30 とんだディストピア

 パッチマンは痛みの収まりきらない片腕を抑え、深く深く息を吸い込んだ。自身の体に波風一つ立てぬよう、慎重に、ゆっくりと、肺に貯めた空気を吐き出す。

 鎮痛ポーションは彼の意識を朦朧とさせていたが、もしうっかり眠りにでもつこうものなら、すぐに三人の誰かに叩き起こされるだろう。頬を張られ、頭を小突かれ、それでも起きなければ失った片腕を踏みつけられ、激痛が踵を返して戻ってくる。彼は必死に頭を振って、正気を保ち続けた。

 チルシィは経年によって汚れたテーブルを軽く払って、そこに腰掛けていた。体はまだ動くが、若干の軋みを感じる事もあった。このまま徐々に死体へと戻るのか、あるいは操り人形の糸が切れたようにあっという間にそうなるのか、少なくともそう長くないであろう結末は近づいている。ただ、ジキタリスやマーシャを“クロエのような目に遭わせる訳にはいかない”という一心で、彼女はそこに居た。

 マーシャは部屋の隅に立ったまま、何があっても対応出来るよう、出来るだけ俯瞰で全員を見張っていた。自分のトロ臭さは決して戦いの渦中で通用するものではないと自覚し、彼女はあくまでチルシィ副団長のフォローに徹すると決めたのだった。


(……パッチマンもそうだけど、このピピット族だって油断出来ない)


 マーシャはそう考える。彼女はあまり利口では無いが、勘が良かった。

 当のマリンカは比較的呑気に振舞っていた。手に取った拳銃をまじまじと眺め、コンパクトな殺人兵器の仕組みについて理解を努める。しかし、さっぱり分からず首を傾げるばかり。更に、そんな様子をじっと眺めるミュルは、マリンカが首を傾げるのと同時に自分も首を傾げた。もちろん、その行為に何の意味も無い。


「撃鉄を起こすんだ」


 と、パッチマンは言った。玩具に夢中になっていたマリンカは、一瞬間を置いてから顔を上げた。


「あん?」


「銃の背中に駆動する部品があるだろう。撃鉄を起こすとシリンダーが回る。それで弾の雷管をハンマーが叩く準備が行われるんだ。その状態で輪っかの中の引き金を引けば……」


 ずどん、と大きな音が部屋に響き、その場の全員が体をビクつかせた。幸い銃口は明後日の方向を向いており、誰にも被害は無かった。


「……なるほど」


 と、マリンカは言った。マーシャは目を丸くし、チルシィも驚きを隠せない。ミュルは無表情のままだが、誰にも聞こえないほどか細い声で『ずどん』と呟いた。ジキタリスはまだ失神していた。

 そして、ポポーニャ。彼女はもはや、到底生きているとは思えなかった。バケツをぶちまけたような夥しい血溜まりの中、彼女はぴくりとも動かなくなっていた。

 マリンカはポポーニャを救うべきか悩んだものの、結局彼女に手を差し伸べる事はしなかった。ポポーニャの知り合いだと分かれば、クロエを殺した犯人の一人だと思われかねないし、実際にその通りなのだから。チルシィ(と、マーシャ)を敵に回せば、状況はすこぶる悪くなるだろう。

 全てが終わって暇が出来れば墓ぐらいは作ってやる、とマリンカは思った。彼女を仲間だと思った事は無いが、少々罰が悪いのもまた事実だった。


「……どうしてこんな武器がこの世にありんすかね」


 と、マリンカは拳銃を眺めながらそう呟いた。答えるのはもちろん、パッチマンの役目だ。


「僕の居た世界では当たり前の武器だ。むしろ、それは何世代も昔の原始的なタイプで、この世界で作れるのはそれが限界だったのさ。

 エーテル……この世界ではマナという呼び方をしているが、世界によってエーテルの濃度は違う。エーテルが濃い世界ほど科学的な発達は遅いんだ。科学なんて必要ないからな。だから、この世界では銃は発明されない。もしくは、なかなか発明されないだろう。

 と言っても、僕達の住んでいた世界――“統一世界”と呼ばれている――もかなりエーテル濃度の高い場所だったが、そもそも、この銃という武器は統一世界で発明された物では無いんだ。銃はもっと極端にエーテルの薄い世界で発明されたもので、僕たちの祖先がそれを発見したんだ」


「銃がある世界、ない世界。エーテルの濃い世界、薄い世界。どうして貴様は他の世界の事情を知ってるんだ? 貴様の世界の……その、統一世界の人間は、色んな世界を行ったり来たり出来るのか?」


 チルシィはひとまず、彼の話に合わせることにした。馬鹿馬鹿しい話だが、この“銃”という武器がある以上、世迷い言と断ずる事は出来ない。


「結論から言えば可能だ。さっきも言った通り統一世界のエーテルは非常に濃く、おまけに物質に溶けやすいという特性があった。エーテルで描く図形や文字は魔法としての文脈を湛え、工夫により更に高度な術式を行使する事が可能になった。

 確か、五千年ほど前だな。高次魔法を使って他の世界に干渉出来たのは」


「五千年……!」


 マーシャは思わず嘆息した。


「五千年前。まず他の世界の観察が出来た。僕達はそこで科学の存在を知り、ありとあらゆる文明の技術を盗んだ。ほんの数百年で僕達の技術は爆発的に進歩し、他の世界と比べても最高水準の魔法と科学を併せ持つ世界となった。他の世界はそんな比較対象がある事すら知らない。

 もちろん、簡単な道のりでは無かった。統一世界はずっと戦争を繰り返し、手に余る技術力で何度も自分達の世界を滅ぼしかけた。世界大戦、星を焼く爆弾……皮肉にも血を流す事が著しい技術の進歩を促したのは、まあ、それはどの世界でも同じようなものだな。

 四千年前。ようやく戦争も落ち着き平和になると、他世界の観察こそが統一世界の命題となった。僕らは様々な世界の分析結果をデータベースに登録し続けた。無数の人生、無数のドラマ。人間なんてまだ居ない世界や、朽ち果てる寸前の世界まで……とにかく、様々だ。

 その間も僕らの技術は更に高次に発展を続け、ついには自身の精神エネルギー、つまり魂をエーテルと融合させて他の肉体に移し替える事に成功した。物質としての魂。幸か不幸か、魂のコピーは出来なかった。命はあくまで一つの物質なんだ。黄金は指輪にもネックレスにも出来るが、作り出すことは出来ない。それと同じさ」


 マリンカは真剣な面持ちで腕組みをした。意味の分からない言葉も多々あるが、少なくとも興味を惹かれざるを得なかった。チルシィとマーシャも、似た心境だった。


「精神の移し替えは“死”という概念を事実上消滅させた。諍いもすっかり無くなった。国と国はもちろん、集団や個人も争わない世界。さっき君らが喋ってた“目線の違い”が、心をデバイスに移し替える事によって概ね解消されたんだ。デバイスってのはアンドロイドの事で……何ていうかな、つまり、機械仕掛けの人形だな。

 僕らは男でも女でも無い。のっぽでもチビでもなくなった。自分自身を自由にカスタマイズ出来て、全員が優れ過ぎず、劣りすぎず、似たような規格で、平等で、平穏な社会性を保っていた。決して抜きん出る事は許されなかった。成熟した社会がたどり着いたのは、平等と言う名の無風の世界だった。欲しがらず、与えない。ただひたすら、生命を全うする事を尊ぶ。

 社会の成熟は、その過程においてあらゆるリスクと無駄を許容しなくなっていた。犯罪はもちろん、ちょっとした迷惑行為も許されない。そればかりか、嗜好品や娯楽……性行為も、全て究極的には人に有害な影響を与えると断ぜられ、禁止された。心は安全と健全に監禁されたまま、悠久の寿命を過ごす事になったんだ。

 死なないから、子孫も増やさない。僕たちの世界の人口は十億ちょうどで止まっている。それ以上は物質的に困窮するという概算に基づいた結論だ。時折、何かの間違いで人口が減ってしまうと“枠”に穴が空くのだけれど、その場合は運の良い“つがい”がランダムに選出され、お互いの個体値を足して二で割るシミュレーションをするんだ。ある程度の揺らぎが数パターンの赤ん坊を作り、そこから優秀な人格パターンと思われる赤ん坊を選出し、人工的に精製する」


