上争

 安倍邸にて、いい年の大人達と、一人の少年が一種の乱闘を繰り広げる一方で、白露神社では、百子がまた眉間に皺を寄せて、男やら女やらを睨みつけていた。否、睨んでいるのではなく、単純に、本人が困っているときの癖なのである。それを知っている女中たちは、彼女らの居ぬ厨房で、さてお疲れな我らが女主人に、どんな茶を通せばいいかだとか、茶菓子は疲れが取れそうな甘いものが良いかだとか、そんなことを議論していた。それをよそに、百子は更に、自分の目の前で進まぬ、自分が起こした議論を睨みつける。


「……調査結果は、それ以上ないのですか?」


 百子が、ある一人の男にそう問うと、男は身震いして、重々しく口を開いた。


「あ、はい。何分、相手は文献も少ない、ここ最近まで封じられていた神ですから……それに、唯一対抗出来た方法についても、宮家のものではなく、我々では使えない、魔法というやつでしたので、それ以上は我々には……」


 男が書類を見ながらそう言い、再度百子に目線を合わせると、百子のその、どす黒い怒りのような、苛立ちの具現のような表情を目にする。抑えきれなかった、ひっ、という声が、百子の耳に入り、舌打ちを促す。


「何のために我々が魔女を研究し始めているのか、貴方にはそれがわからないようですね」


 一呼吸置いて、座っていた百子が男に近寄る。


「宮家の呪術では足りえぬ部分を、魔女共の魔法でどうにかなると、豊宮とよみや家とかいう雑種共が言い、それを貴方達支族が鵜呑みにした。それが始まり。だから私はその研究の為に資金を与えたはずです。人材を与えたはずです。わかりますね?」


 瞬き一つしない百子の目線を、遮れないその目線を、男は生唾と共に飲み込んだ。


「私が出した分だけ、私に成果を戻しなさい。宮家では魔法が使えないことがわかりました? 知りませんよ、そんなの。使えるようにしてから報告してください」


 本人も分かっている。これは愚痴だ。今の議論に関係は殆どない。それでも、八つ当たりしてやりたくなる程に、百子は苛立っている。その苛立ちを込めて、足の開きにくい着物を着こんでいるにも拘わらず、彼女は男の顔を右足で蹴りつけ、畳に伏せさせる。そのまま、男の頬を足で踏みにじった。


「……奥様。唯一の成功例である魔法が使えないならば、仕方がないじゃありませんか。いつもと違う方法が使えないなら、いつもの方法を使うしかない。そうではないでしょうか」


 ふと、男の顔を踏みつける百子の耳に、そんな言葉が入っていった。それは少年の声で、中学生か、それよりも少し下程度。しかし、声の若々しさに比例せず、その声に生気と感情は感じられない。


「……ゲン。守護者の貴方が何故ここに座っているのかしら」


 金の髪に海をはめ込んだような、青い瞳を称えて、ゲンと呼ばれた少年は、いつの間にやら百子の隣の席に座っていた。


「あの神は放っておけば、細好様を食いかねません。アレはそういう神です。細好様をお守りするなら、その脅威を排除することも考えなければならない。私が細好様の守護者であるからこそ、私はここにいます。これ以外に理由は必要ですか?」


 ゲンは殆ど正論しか言わない。合理性の塊のようなことばかりを、百子にも誰にでもぶつけてくる。ゲンは細好の守護者であり、百子の言うことを忠実に再現する道具のような存在である。

 それはその場にいる誰もが知っていた。ゲンは、現状、百子と細好が得る特の、最良を導ける。ゲンがそれしかないと言うなら、そうなのだろう。彼はそういうふうに調節された存在でもある。


「良いわ。ゲン、そのいつもの方法というのは、つまり」


 百子が言い淀む。誰も当てられたくない空気を出していた。


「生贄を神に捧げる他、あるでしょうか。特に彼の神は……ミシャクジサマは、未成年の男子を好みます。このままミシャグジサマが暴れ続ければ、あちら側が生贄を求めて、我々の家に白羽の矢を立ててくるやも知れません」


 そう、今回の議論で出ていたのは、神の起こしている災害であり、その神をどう鎮めるかである。

 その神の名をミシャグジサマ、七の大樹に宿る者、八の子に降りる者、森羅万象に現れる者。ただ何もしていない状態の彼の神は、いつ何処で何をするかもわからない、非常に謎と危険に満ちた神。しかし、彼の神は、ほんの数か月前までは、五、六〇年程前に、豊宮家の男に封じられ、眠っていた。それが、どういうわけか、最近になって暴れだしたのである。

