24 とんだ欠落

「遅かったでありんすね」


 はだけた服を着直しながら、マリンカはそう言った。――まるでクロエなんて最初から居なかったように。


「物乞いに集られてたんれふ」


 ポポーニャは不愉快そうにそう言った。鼻から、ふんす、と大きくため息をつき、収まらない不満をありありと全身に漂わせている。


「だから一番街はキライ! 神の血肉をタダ飯扱いする不遜な連中。『教会にタダ飯を食わせる』のが信徒の在るべき姿れひょうが!

 民が民なら、主も主れふ。全知全能の神様がグータラれなければ、連中はとっくに黒焦げになっているはずれふがね」


 あまりにあまりなポポーニャの言葉。マリンカは苦笑いを浮かべたが、ポポーニャがどんな人間かというのは良く知る所で、驚くには至らない。


「敬虔な信徒の深い嘆きでありんす」


「ええ、もちろん。わらしは仕事に真面目なのれ」


 マリンカの皮肉に対し、どこまで本気か分からないポポーニャの返答。確かに、異端審問官の職務を全うするという意味では、彼女は真面目と言えなくも無い。その方法の悪辣さや、聖職者らしからぬ不信心さを除いては。

 やがて彼女は、やれやれ、と呟きながらその場にしゃがみ込むと、死んだクロエの体に手を伸ばした。目的は腰に掛けてあるホルダーだった。彼女はホルダーからクロエ自慢のナイフを手際良く取り出すと、死体の胴体に馬乗りになり、頭部を押さえつける。地面に擦りつけられたクロエの表情は、屈辱や憎しみとは無縁のもので、無表情ですらなかった。それは、ただの“顔面の形をした肉”だ。

 ずぶり、と喉元に刃を入れた。料理人が道具を取り出し、調理を始めるのと何一つ変わらない様に。躊躇無く、当たり前に、ちょっとした日課のように行われる死体損壊に、マリンカは我が目を疑った。


「げえっ! 何を……!?」


 ポポーニャがどんな人間かは良く知る所……ではあったが、流石のマリンカも思わず声を上げる。


「これ以上ゾンビが増えたら厄介なんれね。コイツの首を落としまふ」


 “料理”の動機を説明すると、ポポーニャはクロエの首の肉を躊躇なく切り開いていった。ざくざくざく、と裂けていく脂肪、筋肉、血管。途中、硬い骨がナイフを通らず、ムキになったポポーニャは何度も何度もナイフの背を踏みつける。頼りなく曲がるクロエの首だが、それでも胴と頭は離れず、ポポーニャも同じように首を傾げた。

 次に料理人は、切り裂いた肉に指を突っ込み、首の骨を掴む。続いて、ゆっくりと頚椎と頚椎の間に刃を入れ、ノコギリの要領で前後させた。ギシギシと椎間板を削る音。刃は僅かながら、頚椎の内部に沈んでいく。椎間板を破り、切断された硬膜から髄液が溢れ出し、透き通った液体はあっという間に血液に混じって溶けこんだ。頚椎間の組織を完全に分断する前に、ポポーニャは死体の髪の毛を引っ掴み、力任せに頭部を引き千切ってしまった。

 ポポーニャはにこにこしながら、まるで恋人同士が顔を突き合わせるように、クロエだったものを目の前に持ち上げた。


「ふぅー。死んれも手のかかるクロエちゃん。しかし、これで脅威は無くなりまひた」


 ポポーニャは、ぽい、とクロエの頭部をその辺に転がし、死体が生前着ていたローブの裾でごしごしと顔を拭いた。


「……おえっ……!」


 吐き気を堪えるマリンカ。異端審問官の常軌を逸した残忍さに、彼女は身震いした。


(……“欠落”してるでありんす! 一体どういう人生を送ればこんな風になれるんでありんすか。人として大事な何かを、母親の腹の中に忘れて生まれてしまったのか。あるいは人間に化けた悪魔なのか。

 所詮ただの肉と骨とは言え、まだ生前のマナの名残がありますれば……こんな事をして祟られなきゃよろしいでありんすがね! もちろんポポーニャじゃなく、奴を手助けしたあっしがね。くわばらくわばら……)