「……“つがい”とは何だ? 夫婦の事か?」


 チルシィの言葉に、パッチマンは首を横に振る。


「いや、性別はかなり早い段階で無くなった。性のシステムは問題が多すぎたんだ。だから“つがい”は男女じゃない。ただただ波長の合う相手の事だ」


 マーシャはチルシィ副団長を視界の端に捉えて、ほんの少しときめいた。このごに及んでまだこんな気持ちになるのだから、確かに問題だ、と彼女は思った。


「とんだディストピアでありんすな」


 マリンカは言った。

 彼女には何度もそれを言うタイミングがあったように思えた。


「ディストピア。そうかもしれない。しかし、何を持ってしてディストピアとするのだろう? その物差しが“幸福か不幸か”と仮定するなら、それは僕たちにとってさほど重要ではない。僕たち統一世界の住人を支えていたのは、僕たちが数多ある世界を“管理”していたという自負心だ。そうしなければいけないという使命感が、僕たちを充実させていた。

 しかし、やはり仰る通り。統一世界をディストピアと断じ、生まれたことを不幸だと感じる者も当然いた。そういった人間は『早く生まれ変わりたい』とか、あるいは『ここから逃げ出したい』とかって考える。世界の中枢に“撤生要求”を申請し、受理されればこの世から退場する事も出来る。あるいは勝手に自死をする者もいる。だけど、そういった人間がより良い世界を求めて逃避する場合、それは他の世界以外にありえない。

 ……即ち、“不正転移”だ」


「不正転移」


 マーシャはパッチマンの言葉をなぞった。絵空事のようなパッチマンの話が、いよいよ自分達の世界に及ぶ事を、彼女なりに感じ取ったのだった。


「不正転移者は少なからずいた。統一世界から決して持ち出してはいけない超技術バランスブレイカーを他の世界に持ち出し、好き勝手する連中だ。

 『他世界は自由かつ無垢に発展すべき』というのが統一世界の絶対理念で、不正転移者は重罪人中の重罪人。そいつが死刑や、精神保管サーバーによる悠久の禁固刑を受刑するのは当然の事として、一番マズいのは不正転移者が持ち込んだ超技術が対象の世界に広まってしまった場合だ。大抵の場合は一方的な虐殺や不均衡を起こし、やがて世界そのものが滅亡を迎える。僕が知る限り、外部から去来した超越的な技術を持って、正しい発展を遂げた世界なんて一つも無かった。

 そこで、今から二千年前に統一世界で設立されたのが、“不正転移者対策組織”だ。被害を受けた世界の均衡を保ちつつ、超技術を回収するのが主な役割で、そこから“使者”と呼ばれる連中が、各世界の不正転移者の始末と干渉による影響の後始末の為に派遣される。この世界にも千五百年前にそれが行われた」


「あんたとポポーニャの事でありんすか」


 マリンカの言葉に、パッチマンはゆっくり頷いた。


「……そうさ。僕の本当の名前は、クークス。竜を纏う騎士クークスだ。聞いたことあるだろ? 大昔に起こった魔族との戦争で、純血人に勝利を収めた立役者……正確には、そういう役を“演じた”者だ。

 君らがポポーニャと呼ぶ人間は僕の同僚で、クークスの片腕である“穢れた智慧のキャンディ”。他にも“猟犬王マルク”と“暗闇の白刃ベルフェゴ”がいるが、彼らは役目を終えて先に帰還した」


「“演じた”というのは? どういう意味でありんす?」


「それが使者のたちの仕事だ。英雄も魔族も嘘っぱち。僕たちが魔族と言って戦った相手が……」


「不正転移者、という訳か」


 チルシィの言葉に、パッチマンは静かに頷いた。

 一同は言葉を失った。深くマナに刻み込まれたはずの郷愁。彼らの価値観や礎のようなものが根底から揺さぶられ、覚束ない気持ちになった。

 特にマリンカは不安を感じた。彼女は俄に深刻な顔つきになり、青ざめた。

 言いようの無い、どうしようも無く嫌な予感が、彼女を支配する。

 ……そんなマリンカには少しも気づかず、パッチマンは言葉を続けた。


「何故そんな回りくどい事を、と思うかも知れないが、あくまで我々の使命は可能な限り“世界への不干渉”を前提としたものだ。

 不正転移者が既に行ってしまった干渉は取り返しがつかないし、我々だって永遠に監視し続ける訳にはいかない。世界にとってある程度の“自浄作用”が必要なんだ。

 だから、強烈な伝説によって善と悪を植え付ける。超技術を完全なる邪悪と定義する事によって、教会や国が忌み嫌い、禁じ、罰する。文明レベルによって手法は異なるが、神はどの世界にもいるし、人々の意識を調整しやすい」


