ぬるりと、どろりと、牢で毎日食べていたような触感のそれを、銃夜は噛み、飲み込む。その辺で捕まえる油虫よりも、鼠よりも、舌に残る感覚は悪くない。既に味覚など捨てている銃夜には、まだそれの香りも味もわからないが、これは腐っている残飯ではなく、人間の作った食事であると理解は出来た。


「銃夜君、美味しい?」


 京言葉をつらと並べた晴は、銃夜と目を合わせようとするが、銃夜はそれを拒否して、粥の入った器に手を突っ込んで、口に中身を流し込んだ。

 困ったような顔をしている晴に、目を合わせて、やはり困った顔をしているのは、銃夜を安倍家の屋敷まで連れてきた扇羽である。


「ほれ」


 扇羽が、粥を少なく匙に盛り、銃夜に見せた。それをそのまま鼻っ面にやると、銃夜が食いつくまでを待った。銃夜は匙の先をくんくんと嗅ぎ、扇羽の目を恐る恐る見る。


「お前が食ってるのと同じだよ」


 その言葉を信じて、銃夜は匙を一口舐めて、勢いのまま、匙を一口噛み付いた。


「歯は立てるな。噛むな。唇だけで中身を取るんだ」


 理解したのか、銃夜は歯を外して、唇と舌を器用に動かすと、匙の中身を全て飲み込んだ。


「手じゃなくてこれで食え。今やったみたいに、口に入れればいい。持ち方は今はどうでも良い」


 扇羽は銃夜の前にあった、未使用の匙を、銃夜の手に置く。反射的に銃夜が握ると、そのまま、と、扇羽が一言言った。銃夜が硬直していると、手本を見せるように、扇羽は匙で粥を掬って食って見せる。

 すると、銃夜は見様見真似で、口の中に、匙で粥を口の中に運んだ。


「それでいい」


 銃夜の顎から、扇羽は手を通し、髪をかき上げるようにして頭に手を持っていき、顔が見えるように頭を撫でる。痒い所に手が届いたような気分なのか、銃夜は少しにんまりとしていた。


 それを見て、晴も真似ようと直接頭を撫でてやろうとするが、その手を扇羽が払う。


「まだそれは早いですよ。上から手を出したら殴られると思って怯える」


 そんなやりとりを無視して、銃夜は新しく覚えた匙という物の使い方で、黙々と粥を食っている。どれが自分のモノなのかの判別がついていないのか、自分の器のものが無くなると、すぐに隣の扇羽の粥に手を付ける。扇羽はそれを黙って見て、抑えることもしなかった。


 そんな三人の様子を、襖一つを隔てて見ている者達が複数人、茶を飲んで、頭を抱えていた。


「……あれ、白粥食べてるの?」


 野菊が、襖の隙間から銃夜を見て、共に見ている晴安に尋ねた。


「みたいやね。あーあー、畳に零しまくっとる。赤ん坊みたいでかわええなぁ」


 呆れている野菊と違い、晴安は彼らの表情や動作に一喜一憂して、凡そは喜んでいる。特に、銃夜が段々と人らしく姿勢を正し始めると、口元を隠して微笑みだした。


「……そろそろ私達も出ちゃダメ?」


 野菊が晴安に尋ねると、まだまだ、と、晴安は首を振った。しかし、ふと、晴安は、晴と目が合って、その目線を感じ取った銃夜が、こちらを見る。その瞬間、銃夜と晴安は目が合った。


「…………」

「…………」


 目を丸くしてこちらを見る銃夜は、床下で顔を合わせた時のそれと同じような表情に見える。襖の隙間で始まった見つめあいに、扇羽も気づいて、銃夜の視界の中に自分から入り、目を合わせる。


「アレはここの家の主人だ。これから暫く、お前はアレに世話になる。生活の仕方とかは、もっとアレから覚えろ。以上」


 アレ、と差された晴安は、襖をあけて、銃夜をしっかりと目を合わせた。


「よろしゅうな、銃夜。僕は安倍晴安。さっきは怖がらせてごめんなぁ。仲直りしよな」


 銃夜の目の前で胡坐をかいて、目線を揃えると、晴安は手を顎下から銃夜に向けて差し出す。鼻の前まで来たそれを、銃夜は嗅ぎ、危険がないとわかったのか、粥で濡れた顔を擦り付けた。

 一つ一つの動作が獣のような銃夜だが、扇羽に握らされた匙だけは絶対に離さず、床や卓袱台に置くこともない。何処か猫らしく、犬らしくもあり、鼠らしくもある。極限を生きた人間とは皆こうなのだろうかと考えてしまうが、晴安でもあそこまで怯える子供と対面したことはない。それは普通なら死んでいるような扱いを受けている子供が、そもそも生きていることがないということだろう。それでもこの子は生きていた。そして自分達に怯えていた。

