光中

 日、昇って昼、銃夜の目は、ハッキリと視界を持ち、光を感じる。首の辺りが少しチクチクとして、頭に重みを感じない。そして、自分が、何か動物の懐にて眠っていたのだと理解する。獣臭いというよりも、その臭いは、家の主人の晴安に似ている。腹の部分を手で撫でると、ぴくぴくと体が動いて、体勢が変わったようだった。

 首をもたげ、獣は銃夜の顔を見る。銃夜にとって不思議であったのは、その獣の顔や、周囲の状況が、生まれてから初めてと言えるくらい、ハッキリと見ることが出来た点である。


「なんや、起こしちゃった?」


 女性、晴の声が聞こえる。それは中庭、日向の光がよく降る、銃夜の目の前の空間であった。日の光で晴のシルエットがくっきりと映し出され、その行動も理解出来る。

 白いシーツは静かな風になびいて、昨晩、風呂という場所で嗅いだような匂いをこちらに流す。

 自分の眠っていた部屋が、今自分のいる場所だとするならば、彼女が干しているのは、おそらく自分が使っていた布団のものだろう。それは白く輝いて、少しの眩しさを感じた。


「斑、銃夜君を晴安のとこに連れてやったって」


 晴が、銃夜が布団にしていた獣に、そう支持する。すると、その獣はくぁと欠伸を欠いて、銃夜の顔を舐めて、丈の合わない服の首元を咥えた。


「いや、その子、歩けるから。持って行かんでもええよ」


 ずるずると黙って引きずられていた銃夜は呆けている。斑は、え? そうなの? といったような表情で晴を見た。そのあとすぐ、座りこくる銃夜の背を鼻で突く。それに導かれて、銃夜はしっかりとした足取りで屋敷の縁側を歩いた。


 ある程度を歩くと、屋敷の内部の明るさがわかる。襖は全て開けられており、そこまで広くはない建物そのものが、外の光を通して、暗闇を消している。風呂場の周囲だけは洋式のようであり、それを見た銃夜は、眉間に皺を寄せて唸った。


「なんや、銃夜、風呂場に威嚇なんかして」


 後ろから聞こえたその声は、晴安のものであった。振り返り見上げると、彼ののほほんとした顔が、逆光で暗くなっていた。


「湯は怖い。火傷する。湯の火傷は水膨れが出来て中まで痛い。痛いのはやだ」


 一度合わせた目を逸らして、銃夜は言う。たどたどしくはあるが、しっかりとした声色で、もうすぐ少女の様な甲高い声が、若々しい男に変わる、そんな変異を聞くような声だった。


「お風呂のお湯は熱湯じゃないから、心配するこたないで。今日は僕と入ろか。昨日はちゃんとあったまる前に飛び出したやろ」


 晴安はツンツンと銃夜の鼻を突いて、そのまま顎を摩る。それが酷く心地よくて、銃夜は目を細める。その手の動きで揺れる自分の頭の重みを感じて、その異変に気付く。自分で手を頭にやると、髪の総量が減っている。


「あぁ、寝とる間に、野菊はんが切ってくれたんや。さっぱりしたやろ。顔も男前に見えとる」


 成程、自分の視界が明瞭になったのは、その散髪のせいだろう。前髪も、項の髪も、一般的な少年のように、短く切りそろえられている。


「おいで、風呂は夜に入ろう。お腹減ったやろ。おやつ食べよ」


 おやつ、というものに、銃夜は反応する。その輝く目と、口の横から零れる唾液に、晴安は笑った。連れて行こうと、手を差し出す。それに、銃夜はどう反応すべきかを迷った。


「やったことが無いこと、見聞きしたことがないことはわからないんですよ、こういう子供は」


 ふと、声が聞こえた。それは、銃夜が一番に安心する声で、頭の中にすとん、と入るモノだった。


 安倍家の塀をよじ登って、上半身を見せている少年は、扇羽。その隣、トン、トトンと、軽やかに塀を踏みつけ、晴安の傍に寄りついたのは、銃夜の見知らぬ少年であった。彼は中途半端に長い黒髪を持ち、茶色の瞳を少々鋭い垂れた目の中に嵌めている。その雰囲気は、何処かで見たこともあるような気がして、銃夜は、一種の嫌悪感に襲われる。

 だがそんなことも気にせずに、少年は体を晴安に摺り寄せる。


「何や、龍ノ介りゅうのすけも一緒やったんか」


 銃夜が眉間に皺を寄せて、龍ノ介と呼ばれた少年を見ていると、扇羽が塀から降りて、銃夜の傍へと駆け寄った。


「こいつは葛木くずき龍ノ介りゅうのすけ。うちで預かって訓練してる子供だ。晴安さんに凄い懐いてて、しょっちゅうここに来るんだよ。そう年も上じゃないはずだから、遊んでもらえ」


 そう言って、扇羽は銃夜を頬から沿って撫でる。寄っていた皺は伸びて、銃夜は目を瞑った。


「あぁ、そういえばな、扇羽。銃夜は今、一一歳で、お前と二つしか変わらへんよ。龍ノ介の一つ上やし」


 ん? と、扇羽が困ったような顔をする。自分が何かしたのかと、銃夜はその顔を見るが、扇羽はまた更に困ったような顔をして返して見せた。


「あぁ、違う、違うんだ。お前のせいじゃないんだよ。いや、単純に俺が、お前が八歳とかかなって、思ってた。それだけなんだ」


 扇羽は一つ一つを説明して、笑った。


「割と節穴ですね、扇羽さん」


 ぶっきらぼうに、葛木が声を出す。ムッとしながら、扇羽が彼を見る。


「しょうがないだろ。体があんまりよく発達しているように見えなかったの」


 扇羽の言葉は言い訳のようで、あまり自分をよく言っているわけではないと、銃夜も感じ取る。ぐっと我慢した腹の力が、その感じ取った感覚で震えて、ぐぅと鳴った。


「お腹減ってしまってるなあ。皆でおやつや、おやつ」


 晴安はそう笑う。葛木の頭を撫でると、そのまま縁側の角を曲がった。斑が銃夜を押して、歩けと促す。


「干し柿かな。食えなさそうだったら別のやつをまた用意してもらうか」


 一人、独り言のように呟いて、扇羽は銃夜の隣を歩く。ミシミシと音がなって、屋敷の古さを物語る。昨日、自分がこの下で鼠を食ったなと、銃夜はふらふら歩きながらも思い出した。

 角を曲がると、そこでは晴安が屋根から吊るされた、乾いた何かの実のようなものを取っていて、それを黙って待つ葛木が傍で星座をしていた。


「あー、銃夜にはちょっと硬いかもしれへんな」


 四つ、晴安は手に取って、一つを葛木に手渡し、一つを自分の口で咥え、二つを扇羽に手渡す。受け取った扇羽は、手で表面を撫でると、決心したように、銃夜に一つを渡した。


「干し柿って言うんだ。硬いから口で柔らかくして食えよ。喉に詰まらしたら大変だからな」


 目の前で、三人が食べ始めたそれを、銃夜は真似して、口に含む。まだ顎の力が弱い。銃夜は干し柿を口先に含みながら、噛み切れるようになるまで待つ。それをしている間にも、それの甘さは口の中を蹂躙する。独特の風味に驚いて、銃夜は一度毛を逆立てて、目を丸くする。それを心配したのか、斑が顔を覗く。


「……美味しい」


 そう呟く銃夜に、晴安はにっこりと笑って、葛木を撫でるように、同じく、銃夜を撫でようとした。まどろんでいた銃夜は、その、頭上に突然現れた手に驚いて、干し柿を咥えたまま、扇羽の後ろに隠れる。


「大丈夫。ここじゃ誰も頭を叩いたりしないよ」


 後ろに隠れた銃夜の手を掴んで、扇羽は自分の前に引きずり出すと、銃夜の目線の先を指し示す。その先には、縁側に腰掛ける晴安の膝に、ちゃっかり座って、何処か犬のように頭を撫でられる葛木がいた。


「…………」


それを見て、銃夜はグッと片手で扇羽の服の裾を握る。黙ったまま、ただ干し柿を齧って、扇羽を見ていた。


「……まあいいや、座れよ。立って飲み食いするのは行儀が悪い」


 扇羽は銃夜の目の前で、縁側に座って見せると、それに続いて、銃夜は座り、地面につかない足をばたつかせる。


「晴安さん、そういえば、何で銃夜の年齢とか知ってたんですか? 聞くところ、鋸身屋からは『預かれ』としか言われていないと聞いたんですが」


 銃夜の様子を見ていた扇羽が、何か、気づいたように、晴安の顔を見た。自分の名を呼ばれたと思って、銃夜も晴安の顔を見る。


「あぁ、それな。銃夜が入ってたスーツケースに、色々と入っとって。今までに受けた傷とか、どこの発育不良が酷いとかな。誰が書いたとは、明記されとらんかったけど」


 まあ、あいつやろ、と、晴安は付け足して、傍の部屋の隅にあった、古い、何か本のようなものを、座ったまま取り出す。


「漢詩と近代文学、小学校と中学校の教科書も、後で調べたら出て来てな」


 そんな話をしている二人の、間に出されたその本に、銃夜は目を見開く。その途端、考える脳も無くなって、その本の山に飛びついた。


「銃夜!?」


 扇羽はその姿を見て、名を叫ぶ。


「……やめて……捨てないで……焼かないでください……やめてください……」


 裏返る脳の記憶が、銃夜の頭の中で叫んだ。それは、目の前で燃やされた本だ。挟んでいたもの諸共、あの悪魔が燃やしたはずの本だ。事実の中身が、矛盾を産んで、銃夜は周りも見れずに、震えた声で鳴いていた。

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