 そんな風に考えていると、ぐるぐるぐる、というお腹の音が彼女の思考を遮断する。マリンカの興味は眼の前のトント族に引き戻された。


「お……おっと、そうでしたな」


 小さく呟くマリンカ。自分の鞄をごそごそと漁った。この光景を見てお腹を空かせられるとは、大したものだ、と彼女は思った。


「……トント族のお嬢さん、名前は何て言うでありんす?」


 マリンカの質問に、少女はぽつりと『ミュル』と答えた。


「ミュル(ごみ)でありんすか。役所が絶対に許さない名前ですな。役所にあんたの名前があるとは思わんですが。は、は、は……」


 マリンカの乾いた笑い声。彼女は鞄からパンを取り出し、ミュルの前に差し出す。


「これは正当な報酬でありんす。これを受取って、今日の事やあっしらの事を綺麗さっぱり忘れて……おわっ」


 急に飛んできた革の水筒を、マリンカは慌ててキャッチする。投げたのはポポーニャだった。


「渇き殺す気れふか?」


 そ、それもそうだ……とマリンカは頭を掻いて、パンと水筒の両方をミュルに渡した。

 ミュルは受け取ったパンの匂いをまず嗅ぎ、ちらり、とマリンカの方を見ると、小さな小さなひと口でゆっくりと齧りついた。パンについた齧り跡は、小指の先程しか減っていない。

 ポポーニャは何の興味も無さそうに、自分の髪に飛んだ血を丁寧に拭いていた。


「えらくお優しいでありんすな」


 マリンカは言った。彼女は静かに混乱していた。べっとりと血のついた水筒の中身が、実は毒か何かじゃないかと疑った。“あのポポーニャ”が施しをするなんて、と。


「わらしはいつらって優しいれふ」


 マリンカは転がった生首を眺め、そうでありんすか、と何の感情も無く呟いた。戯言にしか聞こえないが、確かに彼女がミュルに水を投げてよこしたのは事実だ。


(……取るに足らなかったからでやんすかね。ミュルがあまりにも取るに足らない存在であるが故、何の打算も無く、何の関心も無く、ぽつんとヤツの中に取り残された良心が気まぐれを起こしたのかも。

 あるいは、美意識か。ポポーニャは物乞いに集られて、その浅ましさと遠慮の無さにムカついてたでありんす。じっと飢えや渇きに耐えるミュルに、この悪魔の心にもトント族特有の神聖さってヤツが届いたのかもしれない。ポポーニャが唯我独尊的な人間であればこそ、自分の主義や美意識に対して率直なのでありんすな。誰かを助ける時も、そうでない時も。飲水をくれてやる時も、頭を取り外す時も)


 マリンカはそんな風に、必死に頭を回した。実際のところは分からないが、自分なりに整理がつけば良い、と彼女は考える。そうすれば、少なくとも気圧されない。

 それは商人の性だ。相手がどんな人間であれ、気圧されれば損をする。気圧され無ければ、初めて対等に取引が出来る。


「ところで、マリンカ氏がここにいるのは何故?」


 ポポーニャの質問。マリンカは正直に答えた。


「ヒューラン・レンブラントに聞いて、漂流屋にいる連中を追ってきたんでありんすよ。審問官殿は今から連中を血祭り……じゃなくて……教会に連行するんで?」


 マリンカは隣家の方向を指差した。


「わらしは修道会の騎士を五人も失ったんれふ。いずれも腕の立つソードマンれ、大事な教会の兵隊れひた。あいつらをしょっ引かないと、このクロエちゃん同様、わらしの首もチョンパされまふ」


 それはそうだろうな、とマリンカは思った。ポポーニャが首チョンパされれば憂慮が一つ減る。しかし、強い仲間も一人減る。ポポーニャは重い傘だが、安全だ。彼女が人間として“欠落”し過ぎていない限りは。

 ミュルが水筒をがじがじと齧っているのを見て、マリンカは水筒の栓を抜き、そっと彼女の口に中身を流し込んであげた。微かに上下する喉元を確認すると、マリンカは改めてポポーニャの方を振り返った。