 マリンカは、はっとした。

 もやもやした何かが彼女の中で繋がり、嫌な予感は醜悪な結論となって彼女の心に顕現する。

 彼女は気づいた。この世の作られた善悪のカラクリに、自分たちが巻き込まれ、その身を引き裂かれ続けている事に。


「おい」


 パッチマンに向かって銃口を向けるマリンカ。

 混じり気の無い、真っ黒な殺意を剥き出しに。


「……パッチマン。いや、クークス! 気をつけて答えろ。亜人はこの世界に自然発生した種族なのか?」


 マリンカの刺々しい問いかけに、クークスはゆっくりと、しかし確実に首を横に振った。


「いや……違う。君たち亜人は、“精神配合”という、統一世界で禁止された実験の末に生まれた種族だ。君たちの不幸は、不正転移者の仕業だ」


「“不正転移者の仕業”だぁ!?」


 マリンカは撃鉄を起こす。


「白々しい事を言ってるんじゃねーでありんすよ! その亜人を“穢れた存在”として定義したのは……お前らじゃないのか!? お前らはその“自浄作用”を利用して、亜人を根絶やしにしようとしたんじゃないのか!?

 あっしらが虐げられるのも、あっしの家族が不幸な目にあったのも、あっしがこうして……こんな惨めな人生を歩んでいるのも……あっしらにとってこの世が地獄ディストピアになった原因も、全部全部、ぜーーーんぶお前らが原因でありんしょうがッ!?」


 クークスの額から汗が流れ落ちる。が、彼の表情に迷いは無かった。マリンカの言葉を否定せず、彼は静かに呟くのだった。


「……どうしようもない。それが僕の仕事で、この世界に必要な事だ」


 マリンカの理性は激流のような感情に飲み込まれた。

 彼女は自分の凶行を止める事が出来なくなっていた。


「待て、待つんだ! ピピット族の人!」


 チルシィは自らの体を盾にするように、マリンカの前に立った。


「撃っちゃダメだ! 私達はまだこいつに聞かなければならない事が残っている!

 それにこいつの言う通りなら、こいつがこの世界を救う為に来たなら、それを殺してしまうのは……どうか冷静な判断を!  君の気持ちは分かるが、結論を急ぐな!」


「うるせえッ!」


 マリンカは壁を殴り、怒鳴り散らす。


「冷静な判断が足りないのはあんたでしょうが! よくよく考えてみるがいい! これはただの支配でありんす!

 統一世界って連中は、自分達を神か何かと勘違いしているんす! 他の世界に技術を流出させ、自分達の存在が脅かされないように、神という特権階級を奪われないために“使者”を遣わしてるんでありんす!

 超技術が世界を滅ぼす? 違うね! 世界が滅んだんじゃなく、自分たちに追随するような技術を手に入れる前に、意図的に滅ぼしたんだ! 副団長! あんたともあろう人が、どうしてそんな簡単な事に気づかんのでありんすか!?」


「それは君の推測の域を出ない!」


 マリンカはチルシィの顔面に銃口を突きつけた。


「だったら、取捨選択をするべきだ! 亜人が超技術によって生まれた存在だからと言って、それぞれ一個の命には代わり無いでしょうが! それを平気な顔で雑菌のように消し去るだなんて……あっしらが一体何をしたでありんす!?

 どけ、副団長! あんたら純血人に、あっしらの底知れぬ恨みは分かりっこ無い! あっしらの恨みは世界の一つや二つよりもよっぽどデカい! どかないならあんたの眉間に一発ぶち込んで、後ろの統一野郎にも一発ぶち込むだけだ! どけぇっ!」


 かちり、とまた撃鉄を起こす音が部屋に響く。

 転がっていたもう一丁の銃を広い、マーシャはマリンカの顔に照準を定めていた。


「……ぶ、武器を下ろしなさい! ピピット族!」


 マリンカはマーシャを血走った目つきで睨みつける。

 マーシャに気圧された様子が無いのは、こうなる予感がしていたからだった。――だからこのピピット族は信用ならなかった、と。

 もはや誰かが死ななければならない状況。

 時が進むに連れ緊張は高まり、彼女たちの命運も急速に崖っぷちへと進んで行く。

 傍らに立つトント族の少女だけは、不穏なマナを感じ取りつつも、静かに修羅場を眺め……そして、小さな欠伸をした。


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