は、軍律で決まっている。


 死者のネームタグと、上官からの戦死報告の手紙。


 それ以外は許されない。


 それが、死者本人からの、最期の手紙であっても。


 本来であれば、いくつもの検閲を通るうちにはじかれていただろうそれは、皆の暗黙の願いのもとにこの詰め所までたどり着いた。


 無下にできるほど、心は死んでいなかった。


 ただの、皆の自己満足だったかもしれないけれど。



「……机に、置いておいたぞ。お前宛てだ」



 上官に肩を叩かれた。


 その意味を知って、少し満ち足りていた心がしぼんでいく。


 上官は部屋から出ていった。


 部屋詰め所には、自分一人だけだ。


 示し合わせたように、誰もいなかった。


 鳥の声が聞こえるだけの、木々の葉を揺らす音が聞こえるだけの、静かな部屋だった。


 少し前から、その戦線が苦境に立たされているのは知っていた。


 だから、覚悟は、できていた。



「……」



 机に置いてある、白い見慣れた封書を手に取る。


 この重みも、この感触も、慣れたものだ。


 慣れたものなのに、全く別の何かを触っている気分になる。



「……兄さん」



 封を開けて手紙を読む。


 兄の上官からの手紙だった。


 謝罪と、兄がどれだけ勇敢であったか、ということが一枚の紙に綴られている。


 検閲で見慣れた、よくある内容だった。


 知りたいのは、そんな事じゃなかった。


 兄は。


 兄は……。


 こんな紙きれ一枚で終わる人ではなかった。


 兄の最期がどうであったかなど、こんな手紙では知ることもできない。


 兄の死は、ひどく事務的に処理されていた。


 死が日常の戦地では。



「……おかえり」



 一緒に置かれていた、銀のネームプレートを握る。


 文字をなぞる。


 人のぬくもりなど感じない、ただの冷たい金属だった。


 こんな者が、何の慰めになるだろう。


 こんな薄っぺらな金属が。


 優しくて、温かくて、大きな兄の。


 何の代わりになるのだろう。


 金属のプレートが、温かな水を弾いた。


 それが、自分の流したものだと理解したのは、その小さな金属が体温で温まった後。


 二人だけの家族だった。


 両親はもういない。


 この世界に一人、残されてしまった。



「馬鹿。置いて……行くなよ」



 掌の小さなぬくもりは、それでもないよりマシに思えた。




 いつだってこの手は届かない。


 いつだってこの声は届かない。


 ただ虚空を彷徨うだけ。

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