「チルシィが五人をやったってホントでありんす? 隣家で寝転がってる、あのツギハギ死体が?」


 じろり、とマリンカの方を睨むポポーニャ。


「じゃなきゃ、血まみれになってこんな事するわけ無いれひょうが。最初にゾンビの話をしたのはマリンカ氏れふし……。

 わらしらってあの瞬間に戻って、チルシィ副団長に問い詰めたいれふ。『それホント?』って。『起き上がって剣を振り回してるそれ、ウソれひょ?』って。でも、それがキャンディ・マニュスクリプトの力って事れふよ。理外の理、神を超えうる業。

 ……そっちこそどうなんれふ? ヒューラン・レンブラントはクララの元へ?」


「その事でありんすが……」


 と、マリンカはしばらく言葉に詰まったまま、沈黙した。ここだろうか、ここじゃないだろうか、という葛藤が、彼女の決意を振り子のようにゆらゆらと揺らしていた。『えっと』だの、『その』だのという言葉の切れ端ばかりが彼女の口から漏れ、その度に苦笑いでお茶を濁す。

 片手を腰に当て、ポポーニャはマリンカに向き直った。言いたい事があるなら早くしろ、と言いたげに。

 ……もはや『腹に一物あります』と言っているようなものだ。マリンカは意を決して、自分の疑問をポポーニャにぶつける事にした。深い沼の深淵のように見えなかった相手の目的が、今はうっすらと底を見せている。相手の本懐に手が届けば、対等な関係性を築く事も可能かも知れない。


「どうして……」


 マリンカは口を開いた。


「どうして、わざわざクララ経由なんでありんすか? 今更でやすが、回りくどく、時間のかかる方法でありんす。ええ、もちろん彼は向かっておりまするよ。あんたの言いつけ通り、お利口にクララとお友達になろうとしている。でも……他の手段は無かったんで?」


 本懐に近ければ近い程、相手の感情を逆撫でするのは当然の事。逆鱗に触れるようなら、慌てて言葉を畳もうという心積もりで、マリンカはそう訊ねた。

 が、意外にもポポーニャは、何とも感じていない様子だった。


「クララがキャンディ・マニュスクリプトを持ってる可能性があるんで、ついでに」


 それはつまり、とマリンカは言った。


「それはつまり、キャンディ・マニュスクリプトを押収するって事で?」


 そうれふ、とポポーニャは言った。


「……教会の為に?」


 もう一歩踏み込むマリンカ。


「ぷぷぷ」


 相手の探りに気づいているのかポポーニャは小さく笑った。


「趣味れふ。わらしは禁書を、極個人的な感情で集めていまふ。それが聞きたいんれひょ? 好奇心旺盛なマリリン氏」


 マリンカはきょとんとした。あまりにあっさりとバラすポポーニャに、彼女は咄嗟に反応出来なかった。


「え、ええと……」


 マリンカが言葉に詰まっていると、ポポーニャは構わず自分の考えを話し始める。


「この一件が解決しても、きっとわらしは教会に今回の責任を取らされる。良くて異端審問官を解任、下手すりゃ職そのものを失うかも。そうなったらあんたやヒューラン・レンブラントをしょっ引けないし、あんたの持ってる禁書を手に入れる術も無くなってしまう……持ってるんれしょ? ヒューくんの”始まりの一冊”を」


 マリンカは黙っていた。それは肯定と同義だった。


「何より困るのは、今回のチルシィの件を持って、いよいよ教会が禁書の取り締まりを厳重にし始めるわけれ……そうなるとわらしの”趣味”を楽しむのは、わらしの立場からは非常ぉーに難しく、より危険になるわけれふ。

 ……敬虔な信徒を演じるのもウンザリしてたところ。取り締まる側だと集めやすいと思ったんれふが……ま、ここらが潮時れふかね」


 マリンカは訝しげな顔を隠す事無く、じっと相手を見つめた。


「仕事より趣味優先ってワケでありんすか……どうしてキャンディ・マニュスクリプトを? そこまで固執する理由は一体何なんでありんすか? 何をそこまであんたを駆り立てるんでありんす?」


 ポポーニャはマリンカに向かって初めての表情を見せた。それは、傲慢と狂気の向こうにほんの少し覗かせる”弱さ”だった。


「退屈らから」


 きっぱりと、たった一言。ポポーニャはそう断言する。

 酷く疲れ、打ちのめされ、絶望した、心の底の底から漏れ出る嘆きの声だった。

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