 なのに、扇羽という少年に、急に心開いた理由がよくわからない。どちらかと言えば、扇羽は、晴安と似たような環境で生きていた子供である。もしも銃夜が、感覚で生きていたなら、生贄にされるという恐怖があったのなら、扇羽にも近寄らないと思っていた。


「……眠いんか?」


 考えごとをしている晴安が、ふと、自分の指を握っていた銃夜を見てそう言う。うつらうつらとして、必死に目を覚まそうとしている銃夜を見て、そう思った。


「寝る前に風呂に入れたほうが、発疹が出ないと思います。俺が入れるんで、風呂借りても良いですか?」


 扇羽はそう言うと、銃夜を立たせようとするが、それを野菊が阻止する。


「いや、扇羽。アンタは話がある。そこ座ってな。お晴ちゃん、こういう子のお風呂の入れ方のメモあげるから、その方法で入れて。暴れたらすぐに誰か呼んで」

「はい。じゃあ銃夜君、行こか」


 意識の薄い銃夜の手を引いて、晴が風呂場に歩いていく。その歩みはゆっくりで、十分に銃夜が歩きやすい速さであった。立ち上がった銃夜の小柄さを見つめて、晴安と扇羽、野菊だけがそこに残る。


「さて、扇羽、アンタ、一体あの子になにしたの」


 野菊の言葉に、扇羽は体の緊張をほぐして、だらけながら謳った。


「別に、近所の裏路地で見つけたから、抱きかかえてここに連れてきただけ。病院に連れてったら面倒くさそうだったし、銃夜については千宮の方で話題になってたし」


 扇羽は前髪を邪魔そうにかき上げて、その目、重瞳の金を見せつけた。


「千宮で?」


 晴安が、訝しげに尋ね返す。扇羽は溜息を吐いて、また返した。


「鋸身屋の次男に言われて、アンタらも銃夜を預かるんだろうけどさ、アイツ、銃夜を百子様に献上する気だよ。で、百子様の方も、それに乗り気だ。何せ、最近はミシャクジサマが子供に手を出し始めて、異界まで発生させる始末だ。それを抑える生贄に、銃夜を使うつもりらしい」


 饒舌になる扇羽に、野菊は手で制止を見せる。野菊のグッと考えた顔は、一種の鬼の形相だった。


「それは本当だね?」


 野菊の問いに、扇羽は頷く。


「選定の、樒家の一人として、俺は嘘を吐かないし、今回の、百子様の暴走状態については、本気で拙いと思ってる。それに加えて鋸身屋だ。性質がどう聞いても小物だけど、本当に銃夜がどうなろうが良いと思ってやがる」


 毒花の者共、その一派である樒家には、老若男女問わず、様々な者達が仕事をしている。その中には、宮家の様子を探る選定もおり、彼らは守護者や従者としてだけが仕事ではない。だが、仕える者として、主人を決め、命を賭して守る守護者は、彼らにとって花形であることに間違いはない。


「そのうち、樒家の上の方にも命令が来ると思う。安部家にたっぷり銃夜を肥えさせて、贄に捧げる算段だ。ここは樒家と繋がりが強い。準備が来た時の拉致役に野菊姐とか呼ばれると思うよ」


 くぁっと、扇羽は欠伸を欠いて、晴安を睨む。その間に、何か不思議な空気が流れて、もう一度、扇羽は口を開いた。


「これについては俺も樒家全体に言っておくよ。ちゃんと、しきみ扇羽せんばとして、責任を持つ」


 野菊が、それがいい、と、頭を抱えて扇羽を見た。


「……でも、それは千宮のことについてだけだ。銃夜についてはこれ以上肩入れしない。守護者でもないのに、守ろうとしない。アンタにその責務は無い。あるのはこの安倍晴安だけだ。勝手に他人の責務を奪うな。良いね?」


 睨む野菊に、扇羽は一瞬だけ驚いて、目を反らし、わかったとだけ呟いた。


「それに、生贄を捧げられて強くなったからと言って、それは腹の中の時の話だ。罪があるのはの親共だよ。扇羽は両親に、晴安は父親に罪がある」


 野菊は晴安の方も睨んで、話を続けた。その表情は、少々、悲しみや憂いが含まれている。


「子供のアンタらが償うもんじゃない。どっちにしたって、今日会ったばかりの子供を、ボロボロだからって、身を挺して守ろうとなんてするな」


 祈るような言葉が、野菊から零れて、夜風に渡った。


 そんなことを話している間に、晴に湯をかけられて、体を震わせて体の湯を弾いた銃夜は、突然湯をかけられた。その驚きと共に、初めての暖かな湯舟に飛び込んで、本日最後の悲しそうな叫び声をあげた。

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