 宮家は神をその身を賭して鎮める役を担っている。それくらいは百子も理解はしている。しかし、その危険に、自分の息子を差し出せるかと言われればそうではない。


「仕方がありません。求められる前に、こちらから生贄を差し出しましょう。そうすれば、多少は被害も抑えられる」


 さらりと、百子は言う。議会にいた全員が、百子から目を反らした。出来るだけ、自分達の家から生贄を出す危険を避けるためである。


「条件は未成年の男子。もし支族である貴方達の家から出すのであれば、それ相応の報酬を約束しましょう」


 そういえば、と言うように、百子は、先程踏みつけていた男を見た。


「貴方、息子がいましたよね。確か今度七歳になるのが一人と、五歳が一人」


 差し出せと言っているのだ。この女は。地位を考えれば適当である。先程この男は、百子を怒らせている。誰も男を助けようとはしない。自分の方に矛先が向かわないなら、それだけで万々歳だからだ。


「跡継ぎなんて、二人もいらないでしょう?」


 責め立てる百子の、不可思議な、独特の笑みに、男は黙った。それでも、庇護欲に駆られたか、当てもなく男は声を震わせる。


「も、も、申し訳ございません……どうか、どうか、それだけは、全力で調達はしますので、どうか息子達を贄にするのだけは、どうか……」


 百子の表情がピクリと動いた。


「調達。調達ですか。宛てはあるんですか? そもそも貴方の全力に私は既に期待してませんよ」


 既に買った怒りは治めること叶わず。男は周りに目を向けるが、周りもそっとそこから目線を外した。

 男が、どうしようどうしようと、微熱を感じる程に頭を動かす。


「頑張ります……」


 だから、と、男が声を出そうとした瞬間に、その後ろの障子が、ガラリと開いた。


「皆様お話し中に失礼いたします。百子様、お電話です」


 電話の子機を持って、そこには少年が突っ立っていた。少年は赤に近い茶髪で、目元が隠れる程の前髪の長さ、後ろ髪も首が隠れる程度には長い。だが、前髪は右目を隠すには不十分で、左目を隠すには十分すぎた。


 その少年の手にある受話器を黙って取り、百子は耳を傾ける。


「もしもし。どなたでしょう?」


 百子が尋ねると、受話器越しの若々しい青年の声が響いた。


『お久しぶりです百子様。俺です。鋸身屋の大宮科夜です』


 百子にはその声に聞き覚えがある。鋸身屋の科夜。その本人。つい最近、兄の縒夜が死に、鋸身屋の当主候補に繰り上がった男である。その性格は加虐的、且つ、鋸身屋という家に生まれたせいか、妙にひねくれている。


「大宮家の分家が千宮の本家に何用でしょう。私は今とても忙しいのです。意味もない電話なら切りますよ。用があるなら一〇秒で私が気になりそうなこと言ってみなさい」


 ええっ、と、科夜の演技力のない狼狽える様な声が聞こえたが、すぐにそれが笑い声になり、声が続いていく。


『百子様。今すぐに上質な生贄はご入用ではございませんか』


 受話器の向こう側の声が漏れ出ていたのだろう、百子が目の前にしていた男も、ギョッと目を丸くしている。


「続けてください」


 百子が会話の許可を出すと、科夜は饒舌に語った。


『本日、安倍家にうちで一番、魂の質が良い生贄を預けました。死ぬギリギリで運ばせてはいますが、肉体の質も良いので、多分死んでいませんし、すぐに回復して綺麗になると思います』


 フフっと、科夜の笑い声が零れる。それに百子は眉を顰めるが、反抗はしない。


『安倍家で二週間程熟成させれば、心身共に素晴らしい贄になるかと。血筋の価値は折り紙つき。一一歳の男子ですから、ミシャクジサマも大喜びすると思いますよ』


 どうです? と、科夜が笑った。その返事を、百子は考えもせずに飛びつく。


「良いでしょう。何が欲しいんですか」


 その言葉を聞いて、わざとらしく科夜は言った。


『いえいえ。俺はただ貴女の為になればと思っただけですよ。いや、まあ、丹念に育てて、すぐ失うことになる安倍の奴らの顔が見たいってのも勿論ありますがね。あぁ、それでも、それでも、俺は貴女の為に、生贄を捧げるだけですよ』


 気が狂っているようにしか思えない。それでも、百子は承諾した。


「つまりは、貴方が欲しいのは、安倍家の驚き……所謂、安直ではありますが、絶望する顔、ということで良いですね?」

『えぇ! そう思っていただいてもなんでも構いません! 言い方は悪いですが、俺にとってはゴミ処理のようなもんですしね!』

「わかりました」


 科夜の声が大きいせいか、百子は受話器を耳から離して、はあっと溜息を吐いた。通話を切ると、その受話器を持ってきた少年に手渡し、彼の目を見つめる。


扇羽せんば、安倍家に行って、その生贄の様子を見て来てください。あわよくば友達にでもおなりなさい。後で連れてくるのに便利ですからね」


 少年、扇羽の表情は、少しぎこちないが、笑顔である。


「はい。百子様」


 そうして安倍家の屋敷に駆けて行く扇羽の髪は、夕暮れの赤い空に溶け込むようで、血のように赤く、煌めいていた。

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