富隋

 隣、後ろ、前、様々な方向から、知らない人間達の声が聞こえた。繋ぐ手の先、扇羽と晴安の手の温度が不安感をかき消して、銃夜は意外にも落ち着いて周囲を見回していた。

 早々に晴嵐と晴は二人で、地下にあるという食品の階層に行ったそうだが、地下という単語を聞いて、銃夜は着いていくことを諦めた。不安がるような場所ではないと、理解はしているが、それでも、何処か受け付けない気分にはなる。では分かれて必要なものを探そうと、まだ、銃夜には好きな食べ物もないからと、晴安の提案で、銃夜は服飾の売り場まで連れられていた。


 下から、立っている扇羽を見上げると、一一歳の銃夜から見れば、彼は一三歳とは言えど、それなりに大人の顔つきで、身長も、大人である晴安とそう変わらないようにも思える。ただ、それでも彼は、基本的な体や顔の表情は子供のそれであるし、比較的、大人っぽさを持った少年、というふうであった。

 後ろを振り向けば、晴朝がいたが、彼は自分達の後方を注視し、見方により神経質のそれに思える。


「銃夜」


 晴安に名を呼ばれて、銃夜は彼の顔を見る。その彼の目の先、あったのは黒や赤、青色等の、落ち着いた色付きでありながら、その光沢で存在を誇示する、ランドセル。その山であった。山とはいっても、商品としてそれはきちんと整理整頓、陳列されており、美しさを更に際立たせている。


「色んなのがあるやろ。好きに選んでええねんで」


 好きに、という言葉と共に、晴安は銃夜の手を離す。唯一、繋ぐ手が離れなかった扇羽に引っ張られて、銃夜は更にランドセルに近づいて行った。


「晴安、扇羽、俺は呉服屋と洋服屋にまともなのが置いているか見てくる。何かあったら連絡してくれ」


 晴朝がそう言って、遠くに足を向ける。一種の信頼があるのだろう。晴安がわかったと言うと、扇羽も同じく答えて、そのまま銃夜にランドセルを触らせた。


「背負ってみるか?」


 扇羽がそう言うと、目の前にあったものを一つ手に取り、銃夜の背に回って、腕を通させる。ずっしりとかかった重さに、銃夜は細い体が耐えきれなくなって、ふらりとよろけた。サッと元々後ろにいた扇羽が、不思議そうな顔をして、上から銃夜を、見下ろす。


「重りが入っとったんやろ。教科書とか」


 そう言って、晴安はその辺りにあったランドセルの中身を出して、児童用の辞書やらを見せる。


「体力つけてからじゃないと、中に物入れて歩くのはきついかもな」


 銃夜は扇羽から発せられ、聞いた言葉を頭の中で咀嚼する。要は、まだ自分が使うには早いらしい。それでも使ってみたくなって、銃夜はどうにか体を支えようと、体を前のめりに、足を支える。

 姿勢の変更か、一気に背の荷が軽くなる。一時の達成感に酔って、銃夜は扇羽を見た。


「そう、少しずつ慣れていこうな」


 そう言った扇羽の手には、三冊の、国語と算数、生活科の教科書が、軽々とあり、銃夜は背でパカパカと鳴る、鞄の蓋に、一種の絶望感を感じた。銃夜の自尊心打ち砕く音は、晴安には聞こえていたようで、彼は、笑みを称えて、やってやったと言うような顔をしている扇羽の、後頭部を黙って、軽快に叩く。




「ごめんな銃夜。だからそんなにいじけないでくれ」


 扇羽はそうやって言って、化粧室前のベンチ、その下にて蹲る銃夜に手を差し伸べた。それでも銃夜は、悲しそうな、一種の怒りもにじんでいるような、何とも言えない無表情で、その場を動こうとしない。

 晴安が扇羽を叩いた後、突如として、いそいそと銃夜は壁の方に寄り付き、壁を伝って化粧室の前まで来ると、野良猫のような素早さで現在位置に入り込んだ。埃があって汚いだとか、周りが見ているだとかを必死に扇羽と晴安が伝えるが、どうしても銃夜は動こうとしない。


「銃夜。帰ったら干し柿やったるから、出ておいで」


 晴安がそう言った。干し柿という単語に、銃夜が耳を立てるが、すぐに、スッと身を顰める。


「ママ、僕もあそこで遊びたい!」


 銃夜が身を顰めた瞬間だった。扇羽と晴安の後ろから、そんな、男児とも女児ともとれぬ声が聞こえた。


「駄目よ。後で屋上行って遊ばせてあげるから」


 それはその子の母親の声だろう。晴安が振り返ると、身形のいい、子供らしいふっくらとした身の男児と、その母親らしい女性が、手を繋いで、こちらを見ていた。


「もう小学校に上がるんだから、あんな小さい子みたいなことしないで」


 母親の言葉は、確実に、銃夜にも向けられたものであった。銃夜は理解しているだろう。そう晴安は思う。彼女らに銃夜は見えていない。彼女に、銃夜が一一歳の、小学校に行きたくても行けなかった少年であることはわからない。それでもこちらにはわかる。彼らは一般的な生き方をして、何の疑いもなく義務教育で小学校に上がっていく、普通の親子なのだろうと。


「……大丈夫。あの女はお前みたいに高潔な人間じゃないんだ。見えもしない子供を、周りに聞こえる言葉で罵って、自分の息子に見せつけている、ただの大人になりきれない母親だよ」


 扇羽がひっそりとそう言って、伸ばした手、銃夜の頭に触れるだけの手を、銃夜に向ける。


「出ておいで銃夜。謝るよ。一緒にもう一度、ランドセルを選ぼう」


 そうやって、扇羽は銃夜の頭を撫でる。一度、何かを考えた銃夜は、身をぐいと外に押し出して、周りを見渡した。


「……さっき背負ったやつが欲しい」


 銃夜がそう言った。埃塗れの黒い体を、叩いて、埃を落とす。


「じゃあ、もう一回背負ってみっか。細かいとことか、色々と変えられるみたいだから、好きにしてみようぜ」


 にっかりと扇羽が笑う。その顔を見上げると、ふと同時に天井が見えた。



 銃夜の目線の先、白い光源で白く清潔な天井。通気口がちらほらとあるが、それ以外は、白以外に色はない。しかし、階層の隅、銃夜から見て右の隅から、赤黒い何かが波打ってこちらに這っているのがわかった。その下に、ひそひそと子供に何か訴えている、先程の母親と、ぼーっとした顔をしている男児の二人がいる。


「あ」


 気付いた銃夜が、天井を指さす。それに釣られて、晴安が同じ天井を見た。


「…………!」


 銃夜の指の先を見て、晴安が、細い目を見開く。口を開けて、晴安は叫んだ。


「あかん! まずいのがおる! 扇羽! 銃夜からはなれんっ……」


 ゴリッと、固形物が折れる音がして、晴安が霧のように消える。じわじわと動いていた天井のモノは、一気に天井全体へと回った。目の前にいる扇羽は、赤黒くなった世界を、警戒するように一周見渡した。


「……嘘だろ……異界かよ……」


 見渡した周りには、先程まであった百貨店の様相に加えて、それが真っ赤に染まっていた。そして、異常事態に困惑する女性店員や、先程の親子など、女性の悲鳴を中心とした怒号が鳴り響いてる。


「ちょっと! 何がおきてるのよ!」


 あの母親が、近くにいた気の弱そうな女性店員を責めるが、その様子を、扇羽は見ないようにと銃夜の目を覆う。


「銃夜、さっきみたいに物陰に隠れててくれ。条件が見えた。お前は危ない」


 混乱している銃夜を、扇羽は埃だらけのベンチの下に押し込む。


「良いか。安部家、樒家っていう名前を出さない限り、誰とも話すな。誰もその場所に入れるな。そこから出るな」


 混乱してもなお、扇羽が必死であることはわかる。いつもの余裕は無く、必要最低限のものを考えて、選んで言葉を紡いでいる。


「出来るだけ外も見るな。見てて気持ちのいいもんはない」


 そう言って、扇羽は踵を返した。


「助けを呼べるか確かめてくる。大丈夫、俺がお前を守るよ。心配しなくていい」


 その言葉の意味が、銃夜に上手く伝わらないままに、扇羽は行ってしまった。扇羽は混乱している客達をすり抜けて、何処かに向かっていた。ふと、銃夜は先程の親子が気になって、そちらを見る。

 騒ぎの声が、いっそううるさくなって、それと同時に、銃夜は目を見開いた。


 先程の母親と、彼女と揉めていた女性店員が、天井にぶら下がっている。青く光沢のある鱗を煌めかせて、は彼女らを頭から噛み付き飲み込もうとしている。は、蛇ではない。は牙の生えた馬の頭、鹿の角、爬虫類のような顔を持っている。


――――龍。多頭の龍。

 それが、女達を天井から、まるで自分が干し柿を食べようとする時と似たように、被りついては、引っ張り上げて飲み込んでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る