屋敷の畳の上、清潔な布団に横たわらせた少年の周囲に、晴安達は息も苦しく集まり、その様子を見守っていた。


 一度は薄れていた呼吸が、再度、たどたどしいがしっかりとしたものに変わった時、やっとのことで安心を得る。過度に負担をかけない程度の点滴が、痩せこけた少年の腕へと繋がっていた。


「とりあえず、これで死にはしないでしょう」


 と、と、と。と、一定のリズムを刻む心音を聞き分けて、女は言った。纏めた黒髪から零れた前髪をかき上げ、描いたように濃い眉を顰める。朱を塗ったように赤い目元の中には、衰弱しながらも生き残った銃夜が映る、金色の瞳を称える。紅差す唇を結んで、女は白衣の裾を直した。


「ほんま助かったわ、野菊のぎくはん」


 そりゃどうも、と、浅く笑う女。彼女は名をしきみ野菊のぎくと言い、毒花の者共の一派である樒家の一人である。白衣と仕事ぶりから見て取れるように、彼女は医師であり、同時に、樒の名からわかる通り、宮家に仕える人間であった。


「それなりに私も仕事はさせてもらったけど、大体はこの子の生命力が妙に高かったおかげよ」


 顔を顰め、野菊はそう言った。カルテのような、ボードの上の紙を指でなぞって語りだす。


「栄養失調に脱水、睡眠不足な状態で、意味の分からない体勢で低酸素の空間にぶち込まれて三時間。それで生きてるっていう方が不思議よ」


 確かに息をしている銃夜の胸のふくらみを見て、野菊は安心と不安を両に入れた息を、そのまま吐き出した。そして、銃夜の長くぼさぼさの、手入れの一つさえされていない髪を持ち上げて、顔と首、肩を皆に見せる。


「真新しい傷がある。でもそれも塞がりだしてる。これは流石に普通の子供ではない」


 僅かに血色もよくなりつつある銃夜の髪を元に戻すと、野菊は晴安を見た。


「この子は何? 死にそうだったから何も聞かずに治療したけど、一体何処の大宮家の子供なの?」


 瞳孔を見た時に知っているのだろう。野菊は、銃夜の黒髪と赤い瞳を差して言っている。栄養が無くなってもなお艶を出す、不自然な黒い髪と、その間に輝く赤い瞳は、大宮家の中でも特に血を色濃く持つ、本家と分家、それに近い支族にしか現れない。


「僕らもあんまり深くは聞け取らんのやけど、大宮家分家の鋸身屋のこみやの、末子らしいねん。で、も、前におうた、珠夜じゅやが末子って言われてたはずなんや」


 晴安がそう言うと、野菊は首をかしげて、その先の言葉を待った。


「けどこの子、名前は銃夜いうらしいんやけど、連れてきた従者はこの子が末子で、生死に関心はないみたいやった」


 ふうん、と、野菊が頷く。どうやら何かしらの思い当たる節があるらしい。だがそれは、晴安達も同じで、目を見合わせる。

 先に口走ったのは野菊で、その唇がゆっくりと動いた。


「生贄にするために、監禁してたのかもね。鋸身屋はそういう家よ」


 宮家に本家があるのなら、分家というものもある。支族と違い、分家はその宮家の名を名乗ることが出来る。しかし、彼らは本家と身分の違いを示すため、その役割の差を刻むため、屋号を持っていた。大宮家には三つそれがあり、金糸屋、羽賀屋、そして件の鋸身屋である。

 鋸身屋は、その身を犠牲に、神を宥める役割を持つ。本来は宮家全体がそうであるが、彼らは特に、生まれつき神に好まれる体と魂をしているらしい。そのため彼らは平均寿命が短く、二〇になる手前には、多くが生贄となって死に逝く。

 だが、だからと言って好き好んで死にに行く馬鹿は、流石の鋸身屋にもいない。死ななければ当主となって、他の誰かを生贄にする立場に立つことも叶う。ならば、自分が確実に当主になる方法を取る。そのくらい当たり前だろう。


 そのような考えが過って、晴安は一種の頭痛のようなものを感じた。


「雰囲気的な外見は似てる? 珠夜と」


 突然そう言いだす野菊に、ハッとして、見つめた。


「あ、あぁ、まあ、少しは」


 たどたどしくそう言うと、野菊は早速、溜息を吐いて、銃夜を撫でる。


「双子の弟の方か。この子。腹立つな。生贄にするにしてもちゃんと飼っとけよ。生贄にするための素材をこんなふうに扱うなんて、流石は鋸身屋としか言いようがない」


 流石、の意味を、晴安は取れなかったが、概ねそれは正論である。宮家には双子のどちらか強い方を生かすために、一三歳の時に儀式をするが、それは、どちらも健全な状態で行われるがためのものだ。そうでなくとも、子を、弟をこのように扱う家を、称賛は出来ない。


「……鋸身屋の従者と言うと、多分、ユータだと思うけど、アレを責めることはしない方がいい」


 ふと、野菊がそう続けた。


「裸女家は『冷血』を謳う毒花で、他の毒花よりも主人を殺すけど、彼らは主人を品定めしている間は、忠実にその主人の言うことを聞くの。だから多分、ユータはまだ新しい主人を品定めしているんじゃないかしら」


 アレも似たような経験してるし、と、ぽろりと零す野菊は、出していた器具を仕舞い、点滴の残量を確かめて、銃夜の様子を眺める。


「まだ暫くは目覚めないと思うけど、ここまで回復が早いなら、今日中に目が覚めると思う。多分、最初は混乱するでしょうから、目が覚める前も後も、絶対に一人にはしないで」


 野菊のその忠告を聞くと、晴安は頷いて、立ち上がる野菊を見上げた。ふと、指先がピクリと動いた銃夜に目が行き、立ち去る野菊に声をかけられなかった。


「義兄さん、野菊はんを送ってや」


 晴安がそう言うと、晴朝は、わかっていると言うように、野菊の後を追う。

 それを見送ると、晴安は骨と皮だけの皺くちゃな手を優しく両手で包み込み、反応を待った。一瞬、無表情で目を瞑っていた銃夜の頬が、動いて、綻んだ気もする。


「……お夕飯、ここで食べます?」


 自分の隣から、鈴の音のような女性の声が聞こえた。一歩下がって見ていた、妻のはるである。


「そうしよか。いつ目が覚めるかわからんし。この子のも用意しとこ。僕もこの子と同じやつ食べるわ」

「じゃあ、柔らかい御粥用意しますから」

「うん」


 再び開いた襖から流れる風は、晴安と銃夜の頬を撫でる。晴は既に厨房に向かって行って、その場には二人だけとなってしまった。

 眺めれば眺めるほど、銃夜という少年の体の異常さに気付く。発見した時は乾燥していた肌が、点滴をしてすぐの今、既にハリと艶を取り戻しつつある。代謝が良いという問題ではない。妙にバケモノ染みている。


――――強かったから、弱らせていたのか、まさか。


 嫌な想像が過る。自分より強い獣を飼う時、牙は抜く。そういうことを、晴安は幼い頃、ずっと見ていた。子供を監禁する手段は多種多様である。

 自分の父がやっていたことと、少しの共通点を銃夜に見て、晴安は心臓を掴まれたような感覚に襲われた。


「……嫌やなあ。宮家なんてなあ」


 そう呟いて、晴安は銃夜の額を撫でた。治療のために軽く拭いたが、ずっと風呂には入っていなかったのだろう、手に垢がこびりつく感触があった。それでも、晴安は銃夜に優しく触れる。


 数回手が影になって、銃夜の顔が見えなくなった後、びくりと銃夜の体が震えた。何があったのだろうと、手を引くと、ふと、赤く血のような瞳に、自分の驚いた顔が写る。


 はっきりとこちらを見つめる銃夜の目は、生気こそ無いが、しっかりとこちらを認識した。その証拠に、自分の状況を確かめるためだろうか、瞳がキョロキョロ動き、最後に、自分に繋がった管を写して止まる。


「…………」

「…………」


 時が止まったように、二人は止まったまま、黙ったままである。声を上げることも出来ずに、二人は固まった。

 銃夜が管の先を確かめたいのか、管の通っていない右手で、左の針の部分に触れた。


「あ……」


 銃夜は驚いたように、声を震わす。


「う、うぁ……ぁぁぁぁぁぁぁ……」


 声が枯れて叫びにもならず、銃夜は上半身を起こし、左腕を振り回した。


「いかん!」


 暴れる銃夜を制止しようと、晴安は動くが、小さな体がするりと動いて、ブチンと点滴を抜き、だくだくと流れる血液を振りまいた。畳や布団が汚れたのを見て、銃夜は四足歩行の獣のようになりながら、晴安と目を合わせた。


「ぅあ……あ、ぁぁ、ご……ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 酷く惨めな土下座に似た形で、銃夜は畳に伏す。血管を傷つけ左腕から流れ続ける血液を止められないように刺さる針を、銃夜は毟って取ろうとする。その間も、一心不乱に彼は狂った謝罪を続けていた。

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