27 とんだ生の充実

(さて!)


 と、マリンカは思った。

 漂流屋の外で身を隠し、小さな手鏡越しにこっそり内部の様子を伺っていた彼女。ポポーニャの絶体絶命のピンチに、彼女が思う事は……特に無かった。助けても、助けなくても、どっちでも良い。それならリスクの少ない方を、と彼女は考える。

 何より、彼女はおいそれと自分の身を晒す訳にはいかない。クロエが死んだ原因の半分はマリンカで、マーシャとジキタリスの二人がその事を知れば、まず間違いなく命を絶たれるだろう。わざわざ『ポポーニャに手を出すな!』と勇んで漂流屋に突入するなんて、あまりに馬鹿げた話だった。


(ポポーニャもここまででありんすね。冷たいようだけど、あいつと行動を共にしていたのは友情でも何でもない。ただの巡り合わせ……いや、むしろ不運でありんす。

 ていうか、もう死んでるかも。あのパッチマンやポポーニャの持つ“ケンジュウ”とか言う武器は……あっしが思うに、飛び道具だ。火薬性のポーションの臭いがする。ポーションが発火した時の力で小さな矢か何かを飛ばしてるんでありんすな。

 ほんの少し指を引けば、相手の肉を抉り、命を奪い去る。それがあんなにコンパクトな形に収まっている事に、驚かざるを得ないでありんすが。

 ……良い商売になるでしょうなぁ)


 再び漂流屋の中をそっと覗くマリンカ。うつ伏せに倒れるポポーニャに、マーシャがそっと近づくのが見えた。マーシャはポポーニャの手に握られた拳銃をゆっくりと踏みつけると、それを部屋の隅へと蹴り滑らせた。

 俄に、げほっ、とポポーニャは咳き込んだ。慌てて飛び退くマーシャ。異端審問官はまだ死んではいないが、死んだふりもしていない。死んだふりをする人間が咳き込むはずが無い。おまけに、ポポーニャの腹部にはじんわりと鮮血が滲んでいた。それは彼女の命が尽きるまでの砂時計代わりに、刻一刻と床を染め上げていた。


(ギリギリ生きてる。生きてはいるでありんす。

 問題は、パッチマンとか言う奴でありんす。あいつは狂人なのか? ポポーニャがキャンディで、この千年だか千五百年を他人の体を乗っ取りながら生きてきたって? 途方も無い話だが、それがホントなら不老不死ってワケでありんすか! ……ま、決して羨ましいとは思わんでやすけどね。あっしの感想はただただ一言。『ゾッとする』以外に何も無いでありんす。

 目的は何なんだ? キャンディ・マニュスクリプトを集める事? 元々はキャンディの持ち物だったのに、何故キャンディであるところのポポーニャが本の収集を? しかもポポーニャにその自覚は無いようだし……)


 わしわし、とマリンカは頭を掻き乱した。


(ああ、くそう! 気になる! あっしにはあまりに無関係で、あまりに途方も無い話だが! そんな悠久の拷問を経て、こいつらは何を!?

 これからパッチマンの手によってマーシャかジキタリスのどちらかが“ポポーニャ(キャンディ)の魂”に体を乗っ取られるでありんす……脳みそスカスカのマーシャはその事実を今ひとつ理解していないようでありんすが、ジキタリスは死にかけで、抗う気力も無さそうだ。

 どちらかが乗っ取られれば、残りのもう一人は十中八九殺される。千五百年隠れ住んでいた人間が、証人を見逃すようなヘマをするはずが無い。だからあっしも深入りしない。”ここにあっしは居なかった”を貫く。

 誰がポポーニャになったのか。そしてポポーニャは記憶を失ってポポーニャじゃ無くなるのか。それを見届けて、今日のあっしの仕事は終わり。パッチマンもキャンティも、これっきり。関係無いでありんす……)


 と、マリンカは自分にそう言い聞かせた。目を瞑り、一度だけ深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 この世界そのものを超越した何かが、パッチマンの姿を借りて何かをしている。それは他の世界を巻き込んだ、想像を絶するスケールと長い時間をもって行われており、このマリンカ達の住む世界はただのちっぽけな箱庭に過ぎないのかも知れない。

