蝸牛

 真っ白な鳥居に、盛大な伝統的建築を用いた拝殿と本殿を構え、白露はくろ神社は鎮座している。そこは千宮家という強大な能力者の一族、その本家一家が住む屋敷であり、彼らを守る神を祀った、神々の寝床でもある。


 そんな神守りの城に住む一家が、地域に権力を持たないはずがない。特にこの時、千宮家本家には、千宮せんのみや細好ささらえという僅か齢が八の少年が、亡くなった祖父の跡継ぎとして当主の席に、ちょこんと座っていたのである。

 幼子の持てる権力などたかが知れている。それ故に、実権を握るのは、その母である。千宮せんのみや百子ももこ。彼女は息子に代わって千宮という一族を仕切り、白露神社周辺一帯の能力者を平伏させるだけの地位に立っていた。故に、彼女は冷徹で気高い、白き女王の如く扱われている。


 しかしながら、今、その氷の如き女王が、妙に疲れた顔をして、溜め息ばかり吐きながら、一人の男を見つめているのである。その男は、瞳と真意の見えぬ糸目を携えて、にっこりと笑っている。体に常に纏っている男ののらりくらりとした雰囲気は、そのまま、彼の会話の交わし方に直結している。


「……晴安せいあん殿。真面目に話しているのですよ、私は」


 百子の凛とした、弓のように張った声が鳴る。だが、男、晴安は、少し困ったような顔を返して、真正面で目を反らしてくれない百子に言った。


「いやいや。僕も真面目に言うとるんですよ。この安倍あべの晴安せいあん、大宮家の端くれに身を置く者として、適当なことは言いまへん」


 にこにことしている晴安に、しびれを切らした百子が、盛大な溜息を吐いて、声を少し上げて唸る。


「では何故断るんですか。貴方の家から一人、仕え人を出せば良い事。何も安倍家の当主である貴方に、細好の守護者になれとは言っていないのですよ」


 仕え人というのは、千宮家のような『宮家』というやつの、特に地位の高い人間に仕える人々のことを指す。その中でも特に未成年を命を捨てて守るのが、守護者という者共である。


「失礼。僕から言わせれば、百子様、貴女が些か焦りすぎでは。貴女と細好様は千宮家の大黒柱。けど、僕は『大宮家』の支族。同じ宮家でも一族としては別や。もし僕が安倍家から細好様の仕え人を出してみ。僕は後ろから刺されてまう」


 細好と百子がいる千宮家と、安倍晴安が当主として構える安倍家が属する大宮家は、どちらも同じく『宮家』という能力者を束ねる七つの一族のうちの一つである。特に安倍家は、その大宮家の、支族、大宮の名すら名乗れぬ一家。立場とすれば、目の前にいる百子など、晴安にとっては雲の上の人位の差があるが、命令を逆らって恐ろしいのは、他家よりも身内である。


「それに他家の支族なんて使わんでも、毒花達がいるでしょう。彼らは仕え人としては最高。貴女の手腕で使えば、毒にもならずに薬となる」


 晴安はそう言って笑い、部屋から見える庭の樒の木を指さす。それを見た百子は、苦虫潰したような顔をしている。


 宮家と言う七つの権力を持つ一族があるのなら、その権力を暴走させないための存在がいるのは、当たり前のことだろう。それこそが『毒花の者共』、宮家にとっての毒であり薬。彼らは宮家の仕え人として実に完璧に仕事をこなす。しかし彼らは主人が人の道を反れるなら、当たり前に主人を殺す。それが彼らの生き方である。


 百子は出来るだけ使いたくないのだろう。当たり前である。我が子に薬になるかわからない毒を飲ませる母親が、何処にいるだろう。それは、晴安にも理解は出来ている。それでも、自分が力を貸してやって、得られる利益は高が知れている。寧ろ、危険の方が多いだろう。どうせ欲しがる人材は、細好と歳の近い子供である。訓練を積んでいない子供ほど、実戦に出て死ぬ確率は高い。


「僕は僕らの平穏が欲しいだけ。貴女に少しだけいじめられて回避できる危険があるなら、僕は喜んで貴女に跪いて蹴られましょう」


 晴安が笑った。百子は鼻で笑って眉間に皺を寄せる。


「嫌な人。私がそんな無粋なことはしないと知っているくせに」


 百子の言葉が脳に痛む。どうせ、蹴りはせずともそれ相応の罰は押し付けてくるのだろう。

 晴安は、百子が本来はもっと聡明であることを知っていた。今は、一人息子のことで頭がいっぱいになっているのだろうと、過剰なほど細好を守ろうとするその姿に、推測を立てている。彼女のその暴走する愛情が、誰かへの憎しみとなっているならば、それが彼女の実の息子に行かないうちに、自分が受け止めるのも、良い。


「では、僕は帰らせてもらいますよ。ちょっとうちの分家の方から命令が来とるんで。そっちの方を今日は優先させてください」


 ぐっと足に力を入れて、睨む百子の視界から消える。床に長い時間押しつぶされていた着物の裾は、少し皺になってしまった。血管の縮んでいた足によろめいて、晴安は白露神社を後にした。


 歩いて少し、大通りに出ると、静かな聖域の雰囲気は損なわれ、ただの都会と化している。それでも景観がある程度調和しているのは、高度経済成長期に、日本家屋の間間に灰色のコンクリートのビルが建ち、市民の多くが景観を損なうと反対運動をしたからである。

 そんな、古今が織りなす街の中、晴安は見慣れたスーツの外国人と、一台の乗用車を見つけて、そこに駆け寄った。


「すまんな、義兄さん。遅れてしもた」


 晴安がそう話しかけた外国人は、少し困った表情をしながらも、車の助手席を開けて誘導する。


「鋸身屋の従者はもう来てる。が、子供の方が見当たらないらしい。とりあえず、茶を飲ませて待たせてるから、早く乗ってくれ」


 その外国人は、晴安が乗り込んだことを確認すると、キーを回して発進した。


「義兄さんがスーツいうんは久々やな」


 ふと、用意されていた缶の緑茶を一口飲んで、晴安が言った。


「車を運転するのに着物はあまりよくないからな」


 普段は着物を着ているこの外国人男性は、名を安倍あべの晴朝はれともという。明るい茶髪と一九〇を超える身長、その顔立ちは、誰がどう見ても日本人のそれではないが、彼は安倍家の人間であり、名前に多国籍なアクセントは入らない。そして、幼いころから晴安に『義兄さん』と呼ばれるくらいには、この生活に浸透している。


「機械音痴なのに車は運転できるんよなあ」


 おちゃらける晴安に、晴朝は、やはり少し困ったような顔をして、それでも少しの笑顔を称えた。


「必要に駆られてだ。良いから、もう着くぞ。急げ。こっちは支族。あっちは分家。しかも同じ大宮の中の家。千宮家よりも後が怖い」


 そう晴朝に言われた晴安は缶の中身を急いで飲み干し、車が停止したと同時に扉を開けた。着慣れた着物であることが幸いし、摺り足で勢いよく屋敷の玄関に歩いて行った。

 ガラリと玄関の引き戸を開けると、そこには知らない大人の革靴と、旅行用のスーツケースが置かれており、あぁ、確かに待たせていると直感できる。


「すんまへん! 千宮の方にも呼ばれてしもて! 堪忍!」


 客間の襖を勢いよく開けて、晴安は、正座でまだ温かい茶を飲む男と目が合った。男は大学生か、二〇代になったばかりの印象を受ける若者で、ポカンと開けたその口から見える歯は、鮫のように鋭い。中途半端に伸ばした黒髪を束ねて、男はこちらを変わらず見ている。フッと、頭の中で整理がついたか、男が笑顔を見せて、口を動かした。


「いえ。特にお話があるわけでもないので。安倍家の責任者である貴方と、事の確認が出来ればそれで良かったので。急いでもいませんのでお気になさらず」


 男はそう笑って、細めた目を晴安に向ける。一瞬、背筋が凍った。何処かこいつはおかしい。そう思わせるには十分である。


「申し遅れました。俺は裸女祐多。大宮分家、鋸身屋の次男科夜様の従者です。本日はお預かりいただくモノを持ってまいりました」


 そう言って、一口茶を啜った裸女は、またにんまりと笑う。


「事前にお知らせしていた通り、貴方達に預かって頂くのは、鋸身屋の末子、銃夜つつやという少年です。科夜様によりますと、それについては、とりあえず預かっていてほしいとのことでして」


 それで、こちらまで運んできた次第です。と、裸女は付け足すように呟く。


「……それはそれは。ご足労頂き恐縮ですわ。で、件の少年は、今どこに」


 裸女の正面に座ろうとする晴安に、彼は口を見せて笑った。


「主人に『切符代は一人分だけだ』と言われまして。いやあ、苦労しました」


 一口、また、裸女は茶を飲み、飲み干した茶碗を卓袱台に置いた。裸女の口は動かない。だが、その先を察する事は出来る。


 嫌な予感と共に、晴安は落ち着く暇もなくその部屋を飛び出す。その足の先は、玄関、見知らぬスーツケースの元。立ててあったケースを慎重に横に倒して、鍵がかかっていないことを幸いに、その中身を外の空気に触れさせる。

 むわりと獣の臭いが立ち込めた。車を車庫に入れ終わったのだろう晴朝が、その獣臭の現況を共に見て、唖然としている。


「では俺は帰るので。そのケースはお好きにどうぞ」


 裸女がそう言って、何事もなかったように革靴を履いて外に出る。それに声をかけられないほど、事態は緊急性を持っていた。


 ケースの中にいた少年、骨と皮だけになり、今にも息絶えそうな少年を、晴安は銃夜であると確信して、抱きかかえる。


――――眩しい。もっと寝ていたい。

 自分にかけられる声も何もわからずに、銃夜は、そのまま、残り少なかった意識を、自分を包む温もりに預けた。

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