第6話 デウカリオンの洪水(後)
救いの船は、ない。
「飛ばしすぎでは?」
イツキの通信に、前方のプロメテウスは速度を落とした。
あのデータを目の当たりにした後から、彼女はずっと黙ったままだった。
気が滅入るのも当然のことだろうが。
あのデータには、地獄があった。
「すでに敵地だ。周囲の警戒を怠るな」
「了解」
「あくまでも秘密裏の作戦だ。敵と対峙した場合は、確実に殺せ」
「了解」
二期目試作機、通称フタツは集団行動に不向き。
戦闘力はプロメテウスに次ぐものの、ほとんど喋らないこともあって、指揮官としてはあまり活躍していない。
協調性もあまりないようだった。そういう性格なのだろう。
そのため、三番目に作られた自分が、この作戦の隊長である。
特別令が発令されれば、デウカリオンはプロメテウスの部下だ。
だから、本来であればプロメテウスが隊長なのだが、隊長としては経験の浅い彼女では今回の作戦に不安があるとして、特例的に自分が隊長となった。
副隊長は情報収集を得意とするナナだ。
プロメテウスが隊長として経験が浅いのは、彼女に階級を与えない上層部のせいだ。
プロメテウスに上官としての、隊長としての経験を積ませたくないのだ。
上層部は、彼女を恐れている。
ただ黙々と、上に従うプロメテウスのことを。
馬鹿げた話だ。
誰が敵かもわからないとは。
「ナナ」
「目標研究機関のシステムを完全掌握。監視カメラ、レーダー、音声、すべての情報をダミーに差し替えます」
ナナにとっては朝飯前のことだろうが、仕事が早い。
「偵察機発見。二時の方向」
右端のムツからの通信に、二時の方向に目を向ける。
肉眼ではまだ視認できない場所に、偵察機がいた。
「撃ち落せ。静かにな」
「了解」
ムツが隊から離れた。
すぐに戻るだろう。
「作戦を再確認。各自の役割を全うせよ」
ナナが施設のシステムを掌握。迎撃システムを無力化、セキュリティを解除。
フタツ、シイ、ムツ、シチが陽動を兼ねて建物を破壊。
その間にプロメテウス、自身、イツキ、リクが内部に潜入、目標を探し出し、データと二四〇八を破壊する。
単純な作戦だ。
戦力差がある。
だから、こんな簡単な作戦で事足りる。
油断でも慢心でもない。
純然たる事実だった。
ただ、痕跡を残してはいけない。
軍事境界線を越えて作戦を行うことは許されない。
相手に付け入る隙を与えてはならない。
だから、今回の装備は一部を除いて他国の兵器を利用している。帝国がやったという物証を残さないように。
だから、服もいつもとは違う、くすんだ緑を纏う。
疑惑のままで済むように。
連合国軍が気づく前に、すべてを終わらせる。
迅速な作戦の遂行が求められる。
静かに、速やかに偵察機を墜としたムツが戻ってくる。
右手を上げる。
「作戦開始」
建物に向けて放たれたミサイルが、狼煙代わりだ。
建物へ急降下したのはプロメテウスだ。
彼女は焦っている。
「飛ばし過ぎるな」
注意はその一言だけ。
遅れまいと後に続く。
ここにいる全員が、同じ気持ちだろう。
早く。早く見つけてやらなければ。
「会敵した。排除する」
「建物の損傷、10パーセント」
「A区画には見当たらない。次へ向かう」
通信が入り乱れる。
内部は帝国の研究所と同じようなにおいがした。
プロメテウスやイツキたちが敵と戦っている間に、奥へと急ぐ。
大事なものを隠すのは、奥と相場が決まっている。
建物の中心部。最下層。
幾重にも重なる扉をぶち抜き、地下へと続くエレベーターを見つける。
すでに停止しているエレベーターの扉を破り、下へ続く穴へ身を投じる。
エレベーターの箱の上に着地する。
素手でハッチを開け、エレベーター内へ入る。
そして、エレベーターの中から扉を開く。
途端に浴びせられる銃弾の嵐に、服が破れた。
装甲に守られている自身の身体は、痛みも感じない。
「遅くなったな」
エレベーターの外へと足を向ける。
研究者らしき男達が「それ」を隠すように。
そして兵達が研究者と自身の間に立ちはだかる。
彼らの持っている重火器を一瞥する。
人が生身で扱える武器など、脅威にはなりえない。
人も、銃も、紙くず同然だ。
脆い。
腕を一振りすれば、その場の全員がその場に倒れ伏した。
首と胴が繋がっているものは誰一人としていなかった。
サイボーグ兵の頭部を足で潰す。
胴も潰した。
サイボーグ兵はどこに何が仕込まれているかわからない。
生命が立たれた後も通信がどこかに繋がっている可能性もある。
「さて」
手早く作業を済ませて、目的のものへと目を向けた。
なるべくなら、見たくなかった。
けれど、これは、自分が見るべきものだ。
「二四〇八」
呼びかけに、かすかな反応があった。
「生きて……いるんだな」
わずかに胸が上下していた。
機械が臓器にまとわりついているのがありありと見て取れる。
胴を開かれた身体は、自己修復を試みようと蠢いている。
けれどもう、手遅れだった。
本来自壊するはずのプログラムが停止され、チップと機械化細胞が暴走している。
生きたい、という意志のもとに。
「喋れるか」
四肢の拘束を外しながらそう尋ねれば、ピイ、と甲高い音が鳴った。
すでに声帯は機能をなくしている。
声なき声は、信号の形で訴える。
「デウカリオン、三期試作機だ。二四〇八だな」
四肢も半分ほど削られている。
削ったはなから、それはただの肉体となっていただろう。
おびただしい血と、ところどころに見られる小さな肉片が、彼のされた非道な行為を物語っていた。
大きな肉塊は、どこかに運ばれたようだった。
ナナと通信を繋ぐ。
「どこにある?」
自身の視界を通して、ナナはこの状況をすでに見ていた。
だから、短い言葉で意図を伝えられる。
「幸いまだすべてこの施設の中」
「ムツを向かわせろ」
「了解」
肉の一片たりとも、敵に渡せはしない。
機密の漏洩なんて、正直どうでもいい。
ただ、仲間の身体を。
尊厳を守ってやりたい。
ピイ――、と機械音が鳴る。
「あぁ、わかっている」
――死にたい、と叫んでいる。
殺してくれ、と。
思いとは裏腹に。
信号は、声なき声は絶え間なく訴えかける。
それは、兵としての矜持だろうか。
希望が見えたなら、誰だって縋りたいものだ。
帝国がプロメテウスに縋ったように。
「正直で困るな、この身体は」
そう言って、身体に触れる。
生を望む身体は、機械化細胞をうごめかせ、延命させようと試みる。
けれど、彼は訴えるのだ。
殺してほしい、と。
感情が筒抜けなこの身体で。
それでも意地を張りたいのだ。
「大丈夫だ。プロメテウスが来る前に終わらせてやるよ」
――プロメテウスには、殺されたくない。
自分が来たことで、プロメテウスがここに来たことを察した二四〇八は、ただひたすらに、そう願った。
その想いに応えるためにここにいる。
考えることは、同じだ。
「最期に、言い残すことはあるか」
プロメテウスが飛び込んでくる。
「たった今、破棄を完了した」
金属と骨と、灰になった遺体を指す。
「……もうすぐここも崩壊するわ」
遺体を一瞥すると、プロメテウスは背を向けた。
地下に、わずかに光がさしていた。
早く出なければ瓦礫に埋もれてしまう。
「あぁ、行かないとな」
――プロメテウスには、殺されたくない。
二四〇八の言葉を反芻する。
あぁ、そうとも。
プロメテウスには殺させない。
そのために俺は、デウカリオンはここに来た。
プロメテウスより早く目標を見つけ、破棄する。
それが、デウカリオンの共通目標。
プロメテウスはきっと。今回もまた背負おうとしていたのだろう。
自らの手で、殺してやると。
そう考えていたのだろう。
そうはさせるものか。
十字架を、たった一人で背負わせるものか。
その手を。
傷だらけで血まみれのその手を、その心を。
これ以上、汚させるものか。
先を飛ぶプロメテウスの羽は、どこか鳥に似ている。
いつか彼女は、背負ったものの重さで飛べなくなってしまうのではないか。
そうなったときには。
俺は。
俺たちは。
世界を呑み込む洪水がこようとも、救いの船など必要ない。
共に水底へ沈むだけ。
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