 が、しかし。マリンカ自身が自答した通り、彼女には関係の無い事だった。彼女には彼女に与えられた人生があり、それを逸脱するのは彼女のこれまでの人生を無為にする事に他ならない。


(永遠の時を生きるなんて、一杯のワインに大量の水をぶち込むようなものでありんす。全ては希薄になり、無意味になり、台無しになる)


 と、マリンカは思った。


(違う世界からの闖入者が、断りもなくこの世を掻き乱している。極々一部、それに巻き込まれる不幸な人間もいるが……それがあっしじゃなければ、あっしは別に構わない。それが一番街育ちの基本理念でありますれば、誰の邪魔もしないし、誰を助ける事も……はうあっ!?)


 と、マリンカは目を見開いた。

 ふらふらと、まるで宙に浮いているような不安定な足取りで、漂流屋の軒先にある人物が現れた。例のトント族の少女ミュルだ。


「……?」


 ミュルがここに現れたのは、恐らく取るに足らない理由だろう。人が沢山いるとか、銃声がうるさかったとか、それ以上の理由は無い。

 そして、それは決定的な不幸だった。千五百年の時間パッチマンがこの馬鹿げた転生を続けられた理由は、自身を徹底的に隠蔽し続けたからだ。人里を離れ、誰とも懇意にならず……そして、目撃者を消し続けた。


「……トント族か」


 パッチマンはミュルの髪に散見する葉っぱを見て、そう呟いた。


「あまり人には見られたくない状況だが、彼女たちトント族はあちこち言いふらさないから安心だね」


 温和な語り口に不穏な気配を湛える。ミュルはもちろん何の事か分からずにぼうっとフロアを眺めていた。

 が、うつ伏せに倒れるポポーニャを見た瞬間、ほんの少し、注視しても分からないほど微細に、ミュルの瞼が開いたのだった。

 パッチマンは一度だけにこりと笑うと、ゆっくりと拳銃をミュルに向けた。


「……でもこいつらは、『訊かれりゃ答える』んだよな」


 パッチマンはほとんど独り言のようにそう呟く。引き金にかけた指がほんの少し動けば、少女の命はあっという間に失われ、新品の死体がまた一つ転がる事になる。

 マーシャは慌てて耳を塞いだ。あの破裂音はこの世界の住人にとって馴染みなく、恐ろしく不快なのだった。


(終わりでありんす)


 マリンカは引き攣った笑いを浮かべながら、そう思った。


(パッチマンには無関係な命で、それが自身の築き上げた全てを脅かし兼ねないなら……消し去るのは至極当然の事。

 あっしも同様。あっしが死ぬ事であっしの復讐が、計画の全てが崩壊するなら、さっき出会ったばかりのトント族の事なんざ知ったこっちゃないでありんすよ。

 あっしは大人でありんす。

 酒も飲むし、金も稼ぐし、人も殺すし……無実のトント族だって見殺しにする……。

 それが道理。それがロジック。それがあっしの生きる道でありんすよ……!)


 ……が、しかし。

 マリンカの胸中とは裏腹に、彼女の肉体は、あるいは彼女のマナは、彼女の心を無理矢理引きずって立ち上がらせた。

 理性と行動がちぐはぐになり、自分が何をしようとしているのかも分からず、漂流屋に飛び込むマリンカ。彼女らしからぬ“出たとこ勝負”は、ほとんど自殺行為とでも言うべき無謀さだった。


「あ、あの……!」


 恐怖に顔を顰めながら、マリンカはミュルを庇うようにして彼女の前に立った。

 一人殺されるのが二人になる。ただそれだけの事なのに。


「あっしの話を聞いておくれ! 良い話が……商談があるでありんす!」


 マリンカの頭は真っ白になった。何の言葉も思い浮かばず、ただただパッチマンの興味を引く。もちろん商談なんて何も無い。


「あなたどなたですか!?」


 マーシャは叫んだ。マリンカにとって唯一の希望は、やっとの事でマーシャの頭に血が巡り、『そうだ! このままだと私、パッチマンに殺されるかも!』と気づき、自身の足元に転がる拳銃を拾ってパッチマンに向けてくれる事だ。しかし、今のところ彼女の脳内には『あなたどなたですか』という言葉以外に何も無い。

 では、ジキタリスは? マリンカはちらりと満身創痍の少女に視線をやるが、彼女は今まで以上にぐったりと項垂れ、ひと時の失神に身を委ねているのだった。

 どうする!? マリンカは頭を捻るが、考えれば考えるほど妙案は手元からすり抜け、出てくるのは汗ばかり。

 マリンカの言葉は、これっぽっちもパッチマンの心に触れていない。何を言っても、何を問いかけても、巨大な要塞に石ころを放るように無意味なのだった。


「死んでくれ、おチビちゃん」


 無慈悲な一言、無慈悲な行為。

 パッチマンの拳銃が、ずどん、と火を吹く。

 マリンカの体に走る、焼けるような痛み。

 彼女はその場に倒れこんだ。


「……う、うぎゃあああああ! あ、あぎ、あぎゃああああ!」


 フロアに響き渡る絶叫。

 しかし、それはマリンカのものでは無い。

 パッチマンだ。パッチマンの片手が、拳銃ごと宙に浮き、やがてマリンカの目の前に落ちた。

 チルシィ副団長だった。彼女の剣は、パッチマンが引き金を引くのとほぼ同時に、彼の手首から先を斬り落としたのだった。

 マリンカは慌てて目の前の拳銃を拾い、片手を庇って蹲る異世界人にそれを向けた。――切られた瞬間に引かれた引き金は、確かに彼女を傷つけた。しかし、銃弾は致命傷を避け、彼女腕の肉をほんの少し削いだだけに過ぎなかった。


「い、いぎ、いぎぎぎぎ……ぐうううう……」


 地獄の様な痛みに唸るパッチマン。チルシィは部屋の中を一瞥すると、特に何も言わずにパッチマンに向き直る。

 マーシャは何も声をかけられなかった。自身の魂を弄ばれ、命の尊厳を汚されて、チルシィの怒りが煮え滾っている事が、彼女にはよく分かった。ジキタリスはまだ失神していた。


「“生の充実”を感じているか? パッチマンとやら」


 チルシィは言った。


「状況を整理したかった。しばらく眠ったフリをして、お前達の会話をずっと聞いていたよ。今の私はただの肉人形だが、操り人形はごめんだからな。

 ……ポポーニャが来るだろうとは思った。いざとなったらマーシャ達を助けようと思ったが……その必要は無いようだ。異端審問官は神の下へ帰ろうとしているらしいからな。

 ところでマーシャ。そこの罪無きトント族とピピット族を見殺しにして、何を思った?」


「ち、チルシィ副団長! 私は……!」


 ごくり、とマーシャは一度だけ唾を飲み込んだ。


「私はもう騎士じゃありません! 私を買いかぶらないでください! 私はただの卑劣な……卑劣な……」


「そうじゃない」


 チルシィは優しげに失笑する。


「『私も殺されるかも』とは、思わなかったのか?」


 チルシィの言葉に、マーシャはさっと青ざめた。もっと言ってやれでありんす、とマリンカは心の中で愚痴るが、決して口には出さなかった。


「さあ、言え! パッチマン。お前は何者だ? ポポーニャは一体何者だ? 千五百年の長い旅を続ける理由は何だ……!?

 お前が必要な人間だと分かれば生かしておいてやる。そうでなければ……どうするかな」


 さっきまでのポーカーフェイスとはまるで別人のように、パッチマンは真っ青になりながらガタガタと震えていた。

 千五百年ぶりの命の危機は、彼の死んでいた生存本能を呼び起こし、全身の汗を吹き出させた。目から涙が零れ落ち、鼻水まで垂れている。

 マリンカは使い方もロクに分からない拳銃を向けながら、じっとパッチマンの顔を見ていた。腕の傷は痛むが、思いもよらぬ未知との遭遇に、不思議と気持ちは高揚し……そして、ヒューラン・レンブラントを思い浮かべる。

 彼が元の世界に帰れる可能があるのでは?

 それか可能なら、そうあるべきかもしれない、と。


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