第5話 デウカリオンの洪水(前)
怒りを持って進め。我らはプロメテウスの子、デウカリオン。
大きな怒りの洪水に、救済の船など必要ない。
我らは甘んじて怒りを受けよう。そして怒りをもって共に進むのだ。
「招集とは珍しい」
エレベーターに乗り合わせた七期の試作機が挨拶代わりにそう言った。
機械化兵は洋書の守護の他はほとんど前線に駆り出されている。
あまりに強大すぎる力は、権力者たちの脅威でもあった。
人の希望となり、率いていくことのできる力を持つ者。
プロメテウスなどは、その最たる存在だ。
皮肉なことに。権力者達は彼女を英雄と担ぎ上げるその顔の下で、誰よりも彼女の死を望んでいる。
彼女が死に、物言わぬシンボルとなったなら。
その時こそ、権力者たちは彼女を真に歓迎するだろう。
「余程のことだろう」
目も合わせずにそう答える。
召集の内容など知りはしない。
そういうことは、諜報に長けた七期試作機の方が知っていそうなものだ。
七期試作機――通称ナナ。
彼女は偵察や諜報を目的として作られた、試作機だった。
戦闘に重きを置いて作られた機械化兵の中で、情報収集に長けた偵察型の機械化兵……の試作機である。
とはいえ、脳への負担が大きすぎ、常人には耐えられないとの理由で、試作に終わっている。
成功機は、後にも先にも彼女だけである。
もちろん戦闘能力も兼ね備えているが、他の試作機に比べると多少見劣りがした。
彼女も何かの作戦で遠方に駆り出されていたはずだ。
「それより、部下に離反されたらしいな、ミツ」
楽しそうにナナが言う。
本当に話したいことは、そちらの方だったか。
思わず渋面を作る。
「離反、だろうか」
「芽吹いた瞬間にお前に殺されたのだろう?」
離反の意思が、芽吹いた瞬間。
殺意が己に向けられた瞬間。
防衛機能が起動した瞬間。
よく覚えている。
彼の呆けた顔。
「離反とは、違う……だろう。個人的に俺に恨みがあったようだったが」
「恨み、ねぇ」
愉快そうに、ナナが言葉を繰り返す。
「機械化兵は死ねばすべてのデータが解析されてしまう。それを最近の機械化兵は知らないようだよ」
すべてのデータ、というのは、戦闘データにとどまらない。
心拍などのバイタル。会話や周囲の風景の記録。
そして、その個人が抱いた感情の類まで。
そう。
だから。
離反ではなかった。無かったのだ。
一つ、ため息を吐く。
「上に立つのは向いていないな」
「よしてくれ。隊の戦果は私よりずっといいじゃないか。というか、どの部隊よりもいいじゃないか」
嫌味か、とナナが唇をゆがます。
「それは、与えられた隊の強さだ」
機械化兵が数名所属していて他と同じ成果では許されない。
戦果は別として、部下の精神状態もわからなかった自分は、やはり上に立つべきではないのだろう。
へぇ、と相槌をうって、ナナは話を変える。
「そういえばな」
ナナは諜報を得意とするだけあってか、情報通だ。
機械化兵になる前から、軍の通信部にいた軍人だ。
その時の同僚たちが、いまだ軍の情報を彼女に流しているらしい。
自分も同じく軍人上がりの機械化兵だが、そこまで情報は回ってこない。
立場の差か。人徳の差か。
そんなことを考えていると、ナナが言葉を続ける。
「この作戦、プロメテウスも参加する」
「……」
無言でナナを見る。
プロメテウスは最も苛烈な戦地にいたはずだ。
彼女がその戦線から離脱するということは、上層部はその戦線を捨てたということにも等しい。
そして、戦っているその場に留まる兵士達も。
「プロメテウスは渋っていたようだけれど、まぁ。上層部には逆らえない」
プロメテウスの階級は、権力を持たせたがらない上層部の意向で、自分たちよりずっと低く設定されていた。
軍にいる以上、勝手が許されるはずもなかった。
「プロメテウスの代わりに、機械化兵を二機都合したそうだ」
それで、プロメテウスの穴を埋めることはできないだろう。
どこの戦線から引っ張ってきた機械化兵かは知らないが。
「ついでに。私にもだ、情報の詳細が伝わってこない」
ナナは一つ、息を吸う。
「余程のこと、だろうな」
エレベーターが止まった。最下層についたようだ。
ナナは先に出ていく。
後に続く。
「久しぶりだな」
「あぁ、相変わらずか?」
「六期の試作機が死んで以来、メンバーにも変わりはなさそうだな」
「パーツはだいぶ変わったが、それは皆同じだろう?」
「元のパーツが残っているかどうか」
はは、と少し笑いが漏れる。
冗句にしては、まぁ上出来だ。
用意された席に着く。
プロメテウスもすでに来ていた。
固い顔をしている。
隣に座る。
ほどなくして会議の始まりが告げられた。
「諸君、わざわざ来てもらって申し訳ない」
上官の前置きは短かった。
「ことは急を要する。本題に入ろう」
空間に映し出された地図は、敵陣の只中。
「機械化兵第二十四期、二四〇八号機が敵の手に落ちた」
空気が変わる。
「二四〇八が敵に撃ち落されたことまでは確認できている。そこから通信に反応はなし。ただ」
上官は言葉を切る。
「自壊もしていない」
機械化兵の情報は、最高機密だ。
よって、機械化兵には自壊プログラムが組み込まれている。
脳の機能が停止した瞬間から、もしくは血液循環がなされなくなった場合、チップは腐敗信号を発し、機械化細胞はチップもろとも腐敗し、人の細胞へと戻る。
残るのはただのサイボーグ兵である。
いくら調べたところで、どの国にでもある既存のサイボーグの身体でしかない。
自爆、という手段を機械化兵がとった場合も、真っ先にチップと機械化細胞が破壊される。
そうして、今までこの帝国の最大の武器である機械化兵の機密は守られてきた。
それが、今回。
「発信信号は彼が生存していることを伝えている。生きたまま、そして自爆もできない状態で敵の手に落ちたと考えられる」
それがどういう状態か、想像したくもなかった。
「残念ながら視覚の情報は絶たれている。こちらで得られる情報は、音声情報と、二四〇八の感情信号だけだ」
そうして、開示された音と感情に、暫く声が出なかった。
生身の人間がこの感情信号を理解したなら、吐いていただろう。
目を背け、耳を塞いで。
壮絶な感情だった。
痛み、苦しみ、絶望。
それらがないまぜになり、最大限まで引き出されたような、言葉にはできないおぞましい感情の波。
「君達プロメテウス並びデウカリオンの諸君には、二四〇八の奪還、破棄。研究施設と思われるこの施設とデータの破壊を命じる。機械化兵の情報が漏洩した痕跡を一つでも発見した場合は、即座にその先も潰せ」
絶対に、機密が漏れることがあってはならない。
それは帝国の敗北に直結する。
「それでは、現時刻より特別令をもって奪還作戦を開始する」
怒りを持って進め。
我らはデウカリオンの洪水。
すべてを呑み込むもの。
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