第10話 火を与えられし者達 後

 希望など、いっそない方が良かった。



 銃声と、叫び声と。


 血の味と、土の感触と。


 様々な情報が入り乱れている。


 様々な感情が入り乱れている。


 俺たちは、死へ駆けていた。


 銃を構える。


 すぐ隣で血が飛んだ。


 誰かが被弾したのだろう。


 隣の様子に等構っていられない。


 引き金を引けば、遠くで血が爆ぜた。


 じきに弾もなくなる。


 ここまで生き延びたのが奇跡といえるだろう。


 ふ、と息を吐く。


 隣を、足元を、見てしまった。


 血液を巡っていたアドレナリンが一気に引いた。


 そんな感覚だ。


 見せつけられた現実に、思わず嘔吐した。



 ――笑ってくれるだろうか。



 そう、言っていた男が。


 内臓をまき散らし、そこに倒れていた。


 絶命しているのが一瞬で見て取れた。


 血が、川のように流れていく。


 高いところから低いところへ。


 土に、染みていく。


 急に、匂いが鼻につく。


 埃っぽさの中に、鮮烈に香る血の匂い。


 生臭い、内臓の匂い。


 そして自分の吐いた、吐瀉物のすえた匂い。


 笑えない。


 笑えない。


 こんな最期、笑えるわけがない。


 慣れた?


 慣れるわけがない。


 手足が震える。


 やけに重い音がして、銃を手放したのだと理解した。



 ――あぁ、正気に。正気に戻ってしまった。



 周りを見渡す。


 周りにはもう、生きている者などわずかしかいない。


 その僅かは、狂ったように前に進んでいる。



 ――俺も、ああだったなら。



 興奮に身を任せたまま、死ねたなら。


 どんなに楽だっただろう。


 怖い。


 敵の構える銃口は、すべてこちらを向いている。


 あぁ、死ぬのだろうか。



 ――死にたく、ない。



 惨めに。


 何も残さず。


 こんなところで死にたくなどない。


 誰か。


 誰か、助けてくれ。



「助けてくれ、……プロメ……テウス」



 言葉に出してしまえば、感情は溢れていくばかりだ。


 死にたくない。


 死にたくない。


 死にたくない。


 死にたくない。


 その一心で、少しでも銃口から逃れようと血を這う。



「助けてくれ」


「死にたくない」



 そう叫ぶ声が、聞こえる。


 そう叫びながら、彼らは前へと進む。


 無我夢中で、彼らと逆の方へと進む。


 あちらは死だ。


 あちらは地獄だ。


 だから、離れなくては。



 ――あぁ、早く。早く来てくれ。



 一瞬脳裏に浮かんだ映像に、縋る。



 ――俺たちを、俺を、助けてくれ。英雄と呼ばれるその力で。



 今ならまだ、助かる。


 今来てくれたなら、生き残れる。


 助かるんだ。


 冷たい金属が指に当たる。



「……はは」



 思わず笑いが漏れた。


 この場の指揮をとっていた、上官のバッジだった。


 血と土で汚れたそのバッジの持ち主は見当たらない。


 けれど、容易に想像はつく。


 ここでは皆、たどる運命は同じだ。



 ――命令を出す人間なんて、もういないんじゃないか。



 それなのに皆、命令を守って死んでいく。


 働き蟻か何かのようだ。


 生物であったなら、上等かもしれない。


 何か、そう。


 感情のない、機械のような。


 そんなものに思えてくる。



「はは……はははは」



 笑いが止まらない。


 俺たちは消費されていく。


 今、この瞬間に。


 笑いが止まらない。


 怒りや恐怖がないまぜになって、もうどうしようもなかった。


 ドン、と衝撃が身体に走る。


 体勢が崩れた。



「は……」



 四つん這いになれず、顔から地面へ落ちた。


 何が起きたのかと、自分の身体を見ると、右足がなくなっていた。



「あ……あぁあ……!」



 熱い。


 右足が、熱い。


 痛い、のだろうか。


 足が、熱かった。


 土を握りしめた手に石が食い込んで、鈍く痛みを訴える。


 高い方から低い方へ。


 見る間に血が失われていく。


 先ほど見た光景が目の前で。


 自分の身体で再現されていく。



 ――あぁ、死ぬのか。



 地面に顔をうずめる。


 口の中に、土が入る。


 じゃりじゃりと不快な感触が口の中に広がる。


 不味い。


 同時に錆の匂いが口に広がる。


 血の、味だ。


 嫌だ。死にたくない。


 言葉は声にならなかった。


 遠くで低いエンジン音が聞こえた。


 あぁ、あの音は、聞いたことがある。


 今回の戦線でも、耳にした。


 機械化兵の飛行音。



 ――プロメテウスが、来るかもしれない。



 誰かが、そんなことを言っていた。



「プロメ……て……」



 来たのだろうか、本当に。


 けれど、もう遅い。


 銃声はいつの間にか止んでいた。


 屠る兵がいなくなったのだろう。


 俺たちは、血の海で死を待つばかりだ。



 エンジンの音に混じって、誰かが泣く声が聞こえた気がした。


 それは、俺の最期の願望が聞かせた幻聴だっただろうか。



 希望など、いっそない方が良かった。


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