第2話 イカロス

 蝋で作られたイカロスの翼は、太陽に近づくほどに、その熱さに壊れてしまう。


 翼を失えば人はただ落ちていくだけ。




「私もなれるかなあ」



 知らず、呟いた言葉は、同室のアカネに拾われた。



「まーた言ってるよ、この子は」



 呆れを含んだ声で、アカネが言った。


 ここは士官学校中等部の寮の一室。


 私はアカネと二人部屋をあてがわれていた。


 アカネとは仲もよく、恵まれた寮生活を送っていた。


 もちろん訓練や勉強や、先輩たちからの嫌がらせやら、嫌なことはいくらでもある。


 けれど、苦楽を共にし、勉強を教えてくれるアカネがいる。


 それに、あの方の側にいるために、この時間は必要なのだということも、十分わかっていた。


 だから、この生活に不満はなかった。



「電気消すわよ」

「はーい」



 消灯は早い。


 最近は電気の供給もままならないのだと、噂で聞いた。


 軍のもとに管理されるこの寮や士官学校はまだいいが、国民の中では電気の供給が止まったところもあると聞く。


 貴重な資源だった。


 無駄に使うことは許されない。


 暗くなった部屋で用意した布団に潜り込む。


 アカネもすぐに隣に潜りこんできた。



「まぁ、かっこいいけどさ」



 さっきの話の続きだ。


 うんうん、とアカネが頷く気配がする。


 そうでしょう、と身を乗り出せば、ストップ、と口を摘ままれた。



「あんたは異常」



 一緒にしないで、なんて、アカネは連れないことを言う。



「この間、おひとりで連合国の一個師団を壊滅させたのですって」


「七日前のことなのに、10回くらい聞いた話ね」



 確かに何度も話している気がする。


 帝国に伝わってくるあの方や、他の方々の活躍に、心が躍るのは仕方のないことだ。


 いつか自分も、そんな風になれたなら。



「強くて、お綺麗で……」



 ため息を吐く。



「あの方の役に立てるなら、私、この命を捧げるわ」


「私たちは帝国に命を捧げる身でしょ。教官にどやされるわよ」



 それは何度も聞いた。


 教官だけじゃない。親も、近所のおじさんも、誰もがそういうのだ。


 帝国のために死ね、と。


 私たちは帝国のために生を受け、帝国のために死んでいく。


 生まれて、育って、産んで。


 育てて。子供として、大人として。


 農家として、商人として。


 そして、戦争になれば、戦って死ぬ。


 それだけの存在だ。


 けれど。


 それだけだった世界に。


 働き蟻のように地べたを這っているだけだった世界に。


 一つだけ輝く物を見つけてしまったのだ。



「大体あんた、会ったことすらないんでしょ」



 アカネが言う。



「お見かけはしたわよ!」



 口を尖らせる。


 あの方は、雲の上の人だ。一介の士官学校の生徒が会えるはずがない。


 だから、遠くから、見ただけだ。


 たった一度。


 あの方が、束の間ご帰還された時。


 整列した軍の先頭に立って歩く姿は、とても凛々しくて、美しかった。


 けれど、どこか寂しそうで。


 その姿に、不敬ながら、お支えしたいと思ってしまったのだ。


 あの兵列に加わりたいと思ってしまったのだ。



「そういえばさ」



 思い出したように、アカネが口を開いた。


 明日の天気は晴れかな、そんなことを言いそうな気負いのない声で。


 さらりと。



「私、志願するの」


「え?」


「機械化兵」


「え……」



 何に、と思って聞き返した声に、すぐに返事が返ってくる。


 けれどその言葉は思いがけなくて、もう一度聞き返してしまう。



「あの方にあこがれてるの、あんただけじゃないんだから」



 アカネの口から出た言葉に、聞き間違いではないのだと知り、目を見開く。


 機械化兵。


 身体のどこかを機械化した、サイボーグ兵とは違う。


 身体を機械に作り変える細胞。それを増幅させるチップを埋め込んだ人間を兵として運用する。その力は人を凌駕し、一人で戦局を変えてしまうほど。


 まだ名もつかない帝国の計画の一つ。


 帝国の、最大の切り札。


 志願兵に求められるものは、健康な肉体と国への忠誠。



「でも、……私達、まだ志願できる年齢じゃ」



 機械化兵への志願は、ある程度身体が作られた18歳以降とされていたはずである。


 まだ14、5歳の私たちは、望んだってなれはしない。



「掲示版、見てないのね」



 アカネがため息を吐く。



「年齢が引き下げられたのよ」



 事態がいまいちの見込めない私に、アカネが一から説明をしてくれる。



「技術の向上で、私たちの身体にも機械化兵になる手術ができるようになったの」



 志願兵の募集、あったわよ。


 呆れながらも笑う彼女に、呆けた顔しか返せない。


 彼女の言葉を反芻して、咀嚼して。


 理解した私は、アカネに抱き着いた。



「やった!やった!」


「あんたは一番に飛びつくと思ってたんだけど」



 気づいていなかったのだ。仕方がない。


 気づけなかった己の迂闊さに思うところはあれど、そんな事より喜びが遥かに勝る。


 これで。


 これで私も、あの方に近づける。


 機械化兵の先駆け。


 この国の英雄。


 ――プロメテウス。



「私も、私もなる!志願する!」



 興奮でうまく言葉が出てこない。


 背中をあやすように叩かれる。



「うん。一緒になろう」



 機械化兵になって活躍できる者はほんの一握りだと聞いた。


 厳しい訓練に耐えて、試験にも通過しなければならない。


 不安はある。


 けれど、アカネと一緒ならきっと大丈夫だ。


 これで、私はあの方に一歩近づけるのだ。





 街頭に流れるテレビの映像に人々は足を止めた。



「帝国は通称機械化兵の育成計画の名称について、イカロス計画とすることを決定いたしました。この命名はギリシャ神話のイカロスを由来とし、翼を作り空へ飛び立った勇気あるイカロスのように、帝国の勝利を掴みとるために勇気と決意をもって機械化兵へとなる若者への激励を込めたもの、とされています――。次のニュースです」



『機密

 通達

 機械化兵の適応年齢引き下げについて。

 適応年齢を引き下げることでより多くの日検体を集め、成功体の増加を図る試み は、18歳以下の被検体634名のうち、成功体0機という結果を受け廃止。

 今後は従来通り、18歳以上の募集を行う。

 なお、今回の試みで出た廃棄物に関しては、連合軍への情報漏洩の危険性も鑑  み、速やかに無力化、焼却処分とする。

 帝国民の指揮の低下を防ぐため、公式発表は控えることとする。

 被検体の神族には、戦死として報告済である』



――太陽に焦がれたイカロスは、最期に太陽を恨んだろうか。


それとも偽物の翼を恨んだろうか――

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