31 とんだ目論見

 八方塞がりの状況に、誰一人として声を上げる者は居なかった。

 マリンカの銃口がチルシィを狙い、マーシャの銃口がマリンカを狙い、チルシィはパッチマンを庇うために微動だりしない。崩れる寸前の積み木のような状況が、ぐらぐらと揺れながら彼女らの命を紙一重で支えている。

 事が終わるのは瞬き程度の時間で十分だった。それに比べて、十秒、二十秒と積み重ねられる沈黙は、あまりにも長く、永遠のようにすら思われた。


「……ぴ、ピピット族の人」


 恐る恐る口を開いたのは、マーシャだった。


「マリンカ!」


 マリンカは吐き捨てるように名乗った。


「……マリンカと呼ぶでありんす。あんたの口から“ピピット族”と聞くと、侮蔑に感じる」


 マリンカはチルシィから視線を外さず、マーシャにそう言った。


「マリンカさん。お願いがあります。私の体を使って下さい……!」


 マーシャの言葉は唐突だった。激昂していたマリンカも、ほんの少し眉を潜めて彼女を注視する。


「人の魂を移し替える事が出来るんですよね? そうやって1500年前からクークスやキャンディは現代まで生き延びたって、そうパッチマンは言ってましたよね?

 だったら……私の体にあなたの魂を入れればいい! 私はこの体をあなたに差し上げます……! あなたは純血人に生まれ変わる事が出来るんです! 過去に受けた仕打ちや傷は言えないかも知れませんが、少なくとも、これからのあなたの人生は平穏を……」


「マーシャ! 馬鹿な事を言うな!」


 チルシィはマーシャを怒鳴りつける。それは、マーシャの二つの愚かさに対しての怒声だった。一つは身勝手に命を捨てようとした事。もう一つはマリンカの怒りに火を注いだ事。

 案の定、マリンカは氷のように冷たい視線をマーシャに向けており、提案を飲むも飲まないも無い様子だった。


「……本当に、心の底から亜人を舐めてる訳でありんしょうな。

 あっしらが自分たちの種族に誇りが無いとでも? 今の発言はピピット族に対する侮辱って事に気づかんでありんすか?」


 マーシャの頬に一筋の汗が流れた。


「た、他意は無いんです! 私はただ……この状況をなんとかしたくて……副団長を助……」


「知るかボケッ!」


 マリンカは叫んだ。


「ただ副団長を助けたい!? 最後ぐらい役に立ちたい!? 自分の罪を償いたい!? それが何だってんです! あんたの都合なんざ知ったこっちゃないでありんすよ!」


 きいきいと甲高い声で怒鳴り散らすマリンカ。

 しかし、今度の失言は彼女の方だった。


「……“罪”?」


 マリンカの言葉の中に含まれる違和感。静まり返る一同。


「私の“罪”って……なんであなたがそれを知ってるんですか?」


 嘆願のために圧し殺していた感情をじわじわと露見させながら、マーシャは憎々しげに言い返した。


「私が何の罪を負ってると思ったんですか? この騎士団のチュニックが囚人服にでも見えるんですか?

 ……知ってたんですか? あなたは、私のやった事を。今ここで出会ったばかりのあなたが、どうして私の“罪”を知ってるんですか?」


 あ。

 と、マリンカは思った。認めざるを得ない失敗は、彼女をほんの一瞬、完全に無防備にさせる。

 そもそも、彼女はずっと失敗していた。彼女が彼女の意志を徹底するなら、パッチマンに銃口を突きつけた時点で、すぐさま引き金を引くべきだった。

 しかし、彼女は迷っていた。『クークスとキャンディ以外の英雄は、自身の世界に帰った』というパッチマンの情報が、彼女の中で魚の骨のように引っかかっていたのだ。

 ――だったら、ヒューは? クークスの仲間達が行使したであろう術式により、彼もまた自身の世界に帰れるのなら……このパッチマンこそがヒューランが自分の世界に帰る最後のチャンス。なのにここで奴を殺してしまうのは、果たして正しい事なのだろうか? ピピット族の積年の恨みを晴らし、ヒューの正しき未来を犠牲にする事が、本当に“誇り高い”行動と言えるのだろうか? と。

 彼女の迷いは動揺となり、引き金にかけた指を固まらせた。昂ぶった感情と相まって、知るはずの無いマーシャの“罪”に言及してしまったのは、彼女らしからぬ失態だった。夢中での予期せぬ揚げ足取りに、ついに彼女は真っ白になる。

 ほんの一秒か、二秒か。しかし、その間マリンカは明らかに無防備だった。注意力を失った人間の銃を叩き落とす事など、剣精チルシィにとって造作もない事である。

 乾いた金属音、床に転がる拳銃。マリンカは慌ててそれを拾おうとするが、チルシィの剣はとっくにマリンカの首元に添えられていた。


「動かないで頂きたい」


 チルシィは言った。


「マーシャ、パッチマンを狙え。怪しい動きをするなら彼の残った方の手も潰せ。任せるぞ」


 チルシィの命令に従い、マーシャは拳銃でパッチマンの腕を狙った。パッチマンはうんざりした顔で『守ったり狙ったり、忙しいな……』と、ぼやくのだった。


「マリンカ。君が何故マーシャの罪を知っているのか聞かせて貰おうか。我々の事を知っていたのか? どうして? どんな目論見でここに来たんだ?

 ……君は我々に一体何をしたんだ? こちらには一人死人が出ている。重傷を負った者もいる。事と次第によっては……」


「あんたらの事は何も知らんです」


 マリンカはとりあえず、すっとぼけた。


「そうか。それじゃあ、どうしてマーシャの“罪”の事を?」


 マリンカがマーシャに向かって指を差した。


「罪の告白は、こいつが勝手にやった事でありんす。そこの眼鏡が」


「言ってないし!」


 マーシャは銃口をパッチマンに向けながら、マリンカに向かって反論した。


「いや、言った」


「言ってない! 言ってませんよ! ね、副団長!?」


 マーシャは分かりきった答えをチルシィに求めた。それは無意味なやり取りで、マリンカの言葉は無駄な抵抗以外の何物でもなかった。

 実際のところ、マリンカには何の打算も無い。しらばっくれて、力技でこの場を逃げ出すしか無いと彼女は思っている。昂ぶった感情が理性を鈍らせている今、マリンカが取れる行動はそれぐらいしかなかった。あるいは、冷静になる時間が必要だったのかもしれない。マリンカは混乱し、疲弊していた。自身の巻き込まれた運命の正体や、未知の体験、積み重なる死体の数々に。

 しかし……事態は更に混沌を極める。チルシィの反応は、マリンカにも、マーシャにも、到底予想出来るものではなかった。


「え? 何が?」


 きょとん、とするチルシィの顔。

 それは明らかに彼女が今作るべきではない表情で、予期せぬ副団長の反応に、ついついマーシャもきょとんとしてしまう。


「何が? ……って、副団長。私は罪の告白なんてしてませんよね? って訊いたんです」


 マーシャは重ねて訊ねるが、チルシィは眉を潜めるばかり。


「……してない……のかな」


「え? ええ!?」


 マーシャは自分の耳を疑った。


「え? あ、いや、してないんだろうな。お前がそう言うのなら、多分……」


 チルシィは自信なさげにそう言った。


「何を仰るんですか! 誓ってしてないです! この場にずっと居ましたよね!? 急にどうしたんですか、チルシィ副団長!」


 マーシャの言葉に、チルシィは『……そうだよな』と呟く。しかし、その言葉は不安げで、少しも合点がいかない様子。


「……もちろん私は、お前を信じる。信じるが……ところで私は何故、このピピット族の少女に剣を向けているんだ?

 と言うか、ここはどこだ? 私は……どうして……ここで何をやってるんだ?

 ……君は? 一体何者だ? その手に持っているものは何だ? 私は一体……誰なんだ? あれ……?」


 見る見る内に正気は失われ、彼女の言動は要領を得なくなっていく。まるで彼女の中から彼女が抜け落ちていくように。

 マーシャはもちろん、マリンカでさえも戸惑いを隠せなかった。チルシィの中で何かが起こり、混迷を極めた状況は更に悪化の一途を辿るのだった。

 しかも、事態はそれだけに留まらなかった。


「どうしたんですか!? どうしたんです、チルシィ副団長! しっかりしてくださ……」


 なんの前触れもなく、マーシャの言葉を遮るように、ぞぶり、という音がした。

 チルシィでも、マリンカでも、マーシャでも無い。三人には何が起きたのか分からず、ただ嫌な予感だけが瞬時に胸に去来する。いつでも、すぐにでも、誰でもすぐに死んでしまう状況で、彼女らははっと息を飲むのだった。

 ジキタリスだ。瀕死だったジキタリスが、いつの間にやら目を覚まし、パッチマンの首元に剣を突き立てていた。

 パッチマンは悲痛な表情のままその場に昏倒した。流れ出る血液の量は明らかに致命的で、彼の死は決して避けられないものだった。

 猛烈な勢いで突き進む状況に、マリンカ達の理解は当然追いつかない。

 言動が支離滅裂なチルシィ。

 亡者のように立ち上がるジキタリス。

 虫ケラのように殺されるパッチマン。

 凍りついた空気に包みこまれ、唖然の表情のまま彼女たちは微動だに出来なかった。


「……なんでありんす? この、今の状況は……!?」


 と、口を開くマリンカ。それが彼女の持ちうる精一杯の言葉で、誰しもが同じ意見だった。

 ――唯一人、ジキタリスを除いて。

 ジキタリスはフラフラとしゃがみ込み、パッチマンの手元にあった一冊の本を持ち上げると、どしん、と机に置いた。


「キャン……ディ……」


 ジキタリスは掠れた声で、呻くようにそう言った。


「……き、キャンディ・マニュスクリプト……7番……『知覚体験及び記憶の初期化書』……!

 パッチマンが床に……血の魔法陣を書い……ふ、副団長の……記憶が消され……消された……副団長が……真っ白になった……!」


 息も絶え絶えそう言い残すと、ジキタリスはその場にばったりと倒れ込んだ。

 一瞬の狼狽の後、はっとするマーシャとマリンカ。

 幽鬼のように立ち尽くすチルシィを見て、二人はほぼ同時にこう思った。


(……生き残った方が、チルシィの“親鳥”になる!)


 二人は慌てて動き出す。

 マリンカは床を見回し、すぐそばにあった拳銃を拾い上げる。

 が、慌て過ぎた為に狂った手元は、勢い余って拳銃を遠くに転がしてしまう。拳銃は慣性に従って床を滑っていき、ミュルの足元でピタリと止まった。

 悠然と、しかし早歩きで歩を進めるマーシャ。

 彼女はマリンカに近づくと、相手の小さな頭に拳銃を押し付け、冷静に、覚悟と殺意を持って引き金を引いた。

 かちん、という音がホールに響き渡る。


「はうあっ!」


 マリンカが叫ぶ。彼女はうっかり小便を漏らすところだったし、少しぐらい漏らしたかもしれない。

 しかし、少なくとも脳みそは漏らしていない。


「……弾切れ!?」


 マーシャが驚嘆した直後、マリンカの蹴りが彼女のどてっ腹にめり込んだ。マーシャは眼鏡をふき飛ばしながらその場に倒れ込む。

 続けざま、拳銃を拾い直そうとマリンカが立ち上がった瞬間……今度はマリンカが前のめりに倒れ込み、顔面から地面に激突した。マーシャが苦痛を堪えながら、必死にマリンカの両足を掴んだのだった。

 マリンカはマーシャの顔面を二度、三度と蹴り飛ばす。

 が、彼女は決してピピット族の足を離そうとはしない。


「……クソ! クソ眼鏡っ! 離せ! ……ぐぬぬっ……!

 け、蹴ってくれ! ミュル! 足元のそれをこっちに蹴るでありんす!」


 ミュルはちらりと自身の足元を見た。

 しかし、視界に入る“それ”が何なのか、当然彼女には理解出来ない。


「蹴るでありんす! その拳銃を! 早く! 早く早く早……ぶごっ!」


 マーシャの拳がマリンカの後頭部に命中し、マリンカは再び顔面を地面に打ち付けた。

 マーシャはポケットから小さなナイフを取り出す。それはただの果物ナイフだが、殺意を持てば十分に人を殺せるものだった。

 マリンカは体を仰向けに翻した。振り下ろされるナイフを食い止めるため、マーシャの腕を慌てて掴み上げる。

 負けじとマウントを取り、首元に刃を突き立てようとするマーシャ。

 マリンカは必死に抵抗するが、純血人とピピット族の間には大人と子供ぐらいの力の差があるのだった。

 じりじりとナイフは沈んでいき、マリンカの抵抗虚しく、切っ先が彼女の喉元に届こうとしたその時……。


「た……」


 マリンカはちらりとチルシィの方を見た。


「……たたた、助けて! 殺人鬼だ! 人殺し! 殺される〜!」


 わざとらしい演技に、マーシャははっとした。

 彼女は瞬時にマリンカの目論見を見破る。『わざとらしく叫んで、副団長に私が殺人鬼だと刷り込もうとしている! コイツは副団長の“親鳥”になって、助けて貰おうとしている! あろう事か、私と副団長を敵対させようとしている!』と。

 彼女は慌ててチルシィの方を振り返る。

 しかし、視界に入ったのは、ピクリとも動かずその場に倒れ込む副団長の姿だった。目を覚ます素振りも無いし、マリンカの声なんて聞こえるはずも無い。

 刹那、マーシャは悪魔のように破顔した。


「あひゃ!」


 心の底から湧き出る、敗者をあざ笑う感情。それは敗者の側で居ることが多い彼女にとって、人生で初めての笑い方だった。


「あっひゃひゃー! 残念! 残念ね、ピピット族! 副団長は聞いてない! あなたの目論見は完全に外れたわ!」


 勝ち誇ったマーシャが振り返った瞬間……マリンカの握る拳銃が、マーシャの眉間に突きつけられていた。


「そうでありんすかね?」


 マーシャの顔面からさっと血の気が引く。

 勝利の真っ白な高揚感が、オセロのように敗北の黒へと塗り替えられていく。

 マリンカは副団長なんて、どうでも良かった。

 全てはマーシャの油断を誘うための虚言だった。

 彼女は全てを終わらせるべく、今度こそ躊躇無く引き金を引く。

 ずどん、という音が耳を劈いた。

 頭の中身をぶちまけて、仰け反り、脱力し、マーシャは驚くべきスピードで死んだ。


「……はあ……はあ……」


 息を切らしながら、マリンカはミュルの方を振り返る。打ち付けた顔面からは、鼻血がダラダラと流れ落ちていた。


「はあ……ぜえ……ぐ……グッジョブ、ミュル。いいタイミングで銃を蹴ってくれて……助かったでありんす」


 マリンカが親指を立てると、トント族の少女も同じように真似をした。

 彼女はマリンカの言う通りに銃を蹴った。その行為に何ら意味は無い。いつものように、ただそう言われてそうしただけ。

 しかし、そこらに転がる動かなくなった人間たちのように、マリンカもそうなってしまうのはあまり嬉しくない。ミュルはそんな風に感じていたし、マーシャとマリンカが争っている時は、今にもそうなってしまいそうな気がした。そして、そうならなかった事に対してほんの少し安心していた。


 マリンカのあまりにも酷い一日は、ひとまず決着した。

 彼女がヒューの待つ宿泊先にたどり着いた時、頭の中には煮詰まった混乱がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てており、まともに口も利けなかった。ヒューの言葉なんて一言も聞こえなかった。

 何も考えられず、何も喋らず、彼女はベッドに深々と沈み込むのだった。

 ……昏倒したチルシィと全ての“キャンディ・マニュスクリプト”を、ちゃっかりと回収して。


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プロヒビティッド849 チェクメイト @kiiichi

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