第8話 パンドラ
私は暗い闇の中、己の罪に震えている。
震えそうな足を叱咤して、私は壇上へ立つ。
帝立アリーナは、式典などにも使われる、由緒のある大きな会場だった。
観客席にはたくさんの人がいた。
――怖い。
ちゃんと笑えているだろうか。
顔は強張っていないだろうか。
どこかから銃口が私を狙っているかもしれない。
ただひたすらに、それが恐ろしい。
誰かの殺意に、私は怯えている。
けれど、笑って見せなければ。
それが、第三皇女たる私の務め。
パンドラ――希望を与える者、と名付けられた私の務め。
「さあ、皆さん」
マイクを通して、声が拡散されていく。
練習したとおりに。
どこかの誰かが書いた原稿を、それらしく演説する。
それが、私の仕事。
「祈りましょう。戦地で戦う兵たちのために」
お決まりの言葉だ。
何回も言った。何十回も。
何の力も無い私は、ただ台本通りに言葉を紡ぐ。
「連合軍に神の鉄槌を!」
戦地で何が行われてているか、臭いもない映像でしか知らない私に、何を言う資格があるだろう。
「この帝国に神の加護を!」
沸き上がる歓声は、まるで狂気だ。
妄信的に私の言葉に賛同する。
それはもはや、宗教だった。
何かに縋らなければ、誰もが生きていけない世界。
私に縋る者もいる。
神に祈ることしかできない私に。
神に祈れとしか言えない私に。
「歌いましょう。戦地の彼らに届くように」
私の立つ催しでは、最期にいつも歌を歌う。
私は昔から歌が好きで、それだけはお父様達も褒めてくれた。
天使のようだ、と誰かが言っていた。
だから昔から、観衆の前で歌を歌うことが多かった。
民の中にも、私の歌を好んでくれる人たちは少なくない数いた。
だから、私は請われるままに歌を歌う。
このご時世だ。
歌う曲目は、国家や軍歌ばかりだ。
本当は、もっと楽しい歌が歌いたい。
切ない恋の歌や、日常の些細な喜びを歌った優しい歌を歌いたい。
時勢なのだから、仕方のないことだろうけれど。
せめて、この歌が、誰かの慰めになりますように。
そう、願って、音を紡ぐ。
「皇女!伏せてください!」
それは突然だった。
叫び声に意識を戻すと、立て続けに乾いた音が鳴った。
銃声だ。
何度か耳にしたことがある。
身体が強張る。
録音された伴奏が、そのまま流れていた。
緊迫した空気に不似合いなその様子が滑稽だと思う、どこか冷静な自分がいた。
現実に危機に直面していながら、まるで他人事のようだった。
逃げなければ。
そう、思い至る。
周囲に兵達が集まってくる。
彼らは私が安全な場所に避難するまで、そこから動くことはできない。
彼らのためにも逃げなければ。
――いや。
逃げて、良いのだろうか。
ここにはたくさんの観客がいる。
権力者もいる。
一介の民もいる。
そんな彼らを置いて、仮にも皇族である私が逃げていいのか。
どうせ私は第三皇女。王位継承権など7番目だ。先にも後にも変わりはいる。
ならばここで。
逃げずに堂々と死ぬ方が、見栄えがいいのではないか。
帝国の利となるのではないか。
最後まで民を想って死んだ皇族。
そういうイメージを私の死によって国民に植え付けられたなら。
皇族は、皇帝は民を想っているのだと、国民に思わせることができたなら。
国民をより、扇動しやすくなるはず。
帝国上層部にとっても、この襲撃をきっかけに、国内の危険分子を排除するいい機会となるだろう。
ならば、生きるより死ぬ方が、よほど都合がいい。
冷静な部分は、自分の命をあらゆるものと天秤にかけて、死ぬべき、と判断し
た。
けれど。
エピメテウスが目の端に映る。
こちらに向かって、手を伸ばしている。
あぁ――。
これがまぎれもない、私の本心。
「助けて!」
足が竦んで動けなかった。
すぐそこまで、襲撃者が迫っているようだった。
走り寄ったエピメテウスが剣を抜いた。
動けない私を背に庇い、相手を迎え撃つ構えだ。
剣の切っ先が照明の光を浴びて鋭く光る。
私は、その光に縋った。
発砲音はまだ続いていた。
こちらも応戦しているようだ。
観客席から、悲鳴が聞こえる。
誰かが、きっと。
考えたくない事実に、目をつむる。
「パンドラ!覚悟!」
怒声に振り返る。
声が近い。
軍服を着た男だった。
帝国軍の。
――スパイが紛れ込んでいたのか。それとも、反乱か。
さっきまで私を守っていた一人。
その男が私に斬りかかる。
殺意に顔をゆがめて。
覚悟を宿した目で。
彼にとって、私は紛うことなく敵なのだ。
その迫力に押され、叫ぶこともできなかった。
――あぁ、ここで私は。
眼を瞑って、やがて訪れるだろう痛みを待った。
「ご無事……ですか」
けれどいつまでもその瞬間は来ず、代わりに低い、男の声がした。
その声に、うっすらと目を開けた。
「っ……!」
叫んだつもりの声は、かすれて音にならなかった。
「エピメテウス様!」
そこにはエピメテウスと、胸を貫かれた軍服の男が立っていた。
「もう、大丈夫ですよ」
そう言いながら、エピメテウスは男の心臓から、剣を抜く。
男の血が、エピメテウスを汚した。
エピメテウスの頬には切り傷があった。
ぼたぼたと血が流れている。
傷を気にする様子もなく、エピメテウスは剣の血をぬぐった。
その剣は、確か彼に、父上が贈ったものだった。
エピメテウスから視線を外し、周囲を見る。
いつの間にか発砲音は止んでいた。
惨状、だった。
硝煙と血の匂い。
すすり泣く声や、叫び声、うめき声がどこかから聞こえてくる。
ここに来たたくさんの民が巻き込まれ、犠牲となったのだ。
「皇女――パンドラ様」
エピメテウスが私を呼ぶ。
剣は鞘に納められていた。
「申し訳ありません。このような状況で一つ、仕事をしてもらわなければなりません」
「……はい」
翌日の新聞の一面には、勇敢にパンドラを守ったエピメテウスと、襲われながらも毅然と振る舞い、その場にいた者達を勇気づけた、第三皇女パンドラのことが書かれていた。
犠牲者の数は、後ろに小さく書かれただけである。
「民よ」
血にまみれた壇上で、私は民に向かって演説する。
「これが連合軍のやり方。私達を内部から引き裂かんとする、卑怯な者達。負けてはなりません。正義は我々にあり!今日この日を、忘れてはなりません。犠牲となった者たちのために!私達は!前に進んでいくのです!」
私の言葉に、歓声が上がる。
皆、犠牲になった隣人の事を、すでに忘れたようだった。
こうして私は、彼らを扇動するのだ。
それが罪深いことだと知っていても。
歓声の中、そっとエピメテウスを見る。
血で汚れた軍服を着て、手を後ろに組んで胸を張って立っていた。
その表情から、何かを読み取ることはできない。
――彼も、同じだろうか。
私は暗い闇の中、己の罪に震えている。
悪夢は、未だ終わらない。
月の光も、影を大きくするだけだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます