パチパチと音を立てて、炭が燃え消えていく。深夜、書類仕事をして手を冷やした百子は、火鉢の周囲に手を添えた。その傍では、布団を敷いて、ぐっすりと眠りつく、百子と同じ色の少年が横たわる。体の激しい動きで剥いでしまった布団を、百子は慈しみの表情でかけ直す。少年の名は細好。千宮家の幼き当主であり、百子のたった一人の息子である。


「成程、答えはそういうふうに纏まったのですね」


 百子の、業務的な、無機質な言葉が、胸を刺す。白露神社の一室から見える庭に、白衣を纏って跪く野菊と、その隣には髪を結った扇羽が並ぶ。そしてその先頭に、黒の羽織を着こんで、銀の髪を流す男が一人。瞳はアメジストのような青紫で、羽織る黒の下は髪に負けぬ輝しさの白。目の周囲は紅で化粧をしたような赤みがあった。


「――――えぇ。俺達も細好を守りたいのは確かですが、それが為に、大宮の分家の、有力な当主候補を殺さなければならないと思う程、俺達も無能じゃない」


 黙って地を見る二人に代わって、男はそう笑った。立場の低さを現す頭の低さを、格段に上げて、立ち上がって、男は言う。


「少し頭を冷やされてはどうでしょう。ここ、白露神社は結界で守られた一種の要塞。事が解決するまで、細好をここで過ごさせれば良い話。無理に『嫌いな奴ら』からあて付けに生贄を出したところで、それは非難の対象にされるだけだ」


 男の謳う言葉は、百子の耳に入っているのだろう。細好を撫でつける手の、もう一方の手が、震えていた。

 理解はしているのだろう。自分のしていることの矛盾を知っているのだろう。それでもなお、彼女はそれを肯定できない自尊心を抱え込んでいる。その歪みを、男は突いている。彼女の手綱の取り方を、彼は昔から知っていた。


「……当主候補? 有力な? 彼が?」


 しらばっくれるように、百子は言う。鼻で笑った声は、無機質に、感情が籠らない。

 それを更に高笑いで覆いつくす。


「えぇ、有力も有力。彼は双子の片割れ、且つ、稀人……希少血症を先天的に持っている。生命力は高く、神々の加護を受け入れやすいし、何より長寿だ」


 男はその指を細好に向ける。


「そう、細好と同じ、両親の良いところを全て取り込んだ素晴らしい血統の持ち主。我々毒花は、宮家に強い血を残させるためにも、彼を生き残らせる手立てを考えているんですよ」


 ねえ、と、男は笑う。


「貴女ほどの血統主義者が、結果主義者が、今の感情で動いてどうします。もう少し先を見渡しましょう。もし鋸身屋当主にあのクソガキが立ったら、今回の事をネタに揺すられるだけかと思いますよ」


 男がそこまで言うと、百子はハァっと浅い溜息を吐いて、奥にいた女中に目配せする。女中は細好を布団で巻いて、抱きかかえて、部屋の外に出て行った。ちらりと布団から細好の可愛らしい笑みが見えた。


元治もとはる


 百子は男の名を呼ぶ。男は、しきみ元治もとはるは、それを聞いて、にんまりと笑った。それを睨んで、百子はまた溜息交じりに刺す。


については貴方に全てを投げましょう。どうせ私が命令したところで、貴方はその綻びを見つけて、私が予想しなかったような形にしてしまう。それに、大宮家は最早、貴方達、樒家が握っている部分が大きすぎます」


 百子は草履を履くと、庭に降り立ち、一回り体格の良い元治に近寄った。紙一重に体を正面に合わせると、そのしなやかな若竹のような指を元治の喉に突き付ける。


「しかしこれだけは言うことを聞きなさい。貴方達はを賭して、ミシャクジサマを封じなさい。それについては最善を尽くして頂きます。それだけの報酬は私が用意しましょう」


 百子の指が元治の喉にのめり込む。その手を元治が掴むと、百子は予想だにしていなかった行動に、背筋を震わせた。くっついてしまいそうなくらいの距離で、元治は笑う。


「言質は取ったからな百子。言ったことは守れよ。最善策でミシャクジサマを押さえつけて、俺達は鋸身屋を存続させることを考えれば良いんだよな」


 ボキン、と、何かが折れる音がして、確信付いたような目で、元治が笑っていた。大の男の握力は、百子というか弱い女性の指を折るには充分である。

 骨の折れる音と、百子の様子に気づいて、野菊が立ち上がり駆け寄った。


「その手を離せクソ野郎!」


 野菊は元治の頭にヒールで打撃を加え、手を離されてよろめいた百子の体を受けとった。


「冷やして固定しよう。扇羽、厨房に行って氷と割り箸貰ってきて。あと誰かしら叩き起こして車の手配を」


 急ぎ早に野菊がそう捲し立てると、扇羽は頭を押える元治を横目に、厨房の方に駆ける。しかしそれは百子に服の裾を取られて止まり、ギョッとした目で、彼女を見つめることに代わる。


「騒がないでください。細好が起きてしまうでしょう。手を粉砕される程度、宮家として当たり前に受けて来たことです。放っておきなさい。勝手に自分で治します」


 百子は止まった扇羽の裾を離し、野菊を振り払って、荒い息を整えるように息を吸う。


「早く行きなさい。仕事が決まったならばそれをこなすのが貴方達でしょう。扇羽、貴方は既に千宮に仕える者ではない。暫くこの敷地にいることさえ憚られるのですよ。当たり前に厨房に行ってどうするんです」


 饒舌に、彼女はそう言って、自分の足で歩き、手を押え、自分の部屋へと戻った。再度睨みつけるその目は、恨めしさ、憎悪で固まっている。そのほとんどの感情が、元治へと差し向けられているのは、言うまでもない。


「馬鹿だね、一応これでも、私はアンタら母子の主治医なんだよ。医者として仕事させな」


 怒りや冷気で覆われたその空間を打破したのは、最早、樒野菊としてではなく、ただの医者としてその畳を踏みつける野菊であった。野菊は腰のポーチから包帯などを取り出して、黙る百子の治療を始める。


 それを見ていた元治が、では、と言って、元治は庭を出、夜の暗闇でも淡く光るような白い鳥居を潜った。それに続く形で、扇羽も歩いて行く。

 聖域の自然を歩く中、元治が、扇羽の顔を見た。


「いや、怖がらせたな。すまんすまん。百子もいつもはあそこまで言わないんだけどな。まあ、見習いみたいなもんだし、すぐにまた細好とも遊べるようになるさ」


 そう軽やかに言われた扇羽は、元治の前に出て、その歩みを制止させた。その行動に、元治は立ち止まりながらも、不思議そうな顔をする。


「義兄さん」


 扇羽がそう言う。その目は、焦点合わぬ重瞳の目さえも、自分を一点に見ていると、元治にはわかった。


「何だよ。餓鬼臭い。言いたいことがあるならとっとと言え」


 元治の言葉を認識して、扇羽が口を開ける。


「俺を銃夜の守護者に斡旋してくれないか」


 ふと、その声を聞いて、元治は一瞬、表情が抜け落ちたようになった。それに驚いて、扇羽の腹の中に、蟲でもいるように、不安がぐるりと襲う。しかし、それも元治の高笑いで消え去った。


「良いぜ。樒家最高位としても、大宮本家の婿としても、俺が大宮家鋸身屋の銃夜の守護者として、お前を斡旋してやる」


 その言葉を聞いて、扇羽は、フッと表情を変える。


「本当に良いのか? 銃夜には安部家以外はまだ敵ばかりだ。実家からも殺されかけているのに、俺みたいなのが守護者として行って大丈夫かな?」


 違う不安が、扇羽を襲っている。それは半分は照れ隠しの様なものだが、酷く、焦りを感じていた。それでも、元治は笑う。


「お前は、自分の為に生贄を捧げられてきたことが、酷く心に引っかかってたろ。どうせ守護者は一人だけなんてわけがない。償いたいなら傍にいろ。銃夜はそれだけの価値がある」


 元治は扇羽の頭を撫でる。彼らは義兄弟。長男と元孤児の末子ではあるが、その様子は、兄弟や親子にも見えた。


「それに、俺がお前を姉と一緒に拾ったんだ。一度くらいちゃんと仕事してくれなきゃ拾い損だよ」


 義務的なことを、軽く飛ばして、元治は撫でた手を羽織の裾に収める。頬を紅潮させて、扇羽はもうすぐ昇る日に向かうように、赤髪を揺らした。

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