慟哭は歌ではなく、唄でもなく、ただ、そこで獣の如く生まれ、獣の如く死ぬ。五臓六腑の殆どと、眼球に、脳髄までもを失った少年は、だらりと血液を含んだ唾液を外に流して、力無く、扇羽の叫びで細かく震えていた。

 異界という、現実から一つはみ出た夢想にして、生きる者と死に逝き行く者の狭間の世界で、銃夜は、本来ならば死ぬはずの損壊で、多少の息はしていた。要因は異界であるという、その一つだけではないだろう。しかしその、生を口に含んでいる姿に、扇羽は砂粒程度の希望と、満点の星空程度の絶望を感じていた。


――――銃夜は苦しんでいるだろうか。痛みに本当は悶絶したいのではないだろうか。あぁ、でも、こいつは生きている。俺の主人は生きている。


「銃夜」


 叫びを止めた扇羽は、優しく、初めて出会って飯を食わせた時、その時のように、声色を落とす。


「聞こえていたら聞いていてほしい。聞いていなければそれでも良い」


 扇羽は、後ろで何か、困ったように呆然としている、蛇の女を置いて、それに殺気を迎えた。これだけは語っておかなければならない。その為に、ミシャクジサマなんて、もう関係は無い。ここに来るなと、一時だけの殺意と熱意を織り交ぜた空気を吐き出す。


「俺は既に死んだ人間だ。一五年前に死んだ。母親の腹の中で、姉さんと一緒に死んだ」


 銃夜の背の皮を撫でて、扇羽は更に謳った。


「俺は本当は、日宮ひのみやに生まれて、日宮の分家の当主になって、お前達と対等であるはずだった。それでも、俺は死んだ。日の光なんて見る前に、本当の日宮扇羽は死んだ」


 既に無い脳の欠片を、扇羽は手で掬って、銃夜のぽっかり空いた頭蓋に戻す。手だけが必死に、彼の生を望む姿を示す。それでも言葉は止まらない。


「でもあの両親は、扇羽と、もう一人の娘を諦めなかった。死んだ者を蘇らせて、育てる方法をあいつ等は考えて、探して、ある一つの方法に辿り着いた」


 ざわざわと、扇羽の脇腹が蠢く。それは羽虫の翅の合わさる音。血液の湿気で鼻ももげそうな空間に、それはある一つの清浄として現れた。


「銃夜、『式神』を知っているか。才能のある能力者は、十歳か二十歳の間に、異界で、縁者の魂の欠片を集めて、自分の分身を創るんだよ。それが式神という、生物なんだ」


 金属が触れる様な音が奏でられる。隣、扇羽の体の傍を、それらが飛び交っていく。姿はまだよくわからないが、それなりに大きな羽虫であった。


「式神は主人や主人の縁者の影響で、姿を変えられるらしい。母親はそれを使うことにした」


 扇羽のその言葉は、淡々として、御伽噺でも語るようである。けれど、幻想ではなく、彼にとってそれは根拠であり、事実の説明、解析であった。


「親戚の子供を何人も連れて来て、異界に落として、式神を創らせて、本体の子供から式神を引き剥がして、死んで眠っていた、まだ人間として完成すらしていなかった俺に、植え付けたんだ」


 酷く、苦しかった。扇羽には、その事実を述べることが、、ひたすらに苦しかった。羽虫達は二人を覆って、戻らない。


「型に粘土を引っ付けていくみたいに、少しずつ俺と姉さんは完成した。血縁があるとはいえ、訳も分かってない赤の他人の命の欠片を練りこまれて、俺は生まれた」


 羽虫の群れは光色喝采、硝子と金属を必死にかき混ぜたような、そんな音を出して、定まらぬ色で光る。それを反射させる扇羽の重瞳は、銃夜の顔を映す。


「俺は扇羽じゃないよ。俺は扇羽という一人の人間じゃないんだ。意思も生まれなかった赤子に取り憑いて、主人を生贄に生き延びた、式神分身達だ」


 光る羽虫は透明な蜻蛉になりて、空を舞い、その数は千を超えるようでもあった。がしゃがしゃと音が鳴りやまない。それは幾千の子らが泣く声のようで、まるで、母を呼ぶ赤子の泣き声だった。


「まだ俺は、俺達は、式神のままで生きてる。胎児の扇羽も、まだ生きてる。わずかだけど、命はあるんだ」


 千の翅は、翅音を上げるうちに、欠片を作って、割れていく。割れる度、更に音は大きくなっていった。


「幾つもの欠片と、僅かでも命があれば、生きられるんだよ。俺達は知ってるんだ。扇羽に意思は無かったけど、生存本能は僅かにあった。つまり、核である本人は消えないんだ。骨組みには組み込まれる。繋げられるものがあればいい」


 それは生を謳う歌。奏でるは、本当の自分を失った、影達の破片。歌うは命となった彼等の決めた、たった一つだけの意思。


「俺達は償いたい。扇羽という一人の存在を踏みにじった罪を。共に生き共に死ぬべき彼等を生贄に、今まで生きてきた罪を」


 十四年の日々を精一杯に生きた。彼らはそれを罪という。挙句にはこれからすることを、誰の罪にもならない大罪の、贖罪にしようと決めたのだ。


「目覚めた時、お前は愚かだと笑うだろう。笑ってくれ。お前の命を繋ぐ俺達に、お前の高笑いを沢山見せてくれ、銃夜」


 ガラス片が、金属達が、虹色を作って壊れていく。二人を覆って、一つの空間を作ったそれは、一瞬、動きを止めて、扇羽達の小さな声を、銃夜に聞かせる。



「願え。明日も、その先も、誰かに愛され生きる、そんな当たり前を」



 体から、扇羽達が、剥がれ落ちる。結晶、硝子、水晶、水銀、美しいものになら、何にでも例えられる彼らは、一つ一つが何か意思を持ったように、銃夜に縋るように、彼の体を構成していく。


 眼球、脳髄、五臓六腑、失われた器官が、扇羽達に置き換わる。命の破片は蠢いて、銃夜という一人を補充する。刺さるように、破片は煌めいて、銃夜の血管、血液、思考の一片になり逝く。既に構成物から外れた蜻蛉達は、銃夜の体の下に落ちていく。そして、彼の下に溶けていった。


 最期、祈りの鈴の鳴るように。


――――シャン


 と、最期の扇羽が、銃夜の眼球の上に落ちた。



「…………」


 扇羽という存在がいなくなって、そこにいたのは、銃夜のような、銃夜ではないような一人の少年と、千の子らから刺される、自分への殺意に圧倒されていたミシャクジサマ、その二人のみ。

 尋常ではなかった気配に、きょとんと、ミシャグジサマがへたり込んでいた。


「坊や……? 坊やは何処?」


 彼女は扇羽を呼ぶ。けれども、それには、誰も答えない。



――――頭が重い。体は重いが、動きは軽い。体の痛みは消えてなくなっている。



 少年は呻きも上げず、静かに、右手を空に伸ばす。そして、その掌を、そのまま静かに自身の胸に置いた。


「……聞こえてた。今も聞こえてる。大丈夫、安心してくれ。今でも俺はちゃんと、銃夜だよ」


 囁くように、彼はそう笑う。口角が、自然と上がって、顔の筋肉が引きつって仕方がない。


 むくりと上半身を起こす。服はもうボロボロで、どうにもこうにも、お下がりでくれた、晴嵐に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。血だらけの空間で、そう思うのはおかしいだろうか。先程まで自分を食らっていた神の前で、そんな日常の現を覚えるのは、不自然だろうか。


「坊や?」


 ミシャグジサマがそう尋ねる。それがミシャクジサマという神であると、銃夜には最初は理解できていなかったが、自分の中で囁く彼等が、それの名を教えてくれていた。


 だが、尋ねるそれを聞いても、銃夜は冷静で、且つ、不思議とそれのことは気にならなくなっていた。頭を捻って、さて、どうしたものかと考える。

 肉付きの良くなった自分の体を動かそうと、銃夜は立ち上がる。混乱していない今でこそわかったが、この空間には、自分達以外の、少年達の残骸が落ちていたらしい。目の前の女神が食い荒らしたのだろう。妙な怒りを覚えつつ、銃夜は辺りを更に見渡す。


 ここにあるはずだ、と、銃夜自身の考えであった。

 銃夜の足元、先程まで、扇羽という一人の生命が跪いていた場所。掌ぐらいの大きさ、心臓程度の肩さ。人間としての形とは、近づきつつも遠い。本来なら母という生物の中にいるもの。もう既に、息のしないそれを、銃夜は拾い上げる。両手で彼を持つと、鼻の前まで持って、呟く。


「やっと会えたな、扇羽」


 呟いて、呟いた口を更に大きく開けて、彼の頭を口に押し込む。飲み込みたかったが、それも出来ない大きさで、嫌々に、銃夜は彼を噛み千切る。一口、飲み込み終わって、今度は胴体部分を噛んで、噛んで、また噛んで、彼の全てを平らげる。


「おやすみ、扇羽せんば

 ――――これからよろしくな、千翅せんば


 食らい終わった彼が、腹に落ちたことを銃夜自身が自覚した時、彼の影から、音もなく、光通さぬ常闇の蜻蛉が、大群を成して現れた。

 千翅と呼ばれたそれは、銃夜を愛おしそうに囲む。銃夜は嬉しそうに笑って、泣きそうになりながら、また笑った